176 喪失感
「磯崎君ー起きてる?」
「え、うん・・・・」
「もう、飲み物が足りないの。買ってくるって言ってたのに・・・どうしちゃったの? いつもはしっかり用意してあるのに」
「ごめん。あとで行ってくるよ」
年越しカウントダウンライブのリハから戻ってきたカナが、ソファーに座っていた俺を揺らしていた。
淡々と仕事をこなしていたが、ふっと気が抜けたときに、喪失感に襲われる。
家に帰っても、あいみんの家は静かだし。誰も来ないし、配信は見ていたし、画面越しに会話していたけど、日が経過するごとにショックが大きくなっていった。
といっても、まだ3日しか経ってないんだけどさ。
「ん? あぁ、カナ、お疲れー。みんなは?」
「鬼塚さん、お疲れ様です。衣装の調整に時間がかかってるみたいで、私だけ先に戻ってきちゃいました」
「そっか。リハもすごくよかったよ。この調子でね」
「はい」
カナがペットボトルを持って、向かい側のソファーに座っていた。
鬼塚さんがハンカチで顔を仰いでいる。
「・・・・・・・・」
「で、磯崎君は一体どうしちゃったの?」
ぼうっとしながら、鬼塚さんに頭を下げる。魂が抜けたような感覚だ。
「さっきからこんな感じなんです」
「すみません。色々ありまして・・・あ、飲み物買ってきますね」
「あ・・・いや、いいよ。スタッフが協賛企業の飲み物配ってるみたいだから」
立ち上がろうとすると、鬼塚さんに止められた。
「すみません」
「具合悪いの? 風邪とか? 熱はなさそうだけど・・・」
カナが心配そうにのぞき込んできた。
「ごめん・・・本当に大丈夫だから。ちょっと色々あって落ち込んでるだけだから」
「わかったぞ、さとるくん。熱がない、具合が悪いわけでもないけど、体に力が入らない。その落ち込み方には、僕も覚えがある」
「え?」
「推し活ショックだ」
鬼塚さんが痛快なほど、真実を突いてきた。
「推し活・・・・?」
「・・・・・・・・」
「推しが結婚したり、恋人ができたり、噂が立つだけでもそうゆうふうになることがある。うちの会社では、推しが結婚したら休暇を貰えるようになってるよ。推しにスキャンダルが出る痛みは、社員みんな理解してるからね。俺も・・・・」
「推しが・・・結婚・・・?」
心臓止まるかと思った。ワードだけでも即死するほどの破壊力だ。
推しの恋人、推しの婚約者、推しの結婚、推しの子供・・・推しの子供!?
推しの子供!? は? 相手、誰だよ。
「い、磯崎君、大丈夫?」
「え・・・うん・・・・・ごめん」
手が震えて、缶ジュースを落としそうになると、カナが慌てて取り上げてくれた。
頭がキャパオーバーだ。
このまま一生推しに会えない可能性だってあると思うと・・・いや、そんなことはないって言い聞かせてるけど万が一、万が一、万が一・・・・。
「おーい、磯崎君? 生きてる?」
「え・・・・一応大丈夫」
「なんか、全然大丈夫じゃなさそうなんだけど」
「重症だな。困ったな、帰っていいって言いたいところだけど、僕はこれから総合プロデューサーのところに行かなきゃいけないし、スケジュール管理と公式SNSの更新用画像撮影をお願いしたかったんだけど・・・」
「本当、大丈夫なので。ちょっと休憩すれば問題ありません」
「磯崎君の推しって『VDPプロジェクト』のあいみんだったよね? なんかスキャンダル出てた?」
カナがスマホをスクロールしていた。
「いや・・・・スキャンダルとかそうゆうのじゃ・・・」
「うーん、僕も特に見てないけど。あ、ごめん、そろそろ出なきゃいけないから。磯崎君、傷心のところ悪いんだけどよろしくね」
「はい」
「もしもし、はい。鬼塚です。今から向かいますので、少々お待ちください・・・」
鬼塚さんがスマホで会話しながら楽屋から出ていった。
「何の情報? ツイッターとか見ても上がってないし、ネットの情報? もし、そうだとしても、ネットの情報なんて嘘ばっかりなんだから気にしなくていいのに。私だって、一時期全然知らない子の卒アルを私だって、整形したって噂が広まったことがあったんだから」
「そうゆう噂とかじゃなくて」
「そっか。磯崎君、『VDPプロジェクト』と知り合いなんだから、直接聞けば早いよね」
カナがテーブルにあったチョコレートを一つ、口に放り込んでいた。
「あいみんに長く付き合ってる恋人がいた? いること目撃した?」
「!?」
殺人的なワードを使ってくるたびに、心臓が止まりそうになってるんだけど・・・。
「へぇ・・・でも、ファンにスキャンダルがバレるなんて、Vtuber失格ね。夢を売る仕事なのに、ファンに現実見せちゃダメだよ」
「そうじゃないって!」
「?」
「会えなくなったんだよ。『VDPプロジェクト』のメンバーと、会うこと自体できないんだ。諸事情あってさ」
ため息交じりに言う。
「会えないっていうのは?」
「そうだな・・・遠くに引っ越したみたいな感じか。もちろん、配信は今まで通りあるし、連絡も取れるんだけど・・・リアルイベもこの先どうなるかわからないし」
まさか、画面から出てこれなくなったなんて言えない。
「ふうん。会えないってだけでそんなに落ち込むんだ」
「そりゃそうだろ。ファンなんだから」
トントン
「あ、はい」
少し転びそうになりながら、ドアに駆け寄っていく。
「アース株式会社様から差し入れのペットボトル届きました」
若い男の人が段ボールを持っていた。受け取って、テーブルの上に置く。
俺と同じか少し年上くらいだろうか。
「ありがとうございます」
「はっ・・・かななん!?」
カナの顔を見ると、急に動きがぎこちなくなった。
「あ、えっと・・・スポーツドリンクと、お茶と清涼飲料水ですね。こちらの清涼飲料水は新商品になっているようで協賛企業様から・・・」
「聞いてます。SNSに上げておきますね」
「はい、お願いします」
男がカナのほうをちらちら見て、少し顔を赤らめてお辞儀をしていた。
「僕、ななほしⅥのファンなんです。かななん、いや、カナさん。頑張ってください、応援してます」
「ありがとう」
「っ・・・」
カナがにこっと笑うと、男がどぎまぎしながらもう一度頭を下げた。
「ししししし、失礼します!」
飛び上がるように楽屋から出ていった。廊下からどたどたと何かに躓くような音がした。
段ボールからペットボトルを抜いて、テーブルに並べていく。
カナは本当にアイドルとして完璧だ。ななほしⅥのセンターやってるだけあって、ちょっとしたことでも抜かりがない。
「推しかぁ・・・・」
「カナにスキャンダルがあったら、ああゆう人たちが悲しむからな」
「私はそんなヘマしないもん。アイドルとしてのカナってキャラは守り続けるから安心して」
「あ、そ」
カナも一度、俺と文化祭のときの、誤解を招くような画像が回ったんだけど、本人が気づく前に鎮火していた。
ツイッターの流れを見ていると、アンチの嫌がらせってことで落ち着いたらしい。
カナがこうやって堂々とアイドルしてるから、ちょっとの噂程度じゃファンも動じないんだろう。
「磯崎君も私を推しにすればいいのに」
「遠慮しとくよ。カナは頭いいし、裏の裏を読まれそうで怖いからな」
「つれないなー。私、ファンに尽くすタイプなのに」
立ち上がって清涼飲料水を取りに来る。
近づくと、ふわっと、ココナッツのような甘い匂いがしていた。
「後でSNSに画像アップしなきゃいけないから」
「はーい。髪とか整えておく」
「みんな戻ってきたらな」
スマホのカメラを確認する。
カナはこっちの世界の人間だし、ファンは会える可能性があるんだからいいよな。
何があっても、Vtuberの『VDPプロジェクト』のファンになったことに後悔はないけどさ。
 




