116 家庭教師の日常
「so farは『とても遠い』じゃない。『今までのところ』だ」
「えー、だってsoはとてもとかゆう意味じゃないんですか?」
「熟語だからな」
高校に入ったら熟語も自然と覚えるようになっていたから、ゆいちゃがどうしてこんなに躓くのかわからない。
でも、ちゃんと理解しないとな。できないことが悪いことじゃないんだから。
「こっちのall alongも『初めからずっと』って意味だ。地道に暗記するしかない」
「暗記・・・ですか」
「こっちの単語帳にも書いておくから、ちゃんと空き時間に覚えろよ」
ゆいちゃ専用のメモ帳に、単語を書き足していく。
ここに書いてあることは、徐々に覚えているみたいだな。
「で、次の問題だけど、ここは疑問文から訳して・・・」
「うぅ・・・疑問文、疑問文、えっと・・・・」
「・・・・・・・」
もう1時間半か、集中力切れだな。
家で、ゆいちゃに勉強を教えるようになって、3週間くらい経った。
でも、数学以外あまり伸びがないんだよな。こんな早くに結果が出るとは思ってないけど、俺の教え方が悪いんだろうか。
「いったん休憩するか?」
「え・・・・」
夏休み中勉強してたっていうけど、結構新学期厳しそうだ。
英語だけは、最初の頃よりはマシか。数学とか、どんな点とるんだろう。
「切り替えも必要だからな。適当にくつろいでて。俺も課題やるから」
「は・・・はい」
パソコンに座って、プログラムを見つめる。
デバッグしてみたけど、なんか動かないんだよな。
どこかで値を落としているとは思うんだけど・・・。
「・・・・・・」
画面にもぞもぞ動き出すゆいちゃが映ってる。
「ゆいちゃ、何してるんだ?」
「はっ、くつろごうと思いまして、パーカーを脱いでました。こうやって、柔軟して体をすっきりさせるんです」
体を伸ばしながら言う。
「頭使ったので、体をリラックスさせてます。本当は1曲踊りたいですけど、さとるくんが頑張ってるんで止めておきます」
1曲踊るって・・・。見たい気持ちはあるが。
「ちゃんと、静かに柔軟しています」
「あ、そ」
「さとるくんは難しそうな課題やっててください。私は手伝えるわけないので、後ろで柔軟しながら応援してます」
「あぁ・・・・」
って、全然、集中できない。どうしても、画面の端にちらちら映っているし。
ゆいちゃって、柔らかいんだよな。
開脚とか、スポーツ選手やタレントがやっても普通なのに、ゆいちゃが家でやるとなんか・・・。
いや、別に変なこと考えてるわけじゃないけど。
あまり、よろしくないと思った。
「勉強の続きやるぞ」
「えっ、もう休憩終わりですか? 課題はいいんですか?」
「あぁ、課題はやっぱり、夜中レッドブル飲みながらじゃなきゃ集中できない」
ゆいちゃがいると全く進まない。一人の時間のときにやらないとな。
「夜型だしな。受験勉強だって、夜やってきたほうだ」
「なんか、不健康ですね。死に急いでいる人の発言みたいです」
「・・・自覚はあるって・・・」
このまま社会人になってデスマというものに巻き込まれていそうだ。
啓介さん見てるとな。どうしてもそうゆう方向に行ってしまう。
絨毯に座ると、ゆいちゃがパーカーを持ってにじり寄ってきた。
「いいこと考えました。私がさとるくんに柔軟してあげます」
「えっ・・・」
「体を伸ばすと肩こりも解消できるんです。簡単な柔軟は覚えておいたほうがいいです。ストレス解消効果もあるんですよ」
ゆいちゃが真剣な表情で言ってきた。
寝癖が勢いよくぴんと跳ねている。
「いいって俺は・・・」
「ダメです。さとるくんが不健康になってしまいます。柔軟やってみるまで、勉強しないです」
「・・・・・・」
誰のために勉強教えてると思ってるんだよ。
ため息をついて、ペンを置いた。
「・・・じゃあ、ちょっとやったら、ちゃんと勉強しろよ」
「はい。まずは腕をこうやって後ろに回してみてください」
「こうか? 痛っ」
びりっとした。
ゆいちゃは軽々とやってるのに、肩が痛くて全然回らなかった。
「え? もう痛いんですか? 肩こりがひどいんですよ、大丈夫ですか?」
後ろに回って肩甲骨のあたりをこぶしで回してきた。
「っ・・・・」
「かなり凝ってますね。辛そうです。こうすると、気持ちいいです?」
「あぁ・・・」
小さい手なのに、力加減がすごくいい。上手いな。
「肩こりや眼精疲労のツボなのです」
「・・・ゆいちゃ、なんでこうゆうのに詳しいんだ?」
「日々ダンス練習とかしてるから、ちゃんと体を休めることも大事にしてるんです。ダンスの先生から聞きました」
「へぇ・・・」
「ここも、眼精疲労に効くらしいです」
ゆいちゃがぐぐっと首の裏を押してきた。
痛い・・・けど、気持ちいいな。
「あ、なんか今、エチエチなこと考えませんでした?」
「考えてないって」
「・・・・・・」
ゆいちゃが急に手を止めて隣に座った。
ちょっと体が楽になった気がする。肩こりだったのか。
視界も明るくなった気がするし。
「油断できないです。さとるくん、すぐエチエチになりそうです」
「ならないし、なってないから」
なることもある、けど。今は、幸いなってない。
「さ、さとるくんと私は、今、健全な先生と生徒の関係ですからね。部屋に二人きりですが、何にも起こらないです」
「ん? あぁ」
「・・・・・・」
ペンを回してノートをめくっていた。
なんか変に緊張しているみたいなんだけど。別に、やましいことするわけないのに。
「漫画の見過ぎだ。なんとかって漫画にこうゆうシチュが・・・とか言うんだろ」
「わ、わかってます。今は漫画のことなんて考えてないです。ちゃんと勉強に集中を、えっと、この問題は、赤ペンで星マークを・・・と」
どぎまぎしていた。
「・・・・・・・」
急に照れたり、恥ずかしがったりするから、ゆいちゃの扱い方がよくわからないんだよな。
動揺してるのか、変なところに星マークつけてるし。
「ライブ、何の曲で出るんだ?」
「ライブ?」
ゆいちゃがノートからちょっと目を離す。
「フォーメーション考えてるってことは曲は決まってるんだろ?」
「はい。でも、内緒です。さとるくんにはお客さんとして、楽しんでほしいです。みんなにも、内緒だよって言ってるので、聞いても言わないです」
「そうか、楽しみにしてるよ」
「へへへ、頑張ります」
ゆいちゃがにこにこしていた。
いつものゆいちゃだな。
「俺たちもチケット頑張らないとなー。ツイッターを見る限り、かなりの激戦みたいだし」
「先着ですもんね。すみません、すっごく来てほしいのですが、何もできなくて」
「まぁ、俺もチケット取ったことあるし、結城さんも啓介さんがいるし、2人でどうにかするよ」
「はい。頑張ってくださいね」
嬉しそうに左右に揺れていた。
『VDPプロジェクト』の初ライブだ。なんとしてでも行かないとな。
「いいパフォーマンスするためにも、勉強頑張らないと」
「留年とかあるの?」
「残念ながらあるんです。赤点を取り続けると、もう一回高校3年生しなきゃいけなくなっちゃいます」
「マジか・・・」
「3年生やってもいいかな? って思ってたのですが、『VDPプロジェクト』のみんなに猛反対されまして」
留年か・・・精神的にきついだろうな。
しゅんとしていた。
「大丈夫だって、俺が教えるから」
「ありがとうございます。勉強もVtuberも全力でやります」
ゆいちゃが大きく頷いて、間違えた部分を書き出していた。
今は高校3年生の夏。巻き返す最後のチャンスだな。
後期では絶対赤点取らせないようにしないと。
チェックの多い数学の答案用紙を見ながら、ゆいちゃの解けそうなものを考えていた。
 




