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アナベル・ブラウン。
乙女ゲーム「灰かぶりと5人の王子様」に出てくる登場人物の一人。
このゲームの主人公でありヒロインのリリアは、元はとある小国のお姫様なのだが、国が滅んでしまい16歳で亡命する。
その亡命先というのが、親同士で付き合いがあったというこのブラウン家なのだ。
そして、たった1人の従者と共にブラウン家に訪れたリリアを、アナベルはあの手この手で虐め抜く。
リリアの従者を拷問したり、召使いまで巻き込んで彼女に暴力と嫌がらせをしまくったのだ。
紛うことなき悪役令嬢、それが、アナベル・ブラウン。
その後、リリアは攻略対象たちに助けられ、彼らとの愛を育みながら幸せを掴み取る。
そして、アナベルを含むブラウン家は没落する。
それはもう、底の底まで堕ちる。
ちなみに、私は前世でこのゲームのファンディスクもプレイしている。
ファンディスクというのは、本編の後日談とか、他のキャラの回想とか、特別なボイスとかストーリーが入ってるやつのことだ。
大体は、主人公と攻略対象のラブラブっぷりを見せつけられて終わるのだが、このゲームも例に漏れずそうだった。
アナベルは没落したまま、ブラウン家に救いはないまま、この物語は幕を閉じる。
当時は別に気にしていなかった。
私にとっては、リリアと攻略対象が幸せならそれでいいと思っていた。
でも今は違う。そりゃそうだ。
だって私がアナベル・ブラウンなんだもん。
このまま行けば没落待ったナシの詰みゲーだもん。
私は、鏡に映るアナベル・ブラウンを凝視した。
前世の家族や友人はどうしてるとか、私が死んだ後どうなったとか、どうせ死ぬならもっと贅沢して死んでおけば良かったとか、いろいろ考えることはある。
だが今は!目の前の人生!
私だけバッドエンドなんて悲しすぎる。
それに、アナベルの両親も悪い人ではない。
ちょっと親バカすぎるところはあるが、アナベルのことを大事にしてくれる良い両親だ。
家が没落するということは、両親も不幸になるということ。それは嫌だった。
「じゃあ、私はどうすればいい…?」
見た目は子ども、頭脳は成人女性、その名もアナベル・ブラウン。導かれる答えは一つだった。
「リリアと仲良くすること」
そう、そうだ、ヒロインであるリリアに意地悪なんてしなければ、ブラウン家は没落しない。
そもそもリリアは私の推しである。
意地悪なんてしたくてもできない。
というかこれって、リリアと攻略対象達の恋模様を、間近で見られるチャンスなのでは?
ゲームでは語られなかった、彼らのあれやこれやのキャッキャウフフな光景が見られてしまうのでは?
えっ、めっちゃ良くない?
推しと推しの恋を応援する友人ポジション、最高なのでは?
没落の悩みは一瞬で吹き飛び、私は顔のニヤつきを抑えきれないでいた。
リリアはThe 女子という感じの可愛い女の子だ。
そして攻略対象たちも、乙女ゲームの冠に恥じないイケメン揃い。
いいじゃないか、友人ポジ。
よし、それで行こう。
決意を新たにしたところで、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「お嬢様、大丈夫ですか?具合でも悪いのでは…」
「あっ、いや、違うのよ」
私は慌てて鏡から離れると、部屋の扉を開けた。
そこには、どこか怯えた様子のグレースが立っていた。
彼女は私付きのメイドだ。
まだ二十歳になったばかりで、ブラウン家に来たのも最近。
アナベルがあまりにもワガママなせいで、すぐにメイドが辞めてしまうため、急遽新人メイドがあてがわれたのである。
「馬車を待たせているのにごめんなさい、遅くなってしまって」
「い、いえ、その」
グレースは少し戸惑うような顔で私を見た。
そうだ、私は…アナベルは、今まで召使いに謝ったことなどない。
口を開けば嫌味や罵倒、いくらグレースが新人とはいえ、アナベルがどんな人間なのかは既に理解しているはずだ。
しかし、今の私は前世の記憶を持っている。
今までのアナベルのままではいけないのだ。
「行きましょうか」
私は密かな覚悟を胸に、グレースと馬車へ戻った。