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前世の記憶、なんてものは、大抵その人の思い込みか、嘘だと思っていた。
今日、この時までは。
「お嬢様、どうなされました?」
メイドのグレースに声をかけられ、私は我に返る。
私の名はアナベル・ブラウン。
ブラウン家の一人娘で、今年で12歳になる。
資産家である父と母には蝶よ花よと可愛がられ、好きなものは何でも与えられ、自分が望むことは全て叶うのだと信じて疑わずに生きてきた。
そして今日も、父から貰ったお金で新しい洋服を買うべく、街へ繰り出そうとしていたところだ。
既に目の前には馬車が用意され、お乗りくださいお嬢様と言わんばかりに扉が開かれている。
いや実際に「お乗りくださいお嬢様」って言われた。
言われたのだけどね?
問題は、この馬車に乗る直前……もっと具体的に言うと、馬車に乗るために右足を上げた瞬間に……私の前世の記憶と思われるものが、突然頭に溢れたこと。
私はそっと足を戻すと、横に控えるグレースに微笑みかけた。
「忘れ物を思い出したから、少し待っていてくださる?」
そう言って、私は早足に御屋敷へ戻った。
なんで今?なんでこのタイミング?
言いたいことは山ほどあるが、とりあえず大混雑中の頭の中を整理する。
私の前世は、なんてことない、普通のOLだった。
普通に進学し、普通に就職し、特に向上心もなく20数年ぐらい生きた…と思う。
そんなある意味幸せな人生は、突然歩道に突っ込んできた自動車によって全て消し飛んだ。
そこから先の記憶はない。
そりゃそうだ、多分そこで私は死んだのだから。
そして、今。
「アナベル・ブラウン……」
自室の鏡には、私の…アナベルの姿が映っている。
長くウェーブした赤髪に、燃えるような赤い瞳。
今着ているドレスも赤を基調としたもので、どこからどう見ても気の強そうなお嬢様。
事実、私はワガママだった。
召使いに対しても、誰に対しても、上から目線で傲慢な少女である。
しかし、前世の記憶を思い出した私は、もはやアナベルにあらず。
どちらかというと前世寄りの、人に合わせてそつなく適当に生きていくタイプの私が、今の自分である。
そしてこのアナベル、なんと私が前世で好きだった乙女ゲームの登場人物である。