青写真はセピアに褪せて【「虹色異譚集」企画】
六期三十年に渡るはずだった都市計画は、バブル崩壊の影響により、一期で凍結されたままになった。
都心から離れた郊外にあるこの街は、何もかもが中途半端なままになった。
加えて、それから二十年以上は、先の見えない右肩下がりの不況期。
そんな街で少女期を過ごした私には、自ずから高望みせず諦める癖が身に付いた。
リーマンショック直前に高卒で入った街の市役所では、毎日毎日、誰がやっても変わらない仕事が回ってくる。
就職した当初は、ひたすら書類に市民課の判を捺しながら、判で捺したような毎日だと溜息を吐いたものだ。
だが、ついに元号も令和に変わった。ついでに、大台にも乗った。
昼休みに代わり映えしない同僚たちと半径三メートルの噂話に終始しながら、このまま老け込んでゆくのかと考えると、眼前が暗闇に包まれたような気持ちになる。
そのうち一人暮らしして、そこそこ素敵な彼氏を作って、ゆくゆくは結婚して、なんて考えていた過去の自分の甘さを叱りたい。
縁談が全く無かった訳ではないが、当時は入庁三年目で、まだ早いと思って断ってしまったのだ。
まさか、それからパッタリと見合い話が舞い込んで来ないとは予想していなかった。釣り逃した魚は大きい。
「すみません。求人票は、そこに有る分で全部……なんだ、ミサキじゃないか」
そんなツマラナイ生活の真っ只中へ、かつての幼馴染、ショウジが職を求めにやってきた。
高校卒業後に上京した彼は、心なしか、夢破れてすっかり傷心しているようだった。
役場では他人の目があるので事務的に応対したが、あまりの求人票の数少なさに落胆して帰ったショウジのことが、そのあともなかなか頭を離れなかった。
そのことで、どこかうわの空になっていたのか、女子会で陰険ダサ眼鏡と呼んでいる課長から小言が飛んできた。
おかげで、そのあとはモチベーションがダダ下がりだった。これが金曜日の午後だったのが、唯一の救いだろう。
そして、帰り道。かつての気力を取り戻して欲しいという私情を抑えきれず、とうとうアポ無しで彼の実家へお邪魔してしまった。
小母さんは、ショウジが戻って来てるのを私が知ってることに驚いたが、役所で会ったと話すと、すぐに彼を呼んでくれた。
窓口では素っ気ない対応だった私の訪問に、ショウジは意外性と疑問を感じたようだった。
引っ越しの荷解きが終わっていないそうなので、私たちは遊具もゴミ箱も無い児童公園へと移動し、ベンチに並んで腰を下ろした。
「ちょっと絵が上手だから、美術部へ入る。画塾に通って芸術大学へ進む。ここまでは良い。けど、いざ卒業を控え、その先に専門技能を活かせる働き口があるかといえば、ほとんど無いに等しい。かといって専門外の一般企業に就職しようとしても、どうして畑違いの弊社を希望するのかと言われれば詰みだ。よほどのイケメンでもない限り、専業主夫になれるものでもない」
どうやら、夢の都会生活は、思い描いていたものとは大きくかけ離れていたものだったようだ。
しばらくは短期のアルバイトを転々としつつ、そこそこ有名な漫画家のアシスタントをしてたそうだ。
だけど、三十歳になっても収入不安定で、しかも、後から入った若いアシスタントが次々に公募で大賞を獲ってはデビューしていく。
その様子を、ただただ指を銜えて見てるしかない現実の理不尽さに、さすがに才能の差を突き付けられた思いがして、闘う体力も抗う気力も尽き果ててしまったらしい。
「それで、この街に戻って来たのね?」
「あぁ。これでも、出版社からの全くオファーが無かった訳ではないんだ」
「あら、すごいじゃない。どうして、断っちゃったの?」
「あんまり大きな声じゃ言えないけど、いわゆる、影武者だったんだ」
無理もない話だった。漫画も描けることを売りにしてキャラクター付けようとしてるくせに、その実、自分では枠線一本引いたことないアイドルの代わりなんて、私だってゴメンだ。
まぁ、処世術に長けてれば、それを足掛かりにデビュー出来たかもしれないのだけれど、ショウジは、そこまで器用な男じゃない。
「親父やお袋の言う通り、趣味に留めていた方が、よっぽど良かったかもしれない」
「そうね。でも、それは、あくまで結果論じゃない。何事にも、挑戦することに意義があると思うわ」
「ありがとよ。そう言ってくれるのは、ミサキだけだ」
秋の日は釣瓶落とし。ここまで話し込んでいる間に、すっかり日が暮れてしまった。
急に肌寒く感じ始めた私たちは、何を買うでもなしにコンビニへと移動し、適当に雑誌やらコスメやらを買って店を出た。
そして、ところどころテナント募集中になっている店舗が建ち並ぶ県道沿いを歩き、家へと向かう途中でのこと。
ショウジが、どこかはにかんだ表情で、唐突に話を切り出した。
「あのさ。あの日の約束、覚えてるか?」
「あの日って?」
「ほら。卒業式の翌日、駅で会っただろう?」
「あぁ、そんなこともあったわね。どんな約束だっけ?」
私が、わざととぼけたフリをすると、ショウジは、やや落胆しながら続けた。
「思い出せないなら、それで結構だ。忘れてしまったんなら、その程度の存在だってことだろうから」
「あら、そっちも諦めちゃうの? 三十になっても独身だったら結婚しよう、でしょ?」
「貴様、覚えてるくせに白々しい真似を」
レジ袋を持っていない方の手で、昔と同じように耳をつねられたので、私は急いで謝った。
「ゴメンゴメン。つい、試してみたくなっちゃって」
「騙されかけたこっちにしちゃ、いい面の皮だよ。それで、どうなんだよ?」
「どうって、何が?」
「同じ手は食わないぞ」
「はいはい、お答えしますよ。耳を放して」
引っ張られていた耳を軽くさすりつつ、私は願望を口にした。
「そうねぇ。どこか手堅い就職先が見つかって、ショウジが普通の勤め人になるって言うなら、考えなくもないわ」
「おいおい。あっさり言ってくれるけど、平均や平凡の枠から外れた俺には、なかなか難しい注文だぞ、それは」
「じゃあ、帳消しにする? 私は、どっちだって構わないわよ」
試すような口調で選択を迫ると、ショウジは、しばし腕を組んで悩んだ。
そうこうしているうちに、私の家の前に到着してしまった。
それをタイムアップだと考えたのか、ショウジは、こう言った。
「答えは、月曜日でも良いか?」
これが終業間際の課長からの返答だったら、愛想笑いで書類を未処理に戻しつつ、内心でめった刺しにするところだ、なんてことを思いつつ、私はアルミの門扉を開けながら言った。
「良いけど、朝イチでお願い。返事が気になるばっかりに、つまらないミスして課長にネチネチ怒られるのはゴメンなの」
「わかった。開庁時間は、九時だよな?」
「いいえ、八時四十五分よ。でも、来るのは九時で良いわ。どうせ、誰も来ないから」
「じゃあ、月曜九時で。またな」
これから始まる彼の仕事探しは、とんでもなく難航しそうな予感がする。
けれど、それと同時に、心のどこかでワクワクと期待に胸を弾ませている自分がいるのも、疑いようのない事実だ。
平凡でセピア色の閉鎖的な日常が、この瞬間から仄かに色付き始めた。
※本作は「同人誌『虹色異譚集』企画」参加作品です。
企画の概要については下記URLをご覧ください。
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1423845/blogkey/2352385/(「小説家になろう」志茂塚ゆり様の活動報告)
なお、本作は下記サイトに転載します。
http://nijiiroitanshu.seesaa.net/(「虹色異譚集」企画:seesaablog)