【9】
ミレーヌがマルシェに買い物に出かけると、予期せぬ人に出会った。
「あれ」
「あ」
相手も目をしばたたかせる。今日はちゃんと男の恰好をしているユーリだ。
「こんにちは」
「ああ、こんにちは。買い物?」
微笑んで話しかけてきたユーリは、ミレーヌの持っている紙袋を見て言う。彼女は「うん」とうなずいた。
「三日分の食材を買っておこうと思って。ユーリは?」
「メートルを探してるんだけどね」
はあ、とユーリはため息をついた。きっと見つからないのだろう。見つからないので、ユーリはミレーヌの荷物を持ってくれて、買い物に付き合ってくれた。
「ユーリの主人って、帝国兵が踏み込んできたときの背の高い黒髪の女の人よね」
「ああ、まあね」
見た目はまともなんだけどね、とユーリは再びため息。結構重症だ。
初めて会った時もその後も、ユーリは女装していた。ミレーヌはユーリの男装姿を初めて見るが、女性に見えるだけありかなりの美男子である。線の細い中性的な彼に、周囲の視線が突き刺さる。ミレーヌは何となく身を縮めていた。
「……あの人、エメ・リエルって偽名よね。シャルが本名?」
「こういうのは女性の方が鋭いよね、とだけ答えておく」
っていうことはエメ・リエルは偽名なのだろう。『シャル』は本名の愛称である可能性が高い。
「あと、前から気になっていたのだけど」
「何?」
じゃがいもを買って代金を払ったミレーヌは、ユーリを見上げた。
「ユーリの名前って、ファルギエール風じゃないわよね」
「……そうだね」
ユーリ・フェーヘレンと言う名はどちらかと言うとアイヒベルク帝国の響きに近い。
「僕は帝国出身なんだよ。と言っても、弱小民族の出でね。故郷はもともと自治区だったけど、帝国に制圧された」
「……なんかごめん」
「気にしてないよ。ミレーヌたちだって似たようなもんだろ」
ユーリはそう言うが、たぶん違うだろう。ファルギエールは占領されたとはいえ、自治を保っている。だが、ユーリの故郷はもう存在しないのだと思う。
そんな彼が何故エメ・リエルの秘書だか護衛だかをしているのかはわからないが、さすがにそこまで踏み込んでいいのかわからない。
「ミレーヌは家族と暮らしてるんだっけ」
「あ、うん。そう」
こくっとミレーヌはうなずいた。自分で振った話だが、話がそれたことにほっとする。
「へえ、いいね。何でミエル・ド・フルールで働こうと思ったの?」
「……私、兄弟が多いのよね」
「ちなみに何人兄弟なの?」
「七人」
「……それは多いね」
今時七人も兄弟がいる家は珍しい。地方などに行くと、それくらいの兄弟はよくいるらしいが。
「二年前の反乱で父が亡くなって、母は体が弱いから私が働かなきゃなって。初めは花屋と清掃の仕事をしてたんだけど、きついしその割に給料は少ないし。ミエル・ド・フルールの求人を見た時に『これだ!』と思って」
応募したら採用されたのだ。出資者がエメ・リエルだからと言う可能性もあるが、ミエル・ド・フルールは給料がいい。だから倍率も高かったのだが、なんと採用されたのだ。とてもうれしかった。
「前はこうやって買い物にもなかなか来れなかったんだけど、今は十日に一日は絶対休みがあるし、シフトによっては午後からの出勤だってできるし、余ったお菓子を持たせてくれたりするから、弟や妹たちが喜ぶの」
だから、マリアンヌたちには感謝している。ミエル・ド・フルールへの応募はほぼ給金に釣られたに等しいが、我ながら良い判断だったと思っている。
相変わらず生活に余裕はないが、弟妹達を腹を空かさない程度には食べさせてやることができる。
「……しっかりしてるね」
ぽつりとユーリが言った。ミレーヌは首をかしげる。
「別に、私はできることをしてるだけだし。できないことの方がずっと多いわ」
「そう言うところがしっかりしてるっていうんだよ」
ミレーヌは首をかしげてユーリを見上げた。そしてふと思い出す。
「そう言えば、エメ・リエルさんを探してたんじゃないの」
「……もういいよ。放っておいても死なないし、今夜あたりはさすがに戻ってくるでしょ」
「ってことは、昨日は戻ってこなかったのね」
自由だ。自由すぎるぞ、エメ・リエル。ユーリは苦労しているようだが、彼女を追うことを楽しんでいるような気もする。
「ミレーヌ。ちょっとディアボロでも飲んでいかないか」
「え、うん」
誘われて戸惑いつつもうなずく。マルシェの端に、ディアボロを出している屋台があった。ディアボロは弱い炭酸水にシロップを混ぜた甘い飲み物だ。ミレーヌはイチゴを、ユーリはレモンを選んだ。ちなみに、代金はユーリが支払ってくれた。大した金額ではなかったが、いわく、「女性に金を払わせるなど男がすたる、と教えられた」とのことらしかった。誰に言われたんだろう。エメ・リエルか?
「僕は、メートルに助けられたんだ」
ちょうどディアボロを口に含んでいたミレーヌは、それを飲みこんでから「そうなの?」と首をかしげた。ユーリはカップを片手に「そうなの」とうなずく。
「故郷が制圧されたあと、僕は人買いに捕まったんだ」
人身売買はファルギエールでも帝国でも違法であるが、裏社会ではそう言ったことはよくあるのだと聞く。ユーリもそう言う人たちに捕まったのだろう。
「もしかして、あの人人買いを全員ブッ飛ばしたとか……?」
あの剛毅な性格ならと思ったが、さすがにそれはなかった。
「いや、言い値で僕を買った」
「……いや、それも豪胆ではあるけど」
思ったのと違う。力に物を言わせたのではなく、金に物を言わせていた。何でも彼女はファルギエールでも有数の資産家であるらしい。
「僕を引き取って、勉強を教えて、守ってくれたのはあの人だ。だから、とても感謝はしているんだ」
だけど、とユーリは空になったカップをミレーヌから受け取る。これは店に返すのだ。
「すぐに行方不明になるのはね……」
「……大変だね」
そうとしか言いようがなくて、ミレーヌはそう言ったのだった。
カップを店に返し、買い物は終わったミレーヌは家に帰ることにした。荷物はユーリがほとんど持ってくれた。
「家の前まででいいよ。っていうか、うち、集合住宅だけど……」
以前二人で乗り込んだことのある集合住宅に比べると格段に質が劣る。ミレーヌはそう告げたのだが、ユーリは「そうか」と答えただけだった。
「僕はメートルに買われるまでは非人間的な生活をしていたし、別に気にしないけどね」
気を使っているのではなく、本当にそうなのだろうなぁと何となく察した。
「たっだいまー」
「お邪魔します」
家に戻ると、弟妹達が「姉ちゃんお帰り!」と駆け出てきた。そして、ユーリを見て硬直した。
「……誰?」
一番上の弟が言った。十三歳の少年だ。買い物に行っている間、幼い弟妹の面倒を見てくれていた。彼は郵便配達の仕事に出かけることもあるが、その仕事はたいてい午前中で終わるのである。
「彼はユーリ。ええっと、私の友達よ」
「友達……? っていうか、男なんだな」
「彼、確かにミレーヌの弟だね」
ひそかにミレーヌがユーリを女と間違えていたことを根に持っているらしいユーリがささやいてきた。その節は悪かったと思っているのだ。一応。でも、これだけ美人なら女性だと思っても仕方がないのではなかろうか。
めったにお客様が来ない家だ。来客に弟妹達がはしゃいでいる。ユーリは一応、中流階級程度の恰好をしているが、弟妹達の目には高級な服に見えただろう。それに美形だ。面食いの妹がユーリにあれこれ話しかけている。ユーリも子供の相手は慣れているらしく相手をしてくれるので、その間にミレーヌは買ってきたものを片づける。
「ミレーヌ、戻ったの?」
奥の寝室から母が顔をのぞかせた。そして、小さな子供たちと遊んでいるユーリを見て「まあ」と声をあげた。一番下の妹を抱き上げていたユーリは、妹を抱いたまま立ち上がり「お邪魔しています」と微笑んだ。
「あらら、お客様に、ごめんなさい。ミレーヌのお友達さんかしら」
ミレーヌはキッチンから顔をだし、「そうよ」と返事をする。
「職場関係の人。ユーリっていうの。ちなみに男の子だよ」
「きれいな方ね」
母はおっとりと微笑む。ユーリも目を細めて笑っていた。
「ごめん。お茶、あんまりいいやつじゃないんだけど」
一応お客様なので、ユーリにお茶を出す。彼は「気にしなくていいのに」と笑っていたが、ミレーヌの気が収まらないので飲んでもらった。
荷物運びで立ち寄っただけのユーリだったが、すでに弟妹たちになつかれている。いろんな場所を旅してきた彼の話は、弟妹たちを喜ばせた。
「またきてね、ユーリ!」
妹が帰っていくユーリに向かって言った。ユーリは何も言わずに手を振った。めちゃくちゃ気に入られているじゃないか。
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