【8】
今回はユーリ視点。
ユーリのぶっ飛んだ主人は自身がオーナーを務めるカフェ『ミエル・ド・フルール』にいた。
名義上はエメ・リエル、仲間内からはシャルと呼ばれる彼女は店の二階の事務スペースに上がると、勝手に窓を開けた。ここの出資者は彼女なので、店長であるマリアンヌも何も言わない。
「ユーリ、報告」
細い瀟洒なパイプを取り出し、エメ・リエルはユーリを示す。そろそろ禁煙させたいのだが、基本的に力関係はエメ・リエルの方が上なので、うまくいったためしがない。
「シャルル一世記念公園で反乱者……まあ、僕ですけど、が、見つかったと言う知らせが帝国軍に届き、追われました。その時女装して行けって言われたんですけど……」
ユーリがじろりとエメ・リエルを睨むと、彼女は平然と微笑み、パイプをふかせていた。まあ、窓を開けた時点で察していたけど。
「シャル。あなた、ユーリをおとりに使ったわね。おかげで、クラリスは助かったけど」
「クラリス?」
いつも通りため息をついたマリアンヌであるが、ユーリはそこに出てきた人名が気になった。誰だ?
「誰ですか、クラリスって」
「エリゼが連れて行った女性よ。この店にずっと同じ時間に通っていたの。待ち合わせをしているとかで」
「ああ。メートルが調べていたのはそれですか」
ユーリは何となく納得してぽん、と手をたたいた。
「誰と待ち合わせをしていたんでしょうね」
何気なく尋ねると、返答があった。
「旦那さんだそうだ。だが、彼女の夫は二年前の地方反乱の時に亡くなっている」
「……どういうことですか」
「何それ。ホラー?」
ユーリとマリアンヌが顔をしかめてエメ・リエルを見た。彼女はにやりと笑う。
「利用されたのだよ。帝国軍は、この店を調べる理由が欲しかったのだろう」
エメ・リエルの言葉にマリアンヌが顔をしかめる。
「……わたくしたちのことがばれたと言うこと?」
「それはないな。ばれているのであれば、問答無用で踏み込んでくるだろうからね。ただ、怪しいとは思っていると言うことだが」
エメ・リエルがパイプを吸い、煙を吐き出す。それが妙に様になっている。
二年前、帝国に対する反乱が起こった。地方で起こった小さな反乱で、その折にクラリスの夫が亡くなったそうだ。そして、その反乱で亡くなった人の名前は、帝国軍にも記録されているのだろう。
『ミエル・ド・フルール』に捜査の手を入れるための手段として、クラリスは巻き込まれた。ユーリは少し目を伏せる。
「……でも、何故亡くなっているとわかっているのに、手紙を本物だと思ったのでしょう」
クラリスは手紙で毎日二時に『ミエル・ド・フルール』に行くように指示されていたらしい。正確には、「会えるまで」とのことだったが。
亡くなっていることはわかっているのに、何故彼女は待ち続けたのだろう。それに答えたのはマリアンヌだった。
「……わかっていても、もしかしたら、とすがってしまうのよ。今でも、ひょっこり現れて『驚いた?』って笑っているような気もするもの」
祈るような言葉に、ユーリは沈黙した。七年前の侵略戦争で、マリアンヌは夫を亡くしたのである。大切な人を失ったのは、エメ・リエルも同じ。
「理解していても、受け入れられないことだってあるんだよ」
「……メートルもですか」
「ああ。だから私はこうしてここにいる」
細められた青灰色の瞳は優しげなのに、どこか狂気が潜んでいた。
そんな彼女は、ふと目をしばたたかせると、携帯用灰皿を取り出しそれに灰を入れた。パイプは布でくるみ、二つとも懐にしまう。
「行きますか?」
主人の動きを見てユーリは尋ねた。しかし、エメ・リエルは「いや」と首を左右に振る。
「あとで例のところで合流。先に行ってるから」
「ちょっと!」
エメ・リエルが窓から飛び降りた。逃げられた! このために窓を開けていたのか。追ってもいいが、ユーリはウィッグとワンピースを身に着けたままであるし、エメ・リエルが本気で逃走したらユーリでも捕まえられない。
「……相変わらずねー、あの子。逃げたってことはジスランが戻ってきたのかしら」
「……なんて説明すればいいんでしょう」
「ありのままに言えばいいわ。あなたは悪くないんだもの。それに、例の場所でって言ってたんだから、戻ってくる気はあるんでしょ」
マリアンヌは慣れているのかそう言った。さすがに十年を越える付き合いになると、悟りを開けるのだろうか。ユーリも精進しなければ。
マリアンヌが階下に降りるのについてユーリも降りた。そこには騎兵隊の隊服を着たジスランと、ギャルソンの恰好をしたエリゼがいた。二人とも、戻ってきたらしい。
「ああ、ユーリ。無事に逃げていたか」
「……おかげさまで」
ユーリがおとりになったことに気付いていたジスランはそう言った。エリゼが「クラリスを送ってきたよ」と報告する。
「そう。よかったわ。二人とも、お疲れ様」
マリアンヌがニコリと笑い、コーヒーでも淹れようか、と言った。ユーリがあわてて交代する。
「それで……あいつはどうした」
相変わらず抽象的な言葉だったが、ユーリをはじめその場の全員に通じた。
「逃げたわ。窓からひらりと」
マリアンヌが簡単に説明すると、ジスランは「ちっ」と舌打ちした。
「あの女、逃げやがったか」
「完全に避けられてるねぇ。もうどれだけ顔合わせてないんだっけ」
エリゼの問いに、ジスランは「そろそろ一年になる」と言った。ユーリはコーヒーを入れながらため息をつく。何をやっているのだろう、あの人は。ここ一年、ずっと彼女と行動を共にしていたユーリは不可思議な主人の行動が理解できない。
何度か、ユーリもエメ・リエルを捕まえようとしたことはある。だが、いつもうまくいかないのだ。身体能力的な問題ではなく、判断力と魔法の使い方のせいだと思う。たぶん。身体能力で負けていたら泣く。
「……あの子も、よく逃げ回るわね。でも、領地やこっちの屋敷には顔を出してるんでしょ」
「俺がいないときにな。だから余計に腹立つんだよ……!」
その一端を担っているユーリは、沈黙した。エメ・リエルの補佐であり護衛でもあるユーリは彼女と行動を共にすることが多い。たまに……いや、結構な確率で撒かれるけど。
「そう言えば、例の場所ってどこ?」
マリアンヌに問われ、コーヒーを彼女らの前に置いていたユーリはびくっとした。その反応にジスランがユーリをじろりと睨む。いや、表情ほど怖い人ではないとわかっているが、目つきがよろしくないので結構ビビる。
「……アポリネール救貧院です」
エメ・リエルが支援している福祉施設だ。彼女はその才覚で商売を行い、商会を発展させたが、他にも民間福祉施設や学校などを経営していたりする。その商売で得た利益を投資しているのだ。この辺り、彼女は本当に才覚があるのだなぁと思う。
彼女は才能あふれる女性だが、その分、何かが欠落している気もする。
「一応、『例の場所』はそこですが、僕も置いて行かれている可能性が高いですね」
「……あいつは……」
「本気で首輪付ければ?」
「考えておく」
言うマリアンヌも大概だが、本当に首輪を付けそうなジスランも相当やばいやつだ。
「ユーリにも苦労かけるな」
「あ、いえ」
ジスランに言われ、ユーリは首を左右に振った。苦労も多いが、楽しいことも多い。彼女に買われる前はひどかったのだ。
「……本当は僕が引きずって連れてくればいいのかもしれないですけど」
「まあ、無理だな」
「……戦闘民族としては情けないですが」
だが、そのおかげで彼女はまだしっぽをつかまれていない、と言うのもある。
「ひとまず、救貧院には行ってみます」
と言うことで、ひとまず女装を解いて向かったのだが。
「やっぱりいないし!」
エメ・リエルはいなかった。
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