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【5】









 ミレーヌが『ミエル・ド・フルール』で働くようになってから二ヶ月が過ぎようと言う頃、副店長エリゼは彼女にこんなことを言った。


「ミレーヌ。明日なんだけど、夜のシフト、出られる?」


 夜のシフト。つまり、酒を提供する時間に出られるか、と言うことだ。『ミエル・ド・フルール』は昼はカフェ、夜はバーとして酒を提供しているのだが、ミレーヌは夜の時間帯に出勤したことがない。まだ十六歳なので、教育上よろしくない、とのことだった。ちなみに、夜の方が昼よりも時給が高い。昼であっても時給はいい方であるが。


「えっと、出られますけど……」


 とくに予定はない。弟妹達がぐずる可能性はあるが、母がいるので大丈夫……だと思う。たぶん。エリゼがほっとした表情になった。

「良かった。急に人が足りなくなってね。ああ、もちろん、帰りは誰かに送らせるから心配しなくていいよ」

「いや、別に一人でもいいですけど」

 小娘一人、そんなに心配することはないと思うのだが。そう思ったミレーヌとは対照的に、エリゼが苦笑を浮かべる。


「いや、王都は物騒だからね。昼間だって一人歩きをさせたくないくらいだよ」


 昔はこんなにひどくなかったんだけどね、とエリゼはため息をついた。彼の言う昔とは、きっと、帝国に占領される前のことだ。ミレーヌは小さかったので、そのころの記憶はほとんどない。

 そんなわけで翌日。ミレーヌはいつもより遅い時間に出勤した。と言っても、夕刻に差し掛かるか、と言うくらいの時間だ。そして、ミレーヌにとっては珍しいことに、店長に遭遇した。

「お久しぶりです、店長」

「あら、久しぶり。確か、ミレーヌだったわね」

「はい!」

 名前を憶えていてくれたことに、ミレーヌは感動して元気いっぱいにうなずいた。従業員は三十人ほどと少ないとはいえ、あまり会わない人の顔と名前を一致させるのは大変だ。だが、店長は覚えていてくれた。


 『ミエル・ド・フルール』の店長はマリアンヌ・エベールと言う赤毛の女性である。三十代前半と見える妖艶な女性で、長い赤毛と大きなとび色の瞳が魅惑的だ。この容姿を生かして……なのかはわからないが、夜のシフトにいることが多いので、ミレーヌはあまり面識を得ないのだ。

「今日はよろしくね」

「はい!」

 どこまで戦力になれるかは不明だが、気合を入れて臨む所存である。

 いざ、夜のバーが開店である。やることは昼間とそれほど変わらないが、客数が多いし、注文が飛び交う。ホールに出たミレーヌは忙しさに目をまわしながらカウンターを行き来していた。


 しばらくすると、注文も落ち着いてくる。そこでほっとカウンターからホールを眺めていると、店に新しい客が入ってきた。


「いらっしゃいませー」


 笑顔で軽く言ったミレーヌであるが、客の顔を見た瞬間、その笑みは固まった。

 細身の男性だった。ダークブロンドの髪にヘイゼルの瞳をした端正な顔立ちの男性で、黒のコートに身を包んでいる。いや、きれいな人なのだが、なんと言えばいいのだろう。怪しいと言うか、危ないと言うか……そう言う雰囲気があるのである。


「あら、ジスランじゃない。久しぶりね」


 気さくに声をかけたのはマリアンヌである。ジスランと呼ばれたその客はカウンター席に座るとマリアンヌに声をかけた。

「久しいな、マリアンヌ。息災か」

「一応ね」

 マリアンヌが笑って答える。どうやら旧知の仲であるらしい。

「繁盛しているようで何よりだ」

 ジスランは印象に反する深い、落ち着いた声音で話す。その声だけ聴いていると、意外といい人なのかもしれない、と思う。


「それで、あいつは見ていないか?」


 あいつ? と思いながらミレーヌは奥の厨房に料理を取りに行く。マリアンヌの返答に耳を澄ませた。

「あたくしは見ていないわ。でも、エリゼが見たって言っていたわ」

「……あの野郎。また顔を出さずに……」

 ちっと舌打ちが聞こえた。ジスランだろう。マリアンヌがころころと笑った。


「あんたたち、相変わらずなのね。でも、エリゼも見たのはひと月くらい前だったはずだから、どちらにしろもういないわね」


 再び舌打ちが聞こえた。ミレーヌはトレーに料理を乗せてホールの席まで運ぶ。その際に怒涛の注文を受けて、それを何とかメモして厨房に戻った。

「すみませーん。追加注文です」

「はーい。読み上げてくれ」

 厨房スタッフからそう言われて、ミレーヌは注文を読み上げる。それから一人分の料理を渡される。

「これを店長のところのお客さんに出して」

「……わかりました」

 ミレーヌは少しためらいながら肉料理の皿を受け取り、カウンターに戻った。マリアンヌに声をかける。

「あの、料理を」

「あら、ありがとう。出してくれる?」

 と言われたのでその男性の前に料理を置いた。男性、ジスランは料理を見て「ありがとう」と告げる。怪しそうな外見に反して礼儀正しい……意外と貴族なのかもしれない。何となく、そう思った。

「見ない顔だな。新人か? というか、若いな」

「二か月前に入った子よ。まだ子供だからあまり夜は出ないんだけど」

「その方がいいだろうな」

 子ども扱いされてちょっとムッとしたミレーヌであるが、一応、自分がまだ未熟で子供の域を抜け出していない自覚はある。それに、若い女性が夜の酒場などで危ない目に合うことも聞いているので、マリアンヌとジスランが良識のある人間なのだと言うことが分かった。


「ミレーヌ、この怖~いお兄さんに何かもう少し料理を持ってきてあげて」

「何でもいいんですか?」

「ええ」


 マリアンヌがうなずくのでミレーヌは「わかりました」と答えたのだが、ジスランから「待て」と言われる。

「気を遣わなくていい。ここで夕食をとるつもりで来たわけじゃねぇからな」

「じゃあ何しに来たのよあんた。あの子の行方を聞きに来ただけ?」

「……」

「図星かい!」

 マリアンヌはジスランにツッコミを入れた。いや、ミレーヌもちょっと思ったけど。

「まったく、あんたたちはいつまでそうしているのかしらね……」

「あれが勝手に逃げているだけだ」

「顔を合わせづらいんでしょ」

 しれっと言ったマリアンヌをジスランが睨んだ。かなり凶悪な表情だが、マリアンヌはどこ吹く風だ。


「おい、客の言うことが聞けねぇのか!」


 唐突に上がった声に、視線がそちらに向く。酔っぱらった男性客が、女性店員に絡んでいた。どういう状況だ、と思っていると、客の方から説明してくれた。

「ただ隣に座って酒ついでくれればいいんだよ。店員だろ? それくらいしろよ」

「いえ……うちではそう言うサービスは……」

「んだと。客を大切にしろよ!」

 ミレーヌはあわてて間に入るべくカウンターを降りようとする。しかし、マリアンヌがその腕をつかんだ。

「待ちなさい」

 ふと見ると、すでにジスランが立ち上がっていた。まっすぐに迷惑な客の方へ向かって行く。

「おい。勘違いしているようだが、この店はただ料理と酒を楽しむための店だ。そう言うことをお望みなら別の店に行け」

「お前! 誰に向か……って……!」

 騒いでいた客はジスランを見上げておびえた表情になった。それから静かになる。

「わかればいい。もういいぞ」

「は、はい」

 店員の方も、ちょっとビビっていた。マリアンヌの様子を見る限り、彼は常連っぽいのだが。


 ミレーヌはカウンターに入ってきた彼女に声をかける。

「大丈夫?」

「え、ええ、大丈夫。ありがとう」

 彼女は微笑み、厨房に入って行った。注文された料理を言いに行ったのだ。カウンターではマリアンヌが戻ってきたジスランに礼を言っている。

「ありがとう、ジスラン。お礼に一杯サービスするわよ」

 朗らかに言ったマリアンヌに、彼は少し考えるそぶりを見せたが、結局「いただこう」と言った。









ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


進みが亀並みに遅いです。


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