【3】
からからん、とドアベルが鳴った。ミレーヌは反射で「いらっしゃいませー」と声を上げる。振り返ったミレーヌは「ああっ」と声をあげた。
「ジゼル!?」
「ミレーヌ、お久しぶりね!」
華やいだ声をあげたのは、金髪の正統派美少女ジゼル・ヴァロンだ。一度ミエル・ド・フルールが閉店になった時、劇団に籍を移した少女だ。美少女だし、性に合っているのなら構わないと思う。
ちなみに、この劇団は反帝国過激派の息がかかっていたが、彼らはいつの間にか勢力を激減させていた。たぶん、シャルロットが背後から手をまわしたのだろう。
というわけで、現在はただの劇団ボワモルティエ・シアターである。そして、ジゼルはその一団員だ。
「……変装とかいいの?」
「あたし、そんなに有名じゃないもの」
しれっとジゼルが言った。彼女はにっこりと笑って言った。
「いつか、変装しないと出歩けないくらい有名になってやるんだー」
よい気概であるが、変装というあたりで二人が思い浮かべたのは一人の女性だ。現在、手の届かないところにいる人。というか、もともとほいほい出歩ける立場ではないはずの人。
帝国支配下にあるときはその反乱活動が見つからないようにするために、身を隠す意味合いもあったのだろう。ミエル・ド・フルールに来るときは、いつも中途半端な男装だったが、気合を入れて返送すると秘書のユーリでもなかなかわからない、ということだった。確かに、着飾った姿と比べると、本当に同じ人間なのか、と思うくらいには差があった。
まあ、それは良い。
「ミレーヌ。人が少ない時間だとはいえ、あんまりしゃべりこみ過ぎないようにねー。ジゼル、いらっしゃい」
ひょこっとキッチンから顔をだし、エリゼが笑った。ミレーヌは「すみませーん」と言って、食器を片づけに行く。ジゼルが手伝おうとやってきて、ちょっと焦った。
「ジゼルはお客さんでしょ。カウンターでコーヒーでも飲んでなよ!」
「うーん、ずっとここで働いてたから改めてお客さんって言われると、とっても変な感じ!」
「はい、お客さん。何にします?」
ノリの良いエリゼがカウンターから身を乗り出して尋ねた。ジゼルがメニュー表も見ずに「じゃあ、カフェオレと桃のタルトをくださ~い」と頼んだ。
エリゼのコーヒーはおいしいらしい。ミレーヌはコーヒーの良さがあまりわからないが、夫にカフェイン中毒と呼ばれた変装上手の女性シャルロットは、エリゼのコーヒーはおいしいと言っていた。今、カフェイン禁止中らしいが。
カフェオレも桃のタルトも比較的安価な商品だが、多くの平民にとってはちょっと贅沢な価格設定のミエル・ド・フルールである。ジゼルも一般的な平民階級の出身であるが、ちょっと贅沢ができるくらいの給料はもらっているということなのだろう。
カフェオレを注文したジゼルであるが、苦かったのか砂糖を足していた。エリゼがそれを見て苦笑を浮かべる。
「まだちょっと早かったかなぁ」
「……雇用主はどうだったんですか」
ジゼルがむっとしたように尋ねる。エリゼは遠い目をした。
「あの子が君たちくらいの時は、とてもこんなにのんびりできるような状態ではなかったからね」
「……」
思いがけず重い話になってしまった。かつてのエリゼならこんなことは言わなかっただろう。帝国の占領下にあったからだ。気軽にこんなことを言えるのも、シャルロットがファルギエールを解放したから。
「……というかジゼル。急にどうしたの?」
ミレーヌが尋ねると、ジゼルは「良く聞いてくれました」とばかりに微笑んだ。
「あのね、じつは、今度宮殿で公演することになったの」
「宮殿って、ミストラル宮殿?」
「そうですよ」
宮殿と呼ばれる城はいくつかあるが、ミストラル宮殿は王都コデルリエにある現在王宮として使われている宮殿だ。つまり、国王フランソワとか、王太后マリアンヌとか、内務省長官フィリドール女公爵がいたりするところだ。
「な、何故にそんなところで公演を……」
「まあ、ボワモルティエ・シアターはシャルが出資してるらしいけど」
エリゼが首を傾げて言った。ミレーヌも首をかしげる。
「今もしてるんですか? ってか、レーネック・カンパニーはそのままなんですか?」
「あの子が手放さない限りはね」
ということは、今もシャルロットが取りまとめをしているのだろう。彼女は多くの慈善事業を行っているし、いきなり資産を切り捨てるようなまねはしないか。何しろ、金はなくても何となるが、あったほうがよい、とか言った女だ。
話を戻して。
「まあ、よくわからないけど、誰か招待客を連れてきていいっていうから、ミレーヌ、どうかなって思って」
「……」
何となく覚えのある流れだ。ジゼルが初めて舞台に立った時も、こんな感じでチケットを押し付けられたっけ。
「ちなみに、その後に舞踏会もあるらしいわ」
「……行かない」
ちょっとお城と言うものに入ってみたい気もするが、貴族がたくさんいるところに入って行く気にもなれない。
「エリゼさん、誘えばいいじゃない。奥さんも連れて行けるんでしょ」
「おっと残念。すでに声をかけられてるからね。絶対に警備要員だけどね」
それもそれでどうなのか。たぶん、シャルロットがジスランあたりが声をかけたのだろう。
「ふ~ん。まあいいわ。気が変わったら教えてね」
「変わらないと思うけどわかったわ」
ミレーヌがうなずいたのを確認して、ジゼルは微笑んだ。その後、彼女は桃のタルトを平らげて店を出て行った。ミレーヌはエリゼを見上げる。
「なんで宮殿で公演なんですかね」
「たぶん、平民を宮殿に招き入れる口実が欲しいんだ。公演のあと、舞踏会があると言っていただろう。フランソワ様に同世代の子を引きあわせたいんだろうけど、大義名分がないと貴族と平民の間には壁があるからね。……まあ、シャルのことだからもっと先のことを考えているのかもしれないけど」
「……エリゼさん……もはやどこからつっこんでいいのかわかりません……」
ミレーヌの引き気味の言葉に、エリゼは笑ってその頭をぐりぐりした。
「いいこだね、ミレーヌは」
「そうでしょうか……雇用主の考えていることもわかりませんし、エリゼさんが頭がいいということにビックリしました」
「いや、それは普通に失礼だよ」
そう言いながらも、エリゼが怒ったりしなかった。からんからん、とドアベルが鳴り、お客さんが入ってきたので会話は終了だ。
ミレーヌは二年前に父親を亡くしているが、たまに、エリゼが父親のように見えることがある。父よりかなり若いが、なんというのだろうか。雰囲気だ。
優しいし、ユーモアもあるし、お父さんみたい、と言ったらまだ若い彼はショックを受けるだろうか。
その日、帰宅したミレーヌは、ジゼルから聞いた宮殿で公演をする、という話に思わぬ方向から巻き込まれることになった。
「ただいまー」
「あ、お帰り、姉ちゃん」
アランが帰ってきていた。ミレーヌも彼も、帰宅時間はまちまちである。貴族の屋敷では住み込みの仕事が当たり前だろうに、彼はきっちり帰ってくる。ユーリに確認したら、そう言う契約なのだそうだ。
「なあ姉ちゃん。俺、今度宮殿に行けることになった!」
「……はい?」
どこかで聞いたような話に、声を上げるしかないミレーヌであった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
流石にそろそろ完結ですかねー。