【2】
仕事が休みの日、ミレーヌはマルシェを訪れていた。買い物に来たのもあるが、待ち合わせをしていたのである。
「あ、ユーリ!」
「ミレーヌ」
最近そうであることが多いが、ユーリは男装していた。いや、男だからこちらの方が正しいのだけど。今のところ、ミレーヌが会うユーリは、男装女装半々くらいである。
「ごめんね。来てくれてありがとう」
ミレーヌが首相に言うと、ユーリは軽く笑った。
「これくらいのわがまま、メートルに比べたら大したことないよ」
一体、彼の主人は普段どんな振る舞い方をしているのだろうか。身ごもったということで、周囲の監視は厳しいらしいが。先日、ふらっと一人で抜け出したことでより監視の目は厳しくなっているという。特に、夫ジスランの。
「弟さんが心配?」
ユーリが面白そうにミレーヌを眺めて尋ねた。彼女はうーん、とうなる。彼女がユーリを呼び出したのは、弟の様子を聞くためだった。
「私より頭のいい子だし、仕事内容についてはそんなに心配してないんだけど、あの子、生意気でしょ」
「あの家はメートルを育み、その夫としてジスラン様を受け入れた家だよ。ちょっと生意気な子供くらい、大したことないよ」
「……ユーリ、あんた、自分の主人夫婦のことなんだと思ってるのよ……」
ミレーヌはさすがに呆れてツッコんだ。扱いが雑すぎるだろう。
「一応これでも、僕はメートルを尊敬しているし、感謝しているんだよ」
「うん、まあ、そうなんでしょうけど」
それでは相殺できないくらい、普段のふるまいがひどいということだろうか。
「アランなら大丈夫。しっかりやってるよ。確かにちょっと生意気だけど、メートルがからかって遊んでる」
「な、仲良さそう?」
「メートルはフランソワ様や、それこそ僕も面倒を見ていた人だからね。見かけによらず、子供の相手はうまいよ」
やっぱりユーリの評価がひどい。だが、破天荒そうに見えるシャルロットが育てたユーリやフランソワはまともな感性と聡明な頭脳を持っているので、彼女は何気に面倒見がいい、というのは事実なのだろう。
「それならよかったけど……ユーリ、前に、自分は雇用主に買い上げられたって言ってたわよね」
「言ったね」
「どうしてそんなことに? って、聞いてもいいのかわからないけど」
「別にいいよ」
ユーリは苦笑して、屋台でクレープを買い求めると、一つをミレーヌに渡し、語らいの姿勢に入った。
「僕がメートに出会ったのは、今から五年前、僕が十二歳のころだ」
ユーリ・フェーヘレンは帝国の北西部の小さな村に生まれた。この村の住人は、名もない戦闘民族だと言われ、実際に魔法に耐性があり、訓練すれば子供でも一個大隊と戦えるほどの戦闘力を持っていた。
しかし、それももう、おとぎ話ほど昔の話。ユーリの世代のころには、すでにその血は薄まっており、戦闘民族と言っても多少一般の人間より体が丈夫、というくらいだった。
その中でもたぶん、ユーリは過去の戦闘民族と言われた人たちに近かったのだと思う。高名な魔術師であるシャルロットにすら解明できなかったが、彼の反射神経は異常であるらしい。
まあそれはともかく。ユーリの生れた村は、もともと帝国に支配された小国だ。現在でもそうだが、帝国は支配地域の住人を戦争の先兵として使う。かつて戦闘民族と呼ばれたユーリの一族が駆り出されるのは、至極当然のことだった。
だんだんと人が減って行き、残ったのが女子供老人ばかりになったころ、ユーリは人さらいに捕まった。
「待って。やっぱり意味が分からないわ。どうしてあなたが人さらいなんかに捕まるの」
「うちは父も母も従軍して戦死していてね。祖母と暮らしてたんだけど……まあ、当時の僕はまだいたいけな十二歳だったわけだよ」
「……意味が分からないわ……」
眉をひそめるミレーヌに肩を竦め、ユーリは話を続けた。
何も人さらいにあったのはユーリだけではない。他にも数人いたのだが、途中で逃亡を図って殺されたり、病で亡くなったりして、最終的に丈夫なユーリしか残らなかったのだ。寒い冬の日だった。
村から東に向かっているとき、ユーリを攫った人さらいたちは、通りかかった商会を襲うことにしたらしい。収穫が少なかったためだろう。護衛の少ない隊商で、襲うのは簡単だと思い襲い掛かって……返り討ちにあった。
「なるほど。雇用主がいたのね」
「一応お忍びだったらしいよ」
そんな会話を挟みつつ、ユーリの思い出話は続く。
その時はエメ・リエルと名乗ったが、|シャルロット・エメ・フィリドール女公爵と初めて出会ったのは、その時だった。当時二十歳の彼女は、帝国まで行商と言う名の下見、もしくは根回しに来ていた。
あっさりと襲撃を退けたシャルロットは、彼らが連れていたユーリを見つけて、彼らに尋ねた。
「ねえ、君たち。この子は? 仲間ではなさそうだけど」
「……売るために連れてきた」
やり込められてぶすくれた男たちが答えた。シャルロットは「ふうん」とうなずくと、立ち上がった。
「この子、引き取りたいんだけど」
「はあ?」
後ろ手に縛りあげられた男たちは、そのくせ不遜に笑った。男装しているとはいえ、シャルロットが若い女性であるから舐めていたのかもしれない。
「そいつは商品だぜ。ほしいなら金で買うんだな」
お前たちも商会だろ、と鼻で笑う。ユーリはその様子を興味なさそうに見ていた。
「いいだろう。言い値で買おう」
「はあ?」
いぶかしげな声をあげたのは男たちだけではない。ユーリもだし、シャルロットの付添いの男もだった。
みんなが意味が分からない、という表情をしているにもかかわらずシャルロットは本当に男たちの言い値でユーリを買い上げた。
「わかってたけど、かなり意味不明ね」
「うん。だけど、僕が助かったのは事実だよ。あのままメートルに買ってもらえなかったら、どうなっていたかわからないからね」
結果論にすぎないし、まともな人にまともに解放されていた可能性もある。しかし、ユーリがシャルロットの側にいることに満足しているというのなら、そこを指摘するのは野暮と言うものだろう。
その場でぽん、と大金を出せるシャルロットが謎すぎる。さすがはファルギエール一の資産家と言われるエメ・リエルである。着目点がそことは、自分でもちょっと嫌になる。
「僕に文字や勉学、戦い方を教えてくれたのはあの人だ」
「いや、それだけ聞いてると、雇用主がユーリを買ったのは戦わせるためみたいに聞こえるわよ」
シャルロットは変人だが、子供を戦わせるために育てるような人ではない。ミレーヌもなかなかひどいことを言っているが、その辺は信頼している。シャルロットは基本的に優しい人だ。
「何でも、フランソワ様と年の近い子を探してたらしいよ。遊び相手としてね。まあ、僕はちょっと年が離れてるんだけど」
「……そうよね」
フランソワは十歳、ユーリは十七歳で、七歳の年の差がある。この差は大きい。もしかして、シャルロットが慈善事業として孤児院の経営をしているのは、フランソワを普通の子供たちと遊ばせるため、というのが理由の一つなのかもしれない。
「お金持ちの考えることはよくわからないわ……」
「僕もだよ。ただ、メートルが子供を拾ってくるのはたまにあることなんだよね。うちの使用人には、そう言う子が何人かいるよ」
「……そうなんだ」
シャルロット自身なら、きっとただの偽善だよ、と笑い飛ばすだろう。実際そうなのかもしれないが、彼女に救われたという事実は残る。
彼女の行動で彼女を恨む人もいるし、彼女を慕う人もいる。たぶん、ミレーヌは後者。
「拾ってくれたのが雇用主で良かったね」
「買われたんだけどね」
「……こだわるわね」
ミレーヌは肩をすくめてクレープにかぶりついた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
いかにしてユーリがシャルロットの元へやってきたか。