【1】
番外編。本編後の話です。
何となく、ファルギエールが帝国の支配から解放されてから、街に活気がある気がする。
再び『ミエル・ド・フルール』を手伝うことになったミレーヌは、お客さんたちを見ながらそう思った。ただ、ミレーヌがそう思いたいだけかもしれないけど。
「どうしたの、ミレーヌ。微妙な顔して」
カウンターの中から声をかけてきたのは、フィリドール女公爵のクーデターより前からミエル・ド・フルールで働いている先輩だ。ミレーヌは「うーん」と小首をかしげる。
「何となく、前よりも活気があるように見えるけど、私がそう思いたいだけなのかなーって」
「ああ、まあ、俺たち、雇用主のことを知ってるからなぁ」
にやにや笑って先輩も言った。奥から晴れて店長になったエリゼが出てきた。
「楽しそうだねぇ。何かあった?」
「何かってほどじゃないんですけど……店長……というか、マリアンヌ様たち、元気ですかねぇ」
マリアンヌと言う名はファルギエールでも一般的な名であるため、普通にミレーヌも口にしたが、この場合の『マリアンヌ様』は、少し前までミエル・ド・フルールの店長をしていた、この国の王妃様だ。コルティナ王国の王女様だった人でもある。
実は、ミレーヌはそう言われてもいまいちピンとこない。確かに平民出身にしては気品がある人だなと思っていたが、ミレーヌの知るマリアンヌは、親切で優しい女性だ。
「まあ、元気なんじゃないかな。フランソワも。むしろシャルの方が参ってるよ」
「……でもそれは仕方がない気もします」
「そうだね……」
シャル、雇用主。いろいろな名で呼ばれる彼女は今やこの国の中枢を担う一人だ。ファルギエールを解放した女性。王妃マリアンヌをかくまい、王太子フランソワを養育した人。
ミレーヌが覚えている彼女はみんなに怒られている姿だが、怖い人だな、と思った記憶がある。たぶん、それだけの覚悟があったからだと思う。
現在、ミエル・ド・フルールはカフェしかやっていない。つまり、夕方までの営業だ。従業員が減ってしまったので、酒場の営業ができないのである。
そんな閉店間際の客がいない時間、片づけをしているところに飛び込んできた人がいた。
「すみません、うちのメートル見てませんか!」
飛び込んできたのは金髪碧眼の美人さん、ユーリだった。彼が『主人』と呼ぶ人を知っているが、あいにく見ていない。
「……見てないけど」
「どうしたんだぁ。また逃げられたのか?」
「……まあ、そんなところです」
ユーリがため息をついた。彼の主人、シャルロットがまだ自由に動き回っていたころ、逃走する彼女を追ってる姿をよく見たが、彼女が宮廷に上がるようになっても同じことをしているのを見ると、やはり変わらないのだな、と思う。
「すみません、お邪魔しました!」
ユーリは情報だけ得ると、そそくさと出て行った。そこに、奥の片づけをしていたエリゼが顔を出す。
「誰か来てた?」
「あ、はい。ユーリが、って、ああっ!」
エリゼの背後から顔をのぞかせていた女性に、ミレーヌは叫び声をあげた。
「いるし!」
「あー、今、ユーリにいないって言ったところなのになぁ」
「いやあ、ごめんねぇ。裏から入ってきたんだよ」
と、悪びれなく言うのはユーリが探していた主人のシャルロットだ。忙しいだろうに、こんなところにいていいのだろうか。
「君ねぇ。いろんな意味でこんなところに来てる場合じゃないよね。ジスランが憤死するよ、そのうち」
「うちの夫はそんなに軟じゃないよ」
しれっと惚気られた……のか? もうこれが通常営業なので、よくわからない。
「で、何か用でもあった?」
エリゼがにこにこと尋ねるが、シャルロットは「いや、別に?」などと言う。さすがにちょっといらっとした。
「少し一人で歩きたかっただけなんだよ。もう戻るさ」
「……シャル。それ、国の要人がやっていいことじゃないからね」
「わかってるって」
「それと、妊婦がしていいことでもないからね」
「……」
エリゼの忠告に、シャルロットはすねたようだった。
「っていうか、雇用主、お子さんができたんですか! 何してるんですか、早く帰りましょうよ!」
思わずミレーヌもツッコミを入れてしまった。シャルロットは「あはは」と乾いた笑い声をあげる。
「みんな、過保護なのだよー」
「なのだよー、じゃないよね。帰ろうね」
シャルロットがこんな感じなので、みんなが気を使ってしまうのはわかる気がした。
すでに閉店間際どころか閉店時間だったが、また扉が開いた。ぱっとみんなの顔がそちらを向く。
「あーっ! 何してんですか、メートル!」
ユーリが戻ってきていた。そして、彼は一人ではなかった。ユーリに連れられた少年を見て、ミレーヌは声をあげた。
「アラン! 何してるの!!」
一番上の弟、アランだった。十三歳でしっかり者の少年である。そのアランは、ミレーヌからふいっと顔を逸らした。反抗期だろうか……。
「大通りをうろついてたから保護してきたんだけど」
ユーリからそう言われ、ミレーヌは首をかしげた。
「この時間なら、まだ仕事の時間じゃないの?」
アランは最近、とある商会で下働きを始めたところだ。しっかり者で物覚えもいいので助かる、とその商会の人に言われていたのだが。
「……クビになった」
「何やらかしたの、あんた……」
アランの小声の申告に、ミレーヌは少し呆れて尋ねた。まあ、アランは気が強いし、何かやらかすかもなぁと思っていたが。
なんでも、商会のお坊ちゃんが馬鹿すぎて指摘を入れたところ、その場で解雇されたらしい。意味が分からなかったが、深く突っ込まないことにした。
「……まあ、お姉ちゃん怒ってないから、一緒に帰ろう。ちょっと待っててね」
ミレーヌがアランの頭を撫でて言った。シャルロットがカウンターの向こうから「いやあ、お姉ちゃんだねぇ」と感心したように言っていた。
「そう言うメートルは末っ子気質ですね」
ユーリの指摘に、シャルロットは肩をすくめた。
「ねえ、アラン君。君、読み書きはできる?」
シャルロットの唐突な問いに、アランは「できる」と答えた。そう言えば、アランはシャルロットと会ったことがなかったか。
「君、うちで働く?」
「はい!?」
声をあげたのはミレーヌだ。うちって、フィリドール公爵家? ファルギエール王国筆頭貴族の? まあ、シャルロットの『うち』と言えばそこしかないのだが。
「今使用人が足りなくてねぇ。商会の方でもいいけど」
どう、とシャルロット。ミレーヌはアランを見て、ユーリを見上げた。彼にも異存はなさそうだし、アランに決めさせればよい。
「……働く。つーか、姉ちゃん何者なの」
ミレーヌは緊張した。シャルロットは言葉遣いが悪いからと言って子供を怒るような人ではないが、恐ろしい人ではある。
「何者であるか。哲学的な問いだねぇ。しかし、ただ名を聞いただけなのなら、私の名はシャルロット。シャルロット・エメ・フィリドールと言えば察しが付くかな?」
アランは字が読める。そのため、フィリドールの名に驚いたようだ。そして、ミレーヌを見上げた。
「なんでそんな人がここにいんの」
「いやあ……オーナーさんなんだよね……」
ミレーヌは苦笑を浮かべて言った。
「まあ、優しい人だから大丈夫だよ」
食えない人だし、怖い人だけどね。たぶん、アランなら大丈夫。たぶん。
そうして、何故かアランはフィリドール公爵家の王都邸で働くことになった。ちなみに、シャルロットはその後、エリゼに連行されて宮殿に戻っていた。
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