【9】
フィリドール公爵本邸。当代フィリドール公爵シャルロットの命により、敷地内の遺体をすべて火葬していた。この地域ではめったにしない方法であるが、全てを土葬にするには人数が多すぎたのだ。
シャルロットの家族も領軍も使用人も帝国兵も、全て同じ方法で見送った。
夕日を背に、煙が高く舞い上がる。家族の骨は、一族の墓に埋めるつもりである。もしこの戦争を生き延びることができたのなら、ちゃんとした墓を作りたい。そう思う。
もう、彼らがシャルロットに笑いかけることはない。名を呼ぶこともない。くだらないことで喧嘩することもないし、抱きしめてもくれない。当たり前だと思っていたことが、崩れていく。
「……っ」
唇を引き結び、掌を握りこむ。あまりに強く握るので、掌に爪が食い込んだ。隣で火を見上げているアンリがシャルロットの頭を撫でた。
「泣いてもいい。泣け、シャル」
そう言われた瞬間、堰を切ったようにシャルロットの瞳から涙があふれた。わあわあと子供のように声をあげて泣く彼女のふらつく体を支えたのはジスランだ。
わかっている。どんなに泣いたって、みんなは帰ってこない。
どうして、アントワーヌにあんなに素っ気なくしてしまったのだろう。アンジェリクとの遠乗りの約束は、結局果たされないままだった。長兄ジュリアンとは、喧嘩したまま仲直りできなかった。母ディアーヌのことはいつも困らせてばかりだったし、父ヴィクトルにはどうして魔術も剣術も学ばなければならないのかと文句を言った。
すべて、シャルロットを守るためのものだったのに。失ってから気づくのでは、遅いのだ。
泣いてばかりもいられない。最後に残った者として、爵位を継いだシャルロットにはやることがある。まず、血に塗れたフィリドール公爵本邸を手放すことはできなかった。防衛上、重要な位置を占めるからだ。完全にきれいにすることはできなかったが、血は拭き取りフィリドール公爵領アルトーでの戦闘指揮所として利用される。まあ、用途はもともとだけど。
崩れかけている防御魔法を立て直す。帝国軍はしばらく襲ってこないと思われるが、早く準備を整える必要がある。尤も、準備万端になったところで帝国に勝てるとは思えないが。
「シャル」
火葬の翌日。せわしなく館内を歩きまわっていたシャルロットを呼び止めたのはアンリだった。彼にはジスランが付いており、はっきり言って戦力過多である。まあ、ジスランは一人いるだけで魔法兵器並みの戦力であるが、それと拮抗していたゲルラッハ公爵も大概意味不明である。
「シャル。凶報だ。父上がエストレの海戦で戦死した」
「な……っ。伯父上が!?」
シャルロットが驚愕の声を上げる。冷静な表情でアンリは言った。
「お前と同じだ。選ばねばならないな、俺も」
アンリは正確には最後の一人ではないが、王位を継承するものとしての覚悟のことを言っているのだろう。無理だと思ったのなら、やめればよい。そう簡単な問題ではないが。無理だと思うなら、やらない方がいい。彼自身が、シャルロットに言ったように。
そもそも、本当に国王が戦死したのか、という問題があるが、どうやら事実のようだった。アンリとは別ルートで情報を集めたシャルロットも、国王は戦死したのだと判断せざるを得なかった。
エストレの海戦では、港の占領とまではいかなかったが、ファルギエール軍は敗北したとのことだった。東側のトリベールは既に陥落している。南のアルトーも、帝国を一時撤退させたに過ぎない。圧倒的物量で攻め込まれれば、包囲されたファルギエールなど、一瞬で陥落する。
海を挟んだ隣国の島国トラヴァーズ王国は既にこの戦争から手を引いており、エストレの陥落も目の前だろう。そうなれば、ファルギエールはより戦況が厳しくなる。
奇跡を信じて戦うか、これ以上の犠牲を出さないために降伏するか。国を背負い、家族を失ったものにとっては難しい決断を迫られる。
「俺達だけになっちまったなぁ」
バルコニーから外を眺めていたシャルロットは聞きなれた従兄の声に振り返った。その従兄は、バルコニーに出てきてシャルロットの隣に並ぶ。シャルロットは視線を外に戻した。庭の向こうには草原が見える。
「……まだ、マリアンヌ様とフランソワ様がいるわ」
シャルロットがそう言うと、アンリは笑って「クールだなぁ、お前」と言った。
「そうなんだよなぁ。あの二人まで、失いたくないわけよ、俺は」
「うん」
二人とも、ここまでの間に多くのものを失った。これ以上失いたくないと思うのは当然だ。
「だから俺は、王になるよ」
シャルロットは視線をアンリの方に向けた。彼もシャルロットの方を見ていた。
「王になって、この戦争をやめさせる。手伝ってくれよ、シャル」
勝つ、ではない。やめさせる、という言葉にシャルロットは違和感を覚えた。すっと青灰色の瞳が細められる。
「……降伏するの、帝国に」
「いやあ、俺は在位期間ファルギエール史上最短の国王として名を残すだろうなぁ」
実際にその通りになるのだが、シャルロットは叫んだ。
「馬鹿じゃないの!」
「残念ながら、大真面目だな」
「~~~っ」
余計にたちが悪い。シャルロットはかみしめていた唇を開いた。
「……降伏すれば、総指揮官であるあなたはその責を負われるわ。それは国王でも王太子でも同じこと。降伏すれば、悪名だけが残るのよ。最後まで戦って、英傑として死にたいとは思わないの」
「思わない」
「だろうね!」
言いながらシャルロットは彼の答えに気付いていた。彼はそう言う人だ。たぶん、こういうのを王の器と言うのだろう。
「少なくとも、国のトップが捕らえられれば戦争は終わるだろ」
「納得できなくて戦う人もいるかもしれないわね」
「お前ならやる?」
「……私はしないけど」
シャルロットとて、無駄に血が流れるのは避けたい。戦わなくてもいいのなら、戦わずに済ませたい。
「……マリアンヌ様とフランソワ様はどうするの? 特にフランソワ様は、ファルギエール王家の血もコルティナ王家の血も引いているのよ」
どちらも、血筋の上で言えばフランソワは直系だ。アンリは笑ってシャルロットの肩をたたいた。
「お前がかくまってくれないか? フィリドール女公爵」
「……」
確かに、父が先の王弟であるシャルロットなら、いい隠れ蓑になるだろうが。
「……これなら確かに、あなたは誰も失わないわ。だけど、マリアンヌ様とフランソワ様は、夫と父を失うのよ」
「ああ。それでも俺は、あの二人を失いたくない」
「……傲慢ね」
「そうかもしれない」
アンリがシャルロットの言葉にうなずいて見せた。生きていてほしいと願うのは、あちらも同じだろうに。勝手なことを言うものだ。
「私は、気づいていたつもりよ。自分が何かあった時のための『予備』だって」
「……」
アンリは何も答えなかった。アンリや兄ジュリアンは、彼女にアンリと同じ教育を受けさせようとした。シャルロットとアンリでは、性別も年齢も違いすぎるので影武者にしようという線はありえない。ならば、彼女はいざという時……今のような事態に陥った時のための『予備』なのだ。
王族と同じ教育を受けた彼女なら、自分が受けたのと同じ教育をフランソワに施せる。おそらく、そう言うことだ。
過去にも、同じようなことがなかったわけではない。シャルロットの立場は『教育係』と言ったところか。信用できるものに託さなければ、ならないので、シャルロットは信用されているということだが、うれしくない。
「選ばれたからには、請け負うわ」
「……! お前、いい女になったなぁ」
「何言ってるの」
シャルロットが呆れてアンリを睨みあげたが、彼は優しく笑っているだけだった。
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