【6】
ファルギエール侵略を開始した帝国軍がまず攻めたのは、港だった。つまり、海から攻めて来たのである。ファルギエール王国は半島に位置するため、東側と西側が海になる。さらに北は山脈が連なり、南に接しているコルティナから攻め込まれればもう逃げ場はないと言うことになる。
口には出さなかったが、シャルロットには初めからこの戦争の結末が見えるようだった。近いうちに、ファルギエールは帝国に支配される。今は各領地の領主たちが頑張っているが、それも長くは続かないだろう。敗戦の色が濃くなって来れば、彼らは簡単に寝返る。この時のシャルロットには、ファルギエールにつくことのメリットを提示できなかった。後に救国の英雄と言われる彼女も、この時は一介の貴族令嬢、一介の侍女に過ぎない。
王都にいるシャルロットは、中央の混乱ぶりを眼にしていたが、彼女に出来ることは何もない。ただ、マリアンヌと一緒に国の行く末を案じるだけだ。
あるとき、シャルロットは廊下でジスランに呼び止められた。
「トリベール港が陥落したそうだ」
「!」
シャルロットは目を見開いてジスランを見た。国の東側の港だ。入り江を挟んで帝国に面している。もう少し南に行けば別の国もあるが、強い帝国の影響下にあると言う。
「……当然ね。じきに西側も落ちるわ。今はトラヴァーズ王国と挟み撃ちになっているけど、もともと、ファルギエールと仲の悪い国だし、間もなく自国の状況をかんがみて、帝国におもねるでしょうね」
ため息をついたシャルロットだが、ジスランはそれだけの言葉がつらつらと出てきたことに驚いたようだ。
「……お前、侍女じゃなくて軍人になった方がいいんじゃねぇか。いい指揮官になれそうだ」
「言うことを聞かない部下なんていらないわよ……それに、先見は戦争だけじゃなくて、貴人に仕える時にだって必要なんだから」
ちょっとむくれて見せると、ジスランに「そろそろむくれてもかわいくねぇ歳だぞ」と言われた。失礼な。まだ十七歳である。大人びているとは言われるけど。
たぶん、この時はまだ実感がなかった。戦争は、遠くで起きていることだった。まだ、自分には関係がないことだと思っていた。国境に、家族がいると言うのに。
その実感は、突然やってきた。いつぞやと同じく、アンリがマリアンヌの私室にノックせずに入ってきたのだ。こういう時は、たいてい急いでいるときなのだが、慣れてきたマリアンヌが冷静に言った。
「殿下。一言声をかけるくらい、してくださいませ。いつかジスランとシャルに襲われますよ」
「は? ああ……それは怖いな。気を付ける」
「……」
微妙に危険物扱いされた気がしたシャルロットは、ジスランと顔を見合わせてしまった。
「それで、どうなさったのです?」
主導権を握ったマリアンヌが尋ねた。アンリがはっとしたように言う。
「アルトーが攻め込まれた」
「はい!?」
反応したのはシャルロットだった。アルトーとは、フィリドール公爵領がある地域を示す。つまり、帝国に占領されたコルティナ王国側の国境だ。帝国は、占領した国を利用してファルギエールに攻め込んできたらしい。
「それで、お父様たちは!?」
シャルロットが立場も忘れて問う。
「今のところ、無事だそうだ。……攻め込んできた帝国軍には、コルティナ王国軍も多数含まれていたようだが……」
マリアンヌが顔を俯けたのを見て、アンリが彼女の側により、その肩を抱く。シャルロットは組んだ指に力を込めた。
「……占領した土地の人間を、先兵として使うのは戦争では一般的だと父が言っていました。……しかし、ゲルラッハ公爵でしたか。帝国の指揮官は驚くほどのゲス野郎ですね」
「……俺はシャルの口からそんな汚い言葉が出てきたことにビックリした」
と、何故かアンリに驚かれる。再びマリアンヌに「あなたのせいだと思いますけど」と突っ込まれていた。
「先日、トリベールが陥落したばかりだ。俺はアルトーの様子を見に行く。悪いがマリアンヌ、ジスランとシャルを貸してくれ。少数精鋭で行く」
「……!」
立て板に水の如く言われ、マリアンヌが驚愕の表情を浮かべた。きゅっとアンリにしがみつく。すると、彼は茶化すように笑った。
「行かないで、とか言ってくれるのか」
「……止めても、行くのでしょう?」
マリアンヌはわかっている。マリアンヌの感情よりも、アンリは、国のことを優先する。
「……わかっていますわ。あなたはこの国の王太子殿下ですもの。けれど、必ず帰ってきてくださいな」
「わかっている。フランソワもいるしな」
アンリがマリアンヌの額に唇を寄せる。
「父上はエストレの様子を見に行くそうだ。ジスランとシャルを連れて行く代わりに、エリゼ・グランジェをつける。騎兵隊ではなく国軍所属だが、腕は立つし信頼できる」
「よろしくお願いします、王太子妃殿下」
ニコッと笑ったのは国軍の副将軍殿である。ジスランとシャルロットが不在にするばかりに、すごい人物を連れてきたものだ。人当たりの良い優しい笑みを浮かべているが、怒ると怖いタイプの人である。
「よろしく、エリゼ。ジスラン、シャル。二人も気を付けて行ってくるのよ」
「了解しました」
ジスランとシャルロットがそれぞれ騎士の礼、淑女の礼を取って答える。エリゼが早速後ろから「君たち面白いねぇ」と言っているのが聞こえた。
明日には出立と言うことで、早速準備である。一日中馬の上にいることになるだろうが、そんなことはどうでもいい。早く、家族に会いたい。
「……シャル。ひとついいか」
「何?」
準備があるが、ジスランの問いには答えようとするシャルロットである。立ち止ったシャルロットに、ジスランは問いかけた。
「陛下も西側……エストレに行くと言っていたな。この状況で何故、王と王太子が王都を離れるんだろうか」
ジスランの問いに、シャルロットは一瞬だけ考え、すぐに言った。
「ねえジスラン。戦争で勝つにはどうするかしら」
「それは……戦いに勝つしかねぇだろ」
「そうね。でも、戦いは戦いでも、戦術レベルではなくて、戦略的に物事を見れば、敵軍の司令部……この場合は王都を落とすのが一番なの」
「だから、実は王都は危険地帯……」
「そう言うことね」
ジスランが気づいたようなので、シャルロットはうなずいて歩みを再開した。
「王都は狙われると思う。少なくとも、ゲルラッハと言う男なら、絶対に狙ってくるでしょうね。その場合、王族が一か所にいては皆殺しにされるかもしれないわ。だから、ばらけるのよ。誰かが生きていれば、たとえ占領されたとしても反撃ののろしを上げられる」
「……コルティナがマリアンヌ様を利用してやろうとしたことだな」
「……そうね」
そう。マリアンヌとフランソワの引き渡しを要求したコルティナの元大使は、これを狙っていたのだと思う。
「だが、王族と言うのなら、お前も王位継承権第八位とかじゃなかったか」
「……よく覚えてるわね」
フランソワが生まれたが、王女が国外に嫁ぎ王位継承権を放棄したので、やはり第八位だ。つまり、上位のものたちに何かあれば、シャルロットが女王になる可能性だってある。
「そうよ。だから、本当は私は陛下についていくか、北に行くべきなの。でも、陛下も殿下も、私をアルトーに連れて行くと言ったわ」
「……家族が気になりすぎて、突っ走るといけねぇからな」
「……そうね」
笑おうとして、泣きそうになった。シャルロットは袖で乱暴に目をこする。
「早く、会いたいな」
「そうだな」
ジスランがいつものようにシャルロットの頭をぐりぐりとなでた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。