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【5】









 コルティナ王国がアイヒベルク帝国に占拠されたことで、ファルギエール王国にも緊張が走った。国境線の防衛を固め、兵士が広く募集される。物価が上がり、鉄や食料の買い占めが行われる。

 検閲を通過して届いた手紙によると、フィリドール公爵領も防衛線を兵力で固めているらしい。父ヴィクトルや長兄ジュリアン、次兄のアントワーヌすら防衛指揮官として駆り出され、ほとんど領地に帰ってこなくなったと、姉アンジェリクから報告があった。母も、夫や息子たちを心配しているだろう。


 当たり障りのないことしか書かれていない。シャルロットを不安にさせないためかもしれないし、情報を漏らさないためかもしれないし、検閲が入るためかもしれない。今、手紙のやり取りにはすべて検閲が入っているため、届くのが遅い。私的なやり取りに検閲が入るのは、たとえ王弟の娘の手紙であっても同じであった。


「……どうなってるんだろう、領地」

「さすがに帰れねぇからな」


 ジスランがうなだれるシャルロットにツッコミを入れた。マリアンヌはフランソワの世話をしている。高貴な身分である彼女は、乳母に世話を任せきりにせず、自分も面倒を見ている。フィリドール家でも同様の方法をとっていたので、シャルロットはあまり気にしなかったのだが、伯爵家出身であるジスランは驚いていた。彼の母は高貴な女性は育児に関わらないもの、という信念を持っていたらしい。

 そのせいかはわからないが、ジスランは両親とあまり仲がよさそうに見えない。


 シャルロットがマリアンヌに仕えるようになり四年が経つが、それまでの間に、シャルロットは何度か生まれ育った土地に帰っていた。国境の様子を見に行くと言う名目で、たぶん、アンリやマリアンヌの善意だったのだろう。

「シャル。ちょっと来てくれない」

「あ、はい」

 シャルロットはあわててマリアンヌのそばまで行く。最近立ち上がるようになってきたフランソワがシャルロットに向かって手を伸ばした。満面の笑みである。

「……好きですね、シャルロットのこと」

「若い女の子が好きなのかしらね……」

 ひょいっとフランソワを抱き上げたシャルロットを見て、乳母とマリアンヌが言った。確かに、懐かれているなぁと思ったけど。

「だぁ」

「あ、ちょ」

 満面の笑みなのはいいが、涎を垂らされた。大きくなってきたので少なくなってきたと思ったが、そんなこともなかった。


 たぶん、シャルロットの家族は自分たちの領地よりも王都の方が安全だと思っていただろう。しかし、シャルロットもシャルロットで、暗殺者を捕らえたりしていたのでそれなりに危険だった。


 フランソワを攫おうとする者も多い。単純に今の王権に反対しているものであったり、帝国の息のかかった者だったりするし、コルティナ王国の手のものも多い。コルティナの王女であるマリアンヌの子を国王に仕立て上げようとでも言うのだろうか。コルティナ女王ベレンガリアの子女は彼女と同じく捕らえられているとのことだし。

 王太子妃の私室の扉がノックもされずに開かれた。こんなことをするのはアンリくらいだ。そして、思った通り入ってきたのはアンリだったが、彼は険しい表情をしていた。シャルロットはフランソワを乳母に返す。


「落ち着いて聞いてくれ」


 アンリが真剣な表情でマリアンヌに言うので、彼女は緊張の面持ちだ。シャルロットはマリアンヌの側に待機し直す。


「ベレンガリア女王が処刑された」


 端的に事実だけを伝えた言葉に、マリアンヌが上半身を傾かせる。シャルロットはあわててその体を支えた。


「マリアンヌ様」


 大丈夫ではないだろうから、大丈夫かは聞かない。代わりにシャルロットはアンリを見上げた。

「殿下、よろしいですか」

「ああ」

 アンリの許可が出たので、シャルロットが尋ねる。

「ベレンガリア陛下は、帝国に処刑されたと言うことですよね。御夫君とご子息がいらっしゃったと思いますけれど」

 普段は砕けた口調のシャルロットも、さすがに改まった口調である。アンリは視線を下げた。

「……全員、殺されたそうだ」

「ではコルティナは? 今は誰が治めているのですか」

 ジスランが部屋の隅から質問を飛ばしてくる。王がいなくなったのなら、次の王を立てるなど、統治者を置く必要がある。

「一応、王として王家の血を引く貴族が玉座にいるそうだが」

「……おそらく、オルベラ公爵家のエメリコだと思うわ。まだ十歳だけど、彼は両親とも女王のいとこだから、議会も民衆も納得せざるを得ないと思う」

「確認しておこう」

 自分が知っていることを述べたマリアンヌに、アンリは優しい声音で言った。こんな時であるが、そのいとおしむような口調に、ちょっと体がかゆい。

「それに、帝国貴族が総督として宮殿に入っているようだ。ゲルラッハ公爵と言ったか」

「ゲルラッハ……」


 シャルロットが復唱する。のちに、マリアンヌだけではなくシャルロットにとっても宿敵となる男の名であるが、この時の彼女らはそんな事を知る由もない。


「それから、こちらに滞在しているコルティナの大使が、お前とフランソワをコルティナ側に引き渡せと言ってきている」

「! 何故!?」

 マリアンヌが驚愕の表情を浮かべる。シャルロットは、マリアンヌの輿入れの時に同行していた大使の顔を思い出しながら言った。

「おそらく、マリアンヌ様が正当なコルティナ王家の血を引く、最後の方だからでしょう。フランソワ様はそんな、マリアンヌ様のお子様で、ファルギエール王太子の子でもある。あなた方を旗頭に、帝国に対して決起したいのではないでしょうか」

「だ……としても。勝てるはずがないでしょう、帝国に」

「……」

 アンリもシャルロットもジスランも、無言である。何しろ帝国には圧倒的な物量があるのだ。処刑されたベレンガリア女王だって、決して戦下手ではなかった。


「マリアンヌ」


 アンリがマリアンヌの手を取った。シャルロットはこの辺りで二人の側を離脱、ジスランの側に行くことにした。

「お前がコルティナに帰りたいと言うのなら、止めはしない。だけど、俺はお前にここにいてほしい」

「……あたくしも、亡国の王女なんて、もう、何の価値もないかもしれないけれど。あたくしは、アンリの側にいたいわ……」

 マリアンヌがアンリの胸のあたりにしがみつく。シャルロットは顔を俯けた。抱き合う主君二人に赤面したとか、そう言うことではない。彼女にそんな可愛げはない。ただ、マリアンヌが泣いていることが分かったのだ。


 顔を俯けたシャルロットの頭を、ジスランが乱暴に撫でる。いつもと変わらないその手が、なんだかうれしかった。シャルロットは泣くまい、と何度も瞬きをする。

 母の気持ちを感じ取ったのだろうか。フランソワが火が付いたように泣き出したのが聞こえた。

 コルティナ女王ベレンガリアが処刑されたのち、コルティナ王国は完全に帝国の支配下となったようだった。いわゆる属領に近い。王はマリアンヌの推測通り、オルベラ公爵家のエメリコ少年であったが、実質的な権力を握っているのは帝国軍将軍であるゲルラッハ公爵のようだった。


 半年ほど、帝国に動きはなかった。しかし、南北を帝国に、東西を海に囲まれたファルギエールは戦々恐々としていた。そして、冬を越し春を迎えて間もないころ。


 帝国がファルギエールに攻め込んできた。帝国侵略戦争、ファルギエール戦役の開幕である。










ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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