【1】
今日から過去編です。
何かがぶつかり合う音がする。木剣だ。何度かぶつかり合って、一方の木剣が使用者の手を離れて宙を舞った。黒髪の少女がむっとむくれる。
「ちょっとくらい手加減してくれてもいいじゃない」
「それじゃ訓練にならないだろ」
わしわし髪をかき混ぜられる。束ねた髪がぐしゃっとなって、「もう!」と声をあげた。不機嫌そうに細められた目は青灰色の瞳をしていた。
シャルロット・エメ・フィリドール。のちに救国の英雄、ファルギエール王国発展の祖となる彼女は、この時十二歳。二人の兄と一人の姉がいる、フィリドール公爵家の末娘だった。
「でもまあ、その年にしてはいい腕してるぜ、シャル」
シャルロットが取り落した木剣を拾いながら、二つ年上の兄アントワーヌはにかっと笑って言った。シャルロットはますますむくれる。そんな妹の膨れた頬をアントワーヌはつついた。
「ほら、そんな顔しても可愛いだけだぞ」
この時からやや大人びた顔立ちはしていたが、ひいき目なしに見てもかわいらしい少女だった。
「こら。アニーったら、シャルをからかいすぎよ」
「おおっと、お姉様の登場だ、シャル」
やはりからかうような口調で言ったアントワーヌから離れ、シャルロットは近づいてきた空色のドレスの少女にしがみついた。シャルロットよりやや年かさのその少女は、姉のアンジェリクである。アントワーヌとは双子で、二卵性なのによく似た顔立ちをしていた。
濃い茶髪に淡い青緑の瞳をしたアントワーヌとアンジェリクの双子とは、シャルロットはあまり似ていない。母親似だと言われる二人に比べ、シャルロットと長兄は王弟である父親似だと言われることが多かった。
今代のフィリドール公爵は王弟ヴィクトルである。先代のフィリドール公爵の娘に婿入りした彼は、フィリドール公爵位を継いだ。ファルギエールの法では、女性も爵位を継げるのだが、婿入りしてきたのが王族であったため、爵位を譲る形となった。それでうまくいっているのだから、それでいいのだろう。
「ほら、二人とも着替えて着なさい。お父様たちがもうすぐ到着なさるそうよ」
アンジェリクの言葉に、シャルロットが「本当!?」と声を弾ませた。アンジェリクは微笑む。
「本当よ。ほら、シャル。行きましょう」
「うん」
差し出された手を握り、姉妹は仲良く屋敷に向かって歩いていく。そんな妹たちを見ながらアントワーヌは「いいなぁ」と思う。最近、シャルロットは微妙に反抗期で、剣術の稽古以外では構ってくれないのだ。十二歳の少女ながらなかなか男前な性格をしているシャルロットだが、やはり女の子だ。
稽古の汗を流し、少年のような恰好からフィリドール公爵家の末娘へと変身したシャルロットは、母と姉に挟まれて父と長兄の帰りを待っていた。アントワーヌがうらやましそうに見ているが、誰も相手をしなかった。
そして、父と長兄が帰ってきた。母が上品に淑女の礼をとる。シャルロットとアンジェリクもそれに倣った。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「お帰りなさいませ」
ファルギエールの筆頭貴族と言われるフィリドール公爵家のお嬢様である母は作法が完璧だ。そんな母を持つシャルロットとアンジェリクも、必然的に完璧に近い作法を身に着ける。
「ただいま、ディアーヌ。アンジーと、シャルも」
まず妻を抱きしめてから娘たちに微笑みかけたフィリドール公爵ヴィクトルは、留守番をしていた十四歳の息子に声をかける。
「アニー。しっかりと母と妹たちを守っていたか」
「もちろんです!」
「アニーがシャルをからかって遊んでいましたわ」
あっさりとアンジェリクが暴露する。父が出立する前、母と妹を守れよ、と言われていたアントワーヌが「アンジー!」と非難の声を上げる。だが、アンジェリクもしれっとしたものだ。
「お前たちは相変わらずだな。客人の前では控えろよ」
呆れながらも咎めないヴィクトルである。だが、今回は客人がいる。父と長兄は、この客人を隣国コルティナ王国との国境まで迎えに行っていたのだ。国境に領地のあるフィリドール公爵家に王弟であるヴィクトルを婿入りさせたのはこのためだったのではないか、と言うほどである。もちろん、そんなわけはないのだが。
「ディアーヌ。もてなしを頼む。コルティナ王国第二王女マリアンヌ様だ」
長兄にエスコートされて歩いてくる女性を、父が紹介した。赤い髪にとび色の瞳。あでやかな美女だ。十九歳の長兄よりもいくらか年上に見える。妖艶な美女をほとんど初めて見たと言っていいシャルロットはぽかんと空いた口をアンジェリクに閉められた。
「シャル、失礼でしょ」
「はい」
おとなしくうなずいて口を閉じる。だが、シャルロットはじっとマリアンヌを見上げていた。その視線に気づいたマリアンヌが微笑みかける。
「初めまして。こんにちは。ジュリアンの妹さん? よく似てるわね」
「黒髪の方が末の妹のシャルロットです。茶髪の方が上の妹のアンジェリクです」
「そう。よろしくね。フィリドール公爵夫人も、お世話になります」
「こちらこそ、王女殿下をお迎えできて光栄ですわ」
ディアーヌがおっとりと微笑む。マリアンヌは二日ほどこのフィリドール公爵家の屋敷に滞在し、父や長兄をお供に王都コデルリエに向かう予定だ。
マリアンヌは、シャルロットたちの従兄にあたる、王太子アンリ・ロドルフ・ファルギエールに輿入れするためにコルティナ王国からやってきたのである。
王太子妃となる王女の迎えとあって、出迎えは豪華に王弟が出向いたのである。
「シャル、こちらにおいで」
晩餐が終わったあと、シャルロットは父に呼ばれてそちらに向かった。そのままひょいと抱き上げられる。背の高い父に抱き上げられると、視点がかなり高くなった。
「お前も大きくなったな。十二歳だったか」
「うん」
こっくりとうなずく。ヴィクトルは「そうか」と笑ってシャルロットを下ろした。
「シャルロット。お願いがある。お前に、王都へ一緒に来てほしい」
「……どうしてですか?」
何の理由もなく、父がシャルロットを王都へ連れて行く、などと言うはずがない。シャルロットは小首を傾げて尋ねた。ヴィクトルは「うん」とうなずく。
「お前には、マリアンヌ様の侍女をしてほしいんだ」
「……私が?」
「そう。シャルロットが」
シャルロットは反対に首をかしげたが、きっぱりと言った。
「お父様がそう言うのなら、行きます」
「いい子だ。ありがとう」
ヴィクトルがシャルロットの頭を撫でる。シャルロットははにかんだ笑みを浮かべた。
「でもあなた。どうしてシャルなの? アニーやアンジーでも勤まると思うのだけど」
母のディアーヌが踏み込んで尋ねた。ヴィクトルは「そうだね」と答える。
「シャル。君が侍女になるのは、マリアンヌ様を守るためだ。心得ておけ」
「わかっています」
名目は行儀見習いになるとのことだが、シャルロットに求められているのは、一番近くでマリアンヌを守ることだった。
「アニーも、アンジーも問題なく勤められるだろうね。だけど、向こうにはもう、アニーと同等の力がある子がいるんだ。リエル伯爵家の息子なんだが」
「つまり、同じ能力は二人もいらないと言うことですね」
ばさっと切り捨てたのはアンジェリクである。ソファの影で膝を抱えてうなだれたアントワーヌの肩を、長兄ジュリアンが笑いながらたたいた。慰めているようで、フォローする気は全くないらしい。
アンジェリクとシャルロットを比べた結果、幼いシャルロットの方が宮殿になじめるだろうと判断したらしい。単純に、アンジェリクよりもシャルロットの方が武術に関して才能があったから、と言うのもある。
「シャル。頼んだよ」
「はい」
元気に返事をしたシャルロットである。まだ十二歳の少女として、親と離れるのはさみしい気持ちもあった。だが、シャルロットにできることなら、できる限りやろうと思った。
このヴィクトルの決断が、シャルロットの運命を変えた。
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