【23】
今、ユーリの主人の最大の無茶が始まろうとしている。政治の中心たるミストラル宮殿を制圧し、帝国を追い出してしまおうと言うのである。
「こんな道があるんですね」
「王族用の避難路らしい。王族一人に付き、一つ、教えられるって言ってたわね」
それなら、誰かがすべて把握している人がいて、その人が教えるのだろうか。それとも、親から教えられるのだろうか。シャルロットも生粋の王族ではないので、わからないのかもしれない。
「ちなみに、この通路を使っていたのは?」
「私の父ね」
シャルロットの父、先代のフィリドール公爵は王族の出身である。そのため、避難路の一つを知っていたのだろう。
ユーリたちが今いるのは避難路、地下通路だった。何の変哲もない家の扉から地下通路に入って行ったので、ユーリは驚いた。
「これ、どこに出るんだ?」
ジスランが尋ねると、シャルロットは「わかんない」と答えた。彼女に周囲の視線が突き刺さる。
「だって、私も使うの初めてだし」
まあ、避難路を使うような状況はめったに起きない。だが、普通、入口も出口も教えられるものではないだろうか。
「確か、礼拝堂の裏に出るって聞いたことがあるけど……」
何とも頼りない案内人である。
突き当りに出た。ただの行き止まりにも見える。石の壁を押したジスランは舌打ちして振り返った。
「シャル」
「はいはい」
シャルロットはジスランの前に行くと、同じように石の壁をたたいた。それからナイフを取り出し、自分の指の皮膚を切る。ぷくりとあふれたその血を、石にこすり付けた。
たぶん、血に反応するようになっていたのだろう。その石の壁が一部ずれた。ジスランがシャルロットを後ろに押しやる。
「お前は下がってろ。ユーリ」
「了解」
ユーリはうなずいてシャルロットの隣に行く。ジスランが慎重に石の扉を開いた。魔法光で先を照らすが、階段が続いているだけで誰もいる気配はない。
「上にもう一つ扉がありそうだな」
そう言いながら彼は登り始める。その後をユーリがシャルロットの手を引いて登り始めた。変な意味ではなく、はぐれないための処置だ。彼女のあとから連れてきた反乱者たちが続く。
階段を上りきると、ジスランが天井扉を開けて外に出る。ユーリはシャルロットを先に押しやる。ジスランが手を差し伸べたからだ。シャルロットが外に出たのを見てユーリも続く。どうやら、祭壇の裏に出たようだ。
全員でてきて通路をふさぎ直してから、ジスランが祭壇を回り込んだ。その後にユーリたちも続く。ユーリは、宮殿内に入るのは初めてだが、ここは礼拝堂のようだ。シャルロットの知識は間違っていなかったようである。
「懐かしいわね……」
聞こえるか聞こえないかほどの声でシャルロットがつぶやいた時、ぱっと明かりがついた。ユーリは後ろ手にシャルロットをかばう。
「ついに来たな。待っていた、フィリドール女公爵」
男性の声が聞こえた。ユーリがその人の声を聞いたのは初めてであるが、その姿は見覚えがあった。ファルギエールの支配者、帝国元帥ゲルラッハ公爵。三十歳前後と見える彼は、八年前、シャルロットの家族を皆殺しにした。その頃、どう考えても二十代前半だっただろうに、すさまじい才覚だ、と評していたのは当のシャルロット自身だったか。
「ドゥメール侯爵家の夜会以来ね、ゲルラッハ公爵」
ユーリの後ろからシャルロットが慎重に答えた。完全に隠れているが、ゲルラッハ公爵は馬鹿にすることもなく、ただ言った。
「夜会でのあなたは美しかったが、そうしているあなたの方が本物なのだろうな」
ユーリはちらっと周囲を見る。完全に囲まれていた。侵入は少数で行ったので、こちらの人数が八人なのに対し、帝国兵は二十人近い。いくらジスランやシャルロットが強いと言っても、無傷で逃げ出し、目的を完遂するのは難しいだろう。
「シャル、どうする。皆殺しにするか」
ジスランがさらっと凶悪なことを言う。いや、やるだけなら可能かもしれないが、ここはシャルロットが指揮官である。
「……そうね」
珍しく、シャルロットが即決しなかった。ためらうようなそぶりを見せた彼女に、ゲルラッハ公爵が取引を持ちかけた。
「では、こうしないか、フィリドール女公爵。君がこの国の女王になる代わりに、全員を助けてやる」
「……それは気前がいいことね。その条件は?」
「あなたはフィリドール大佐と離婚し、私を王配にする」
あなたが自ら私を選んだのであれば、皇帝も何も言えまい、とゲルラッハ公爵は笑う。ユーリはこの野心家! と心の中でののしったが、口には出さない。これはシャルロットとゲルラッハ公爵の戦いだ。勝手に離婚させられそうになっているジスランですら、黙ってゲルラッハ公爵を睨んでいるだけなのだ。
「断ったら?」
「あなたがうなずくようにするだけだ。そうだな……手始めにあなたの夫を殺そうか」
「やめて!」
シャルロットが初めて感情的に叫んだ。ゲルラッハ公爵がしてやったりとばかりに笑う。シャルロットが嫌がるところを確実についてくる。
「あなたが素直に女王になり、私と結婚すると言うのなら全員見逃してやる。あなたの夫もだ」
「そうまでしてファルギエールを支配したいの」
「私が手にしたいのはこんなちっぽけな国ではない。帝国だ、この大陸全土だ」
本当に、大した野心である。誰だったかが世界征服をしたいと言うのは男のロマンだ、と言っていたが、本当にやろうとするやつがいたとは!
「そんなくだらないことのために、お前は! 私の家族を奪って、それ以上何を奪おうと言うの!」
「メートル!」
前に出ようとするシャルロットをユーリは無理やり押さえつける。ゲルラッハ公爵はそんな彼女を見てふっと笑うと「全員捕らえろ」と命じた。シャルロットもまとめて後ろ手に拘束される。ジスランですら抵抗しなかったのは、シャルロットが何も命じなかったからだ。
ゲルラッハ公爵はわからなかったようだが、シャルロットとの付き合いが長いものなら、わかる。彼女が感情的になった経緯が不自然なのだ。彼女がわざと、ゲルラッハ公爵にそう言う言動をとらせたように見える。
と言うことは、彼女には何か狙いがあるはずで、ユーリたちは彼女に従うべきだ。まさか、彼女がこのまま何もしない、と言うことはあるまい。
礼拝堂を出て一行が連れて行かれたのはまさかの玉座の間だった。シャルロットがさほど驚いていないところから見て、ここが彼女の目的地だろうか。
「フィリドール女公爵、あなたには何としてもここに座ってもらう」
「そんなに言うのであれば、自分が座ったらどうなの」
玉座を示したゲルラッハ公爵に、シャルロットは冷たく言った。ゲルラッハ公爵は「そうはいかない」と笑う。
「それでは誰も納得しない。帝国もな。あなたが女王になり、夫に私を選ぶのであれば認めざるを得ないだろう」
「そのためだけに私をジスランから引き離すと言うのね。心の底から軽蔑するわ。いっそのこと、あなたと結婚して結婚式に惨殺してあげましょうか」
「シャル」
ジスランが咎めるようにシャルロットを呼んだ。彼女が深呼吸するのが後姿にもわかった。彼女の手首がひねられる。魔法の拘束具が外れた。連動するようにユーリたちの拘束具も外れる。
「……わかっているわ。ねえゲルラッハ公爵。私がどれも選ばないことはわかっていたでしょう。私はもう、何も手放す気はないの」
ゲルラッハ公爵は驚いたような表情になったが、すぐに笑い声をあげた。
「ははは! そう来なくてはな!」
本当に、ここで決着がつく。この先も帝国の支配が続くか、それとも、ファルギエールが再び独立国としての自治を勝ちとるかの。
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