【20】
ユーリ視点。
やむを得ず連れてきた少女二人を部屋に案内し、戻ってきたユーリは部屋でくつろぐ主人夫妻の側に立ち、尋ねた。
「やるんですか」
「やるしかないかねぇ」
はあ、とフィリドール女公爵シャルロットがため息をつく。
ユーリは、シャルロットが反乱にあまり乗り気でないことを知っている。本人が戦闘員としても指揮官としても優秀なのは事実だ。実績もある。
おそらく、シャルロットが決起すれば、ほとんどの民衆がついてくるだろう。家族を皆殺しにされた彼女の存在は、民衆の同情を引ける。実際に、同情を集めているだろう。
だが、一度失った彼女は再び失うことに臆病だ。反乱を起こせば、すぐにでも帝国を追いだせるかもしれない。だが、そのことで再び家族を失うことに怯えている。夫のジスランを失うようなことがあれば、彼女は今度こそ立ち直れないかもしれない。
失うくらいなら、と、彼女はゆっくりとことを進めようとしていた。内部から切り崩してしまおうとしたのだ。そのための布石を、彼女はこの七年で敷いていた。
「どちらにしろ、今すぐには動けない。準備が整っていないもの。どんなに早くても一か月はかかる。ああ……やりたくない」
シャルロットはうなだれて隣のジスランに寄りかかった。ユーリは主人夫妻の仲のよさそうな様子を見るととても目のやり場に困る。慣れたといっても、困るものは困るのだ。
「それまでにボーマルシェ様が行動を起こしたら?」
「その時は今度こそ切り捨てる」
シャルロットは冷酷に言ってのけた。動揺していてもやる気がなさそうでも、彼女は冷静な判断を下せるようだ。シャルロットが体を起こし、言った。
「仕方がないから、ぼちぼち準備を始めましょうか」
「わかりました」
ユーリはうなずく。シャルロットがそう言うのなら、彼はやるだけだ。腰の重かった彼女が動き出すのは、フェリシアンの動きによって、ファルギエールの民たちが二分されるのを防ぐためだ。内輪もめなど、している場合ではないのだ。
二年前の地方反乱などが、その最たるものだ。以降、シャルロットは過激派にも注意を払っている。
「そう言えば」
ふと思い出してユーリはジスランに尋ねた。
「ミレーヌの父親が騎兵隊の隊員だったらしいですけど、ジスラン様、覚えあります?」
じろっとジスランがユーリの方を見た。まるで睨んでいるかのような目力だが、慣れているユーリは彼がただこちらを見つめているだけだと知っている。
「さすがにわからん。あの子、ファミリーネームは?」
「確か、ベルレアンですね」
「……そいつは二年前の反乱で戦死したやつだな」
どうやら、ちゃんと覚えているらしい。さすがに一平卒まで行くと把握できないらしいが、彼には班長を任せていたらしかった。
「つーか、雇う時にシャルが調べてるだろ」
「うん。調べたね」
シャルロットが平然とうなずいた。彼女は知ったうえで、ミレーヌを雇用したらしい。マリアンヌの側に置くのだ。身辺調査をしていないはずがなかったか。
不思議な状況だ、と思う。シャルロットは反帝国派の首魁であるが、ジスランはその帝国の下で働く騎兵隊だ。敵対し合うはずの二人が、夫婦をしている。しかも、目のやり場に困るほどラブラブだ。いや、それは関係ないのか?
「ジスラン様」
シャルロットが着替えのために先に席を立ったあと、ユーリはジスランに声をかけた。立ち上がってシャルロットの後を追おうとしていたジスランが、振り返ってユーリの顔を見る。
「なんだ」
「……いえ、大したことではないんですけど。メートルは、全てをわかったうえで僕に『探ってこい』なんて言ったんだろうか、とふと思いまして」
ジゼルについてボワモルティエ・シアターの練習に何度かお邪魔させてもらったが、眼に見えて諜報活動をしている様子はなかった。
だが、注意深く話を聞いたり、見たりしていると、彼らがさりげなく情報を集めていることもわかった。単純に公演広告の為とも考えられるが、彼らがファルギエール発祥の劇団であること、劇団は諜報活動に向いていることをかんがみ、ユーリは、彼らは反帝国派の諜報活動員だと言う結論に至った。
だが、そもそもこの劇団はシャルロットが出資している劇団だ。所有はしていないとはいえ、彼女が関わる劇団の下調べをしないはずがない。豪胆に見えて、意外と慎重な彼女なのである。
だから、あの劇団がフェリシアンの息のかかった諜報員たちで構成されていることはわかっていたはずだ。その上でユーリに偵察に行かせ、ジゼルを劇に参加させ、さらに自らも観劇に行ったのは、何のためだろうか。
「さあな。あれの考えることは、俺にもよくわからん」
「それでよく結婚生活が成立してますね」
何気なく行ったのだが、ジスランがふっと笑った。相変わらず、どこか怪しげな嫣然とした笑みだ。
「惚れた弱みと言うやつだな」
「……」
これは、惚気られたのだろうか。そろそろわからなくなってきた。
「とにかく、俺はあいつが途中で倒れることがないようについて行くだけだ」
「さらっと男前ですけど……ジスラン様って、世界がメートルを中心に回ってますよね」
「てめえもそう言うところはあるだろ」
「……ありますけど」
否定しないんだな、と思った。ユーリ自身も、シャルロットを中心に回っている自覚はあるからジスランに何も言えないのだけど。
「俺も四六時中一緒にいられるわけじゃねぇからな。あいつのこと、よく見てろよ」
「かしこまりました……よく撒かれますけど」
とにかく彼女は、逃げ足が速い。いや、冗談ではなく、本当に。
「俺たちは都落ちも経験してるからな。……あいつを連れて国外に逃げようとしたこともあるぜ」
説明になっていないが、その情報は初耳でユーリは目を見開いた。都落ちは聞いていたが、逃げようとしたと言うのは聞いたことがない。
尋ねてみようと思ったが、その前に部屋着に着替えたシャルロットが「一緒に寝よう」とジスランを呼びに来た。逃げ回っていたわりには、本当に仲良しである。ジスランもジスランで、シャルロットが声をかけるとほいほいついて行くので、やっぱり愛し合っているのだろう。
翌朝、ユーリはジゼルとミレーヌを連れてミエル・ド・フルールに向かっていた。ジスランは既に出勤したし、フランソワは勉強中。シャルロットは例によって起きてこなかった。
「ねえ、結局昨日のはなんだったの?」
と、尋ねてくるジゼルは神経が太いのか状況がわかっていないのか。ユーリは「知らない方が身のためだと思うよ」と返したが、ジゼルは「そうじゃなくて」と言葉を続けた。
「背景が知りたいわけじゃなくて。気が付いたら、違う場所にいたでしょ。魔法だったのかしらって」
「ああー……」
何故自分が突然違う場所にいたのか知りたいと言うことか。それくらいなら、大丈夫だろう。
「まあ、魔法だね。空間転異っていうよりも、僕たちが空間に取り込まれた感じ?」
仮想空間に連れ込まれてしまったのだ。強力な魔術師だと、仮想空間で起こったことが、実際に現実に影響することがある。基本的に仮想空間と現実空間は切り離されて考えられるものであるが、何事にも例外はあるのだ。
「ふーん……」
ジゼルとミレーヌは「わからなかったけど、わかったことにしておく」という感じでうなずいた。正直ありがたい。詳しく説明しろと言われても、ユーリは魔術師ではないので説明できなかったと思う。
「あれ? でも、雇用主って魔術師よね。避けられなかったの?」
ミレーヌが首をかしげたが、ここにはユーリは正直に答える。
「人質が取られていたし、あの手の魔法は空間に干渉するから、相手の領域……この場合はオペラ・ハウスだね。そこに足を踏み入れた瞬間に取り込まれることはほぼ確定してた」
もしかしたら、シャルロットとジスランの二人だけなら逃げられたかもしれないが、あの場にはユーリやミレーヌ、何より人質にとられたジゼルがいた。
たぶん、彼女らには取り込まれても勝てる勝算があったのだ。実際、あの場にはシャルロットのほかにもジスランがいたし、何とかなる可能性は高かった。
「ま、あんまり首を突っ込まない方が安全に暮らせると思うよ」
いろんな意味で、シャルロットは危険人物なのである。
そうこうしているうちにミエル・ド・フルールに到着した。ひとまず、エリゼとマリアンヌに引き渡せばミッションクリアである。ユーリはほっとした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。