【18】
2月最終日…。
ジゼルは人形の役だった。美しい少女の人形に恋をする青年と、その恋人の話だ。自動人形と言うことで、ジゼルも動くことはあるが、セリフはほとんどない。ただ座っているだけだ。でも、友人が出ていると言うだけで結構楽しい。
話自体も面白かった。女性に人気がありそうな恋愛話だ。ミレーヌもこういう話は嫌いではない。最後はハッピーエンドだし。
夢中で拍手を送っていたミレーヌはふと、隣にいたはずのユーリがいなくなっていることに気が付いた。と言うか、あれだけ大勢いたはずの観客が見当たらない。ミレーヌは一人だけ、そこに座っていた。
「な、何!?」
ミレーヌは思わず立ち上がる。先ほどまで歌劇が上演されていたステージも、今は空っぽ。ミレーヌはざっと青くなる。
怖い。どうなってるの。みんなはどこに行ってしまったの。
振り返って先ほどまでフィリドール女公爵がいた場所を見るが、もちろん誰もいなかった。
「うう……っ」
たった一人残される恐怖。ぎゅっと胸元で両手を握りこむ。全身が震えているのを自覚した。
外に出てみようか。だが、そこにも誰もいなかったら……。
ミレーヌははっと目を見開いた。人影を見た気がしたのだ。そちらの方向に走る。
「待って! 待って!!」
ミレーヌが人影を追う。周囲の景色はいつの間にか暗くなっていた。暗闇の中、ミレーヌは叫ぶ。
「待ってよ! 父さん!」
父さん? 叫んだミレーヌ自身がびっくりした。そして、自分とは別の声が聞こえてきた。
『……ーヌ! ミレーヌ!』
はっとミレーヌは覚醒した。上から覗き込んでいた金髪の少女がほっとした顔を見せる。
「良かった。目が覚めたのね」
「……ジゼル?」
「そうよ」
安心したような表情を見せたジゼルであるが、ミレーヌは時折聞こえてくる金属がぶつかるような音や轟音が気になる。
「あら、目が覚めた? よかったわ」
青いドレスが眼に入った。視線を上げると黒髪の美女、つまりフィリドール女公爵が微笑んでいた。彼女の向こうで光がはじかれているのが見える。ミレーヌはやっと身を起こした。何故かステージの上にいた。
「えっと……どういうこと?」
状況が全く理解できず、ミレーヌは尋ねた。ジゼルは人形の衣装のままだし、ミレーヌはフィリドール女公爵から借りたワンピースのままだ。
「あたしにもわからないのよ。気づいたらまわりにはミレーヌたちだけだし、ミレーヌは気を失ってるし」
「あ、うん」
ミレーヌは思わずうなずく。とりあえず、一人だと思っていたのが同行者ができたので少し安心した。フィリドール女公爵がミレーヌたちの側にしゃがみ込む。
「体は大丈夫?」
「大丈夫だと思いますけど……え」
フィリドール女公爵がしゃがんだことで視界が広がり、何やら戦闘が起こっているのが見えた。戦闘と言うより、戦いか。
「え、え?」
こんな間近で戦いを見るのは初めてだ。ミレーヌは息をのむ。
「え、あ、ユーリ?」
「ん? ああ、彼ら? 大丈夫だよ、放っておけば」
フィリドール女公爵はあっさりと言った。ユーリのほかにもう一人、ジスランだが、彼らが戦っているのは軽業師のような動きをする男たちだ。いや、女もいるが。
「いやあ、巻き込んでしまったね。申し訳ない」
と言うことは、反乱同盟がらみの騒動なのだろうか。どう見ても帝国軍ではないけど。
光線のようなものが、視えない壁にぶつかって跳ね返る。よく見ると、ミレーヌたちがいるあたりを中心に魔法陣が敷かれている。フィリドール女公爵の防御魔法らしい。
「この魔法陣から出ないようにね」
フィリドール女公爵がそう言って微笑み、それからすっと表情を消して自分の夫と護衛の方を見た。二人とも剣を持っている。相手は仮面をしていて、十人ほどか。ジスランの通ったあとには何人か倒れているが、ユーリが押されている……のか? よくわからないが、変則的な敵の動きに戸惑っているようにも見える。
「ジスラン、ユーリ」
フィリドール女公爵が声をかける。彼女の魔法……魔法? が、敵を襲う。その攻撃魔法は敵に簡単に避けられ、逆にジスランやユーリに当たりそうになる。
「雇用者……」
ジゼルも呆れたようにフィリドール女公爵を見上げる。ジスランから苦情が飛んできたが、彼女はどこ吹く風だ。
「当たらなかったでしょ。しかし、そう言うことか」
フィリドール女公爵はつぶやくと、しゃがんで魔法陣に触れた。一瞬魔法陣が輝き、それを確認すると彼女は言った。
「ユーリ! 交代! 私と代わってちょうだい」
「ちょ、何言ってんですか!」
ユーリが驚愕したが、たぶん、フィリドール女公爵は本気だ。魔法陣の範囲から自分から出たし。彼女が離れると防御魔法が途切れるのでは、と思わないでもなかったが、そんなことはなかった。ちゃんと対策しているらしい。
自分の主人が本気だとわかったらしいユーリは、おとなしく下がってきた。彼女と入れ替わるように剣を持ったまま魔法陣の中に入る。フィリドール女公爵は落ちていた剣を拾って夫に並んだ。
「だ、大丈夫なの?」
「うん、まあ……戦い慣れているという点では、メートルは僕より上だから」
ミレーヌの問いに口ごもりつつもユーリが答えた。はあ、と彼はため息をつく。
「あんまり前に出ないでほしいんだけど」
「……うん、まあ、そうね」
ひとまずうなずいておく。ユーリは護衛だ。護衛対象が前に出てどうするのか、と言うことだろう。
「自ら罠にかかりに行くか、お前は」
「いいじゃない。死ぬまで一緒よ」
さらっと言うフィリドール公爵夫妻が怖い。
ユーリの言う『戦い慣れている』というのは事実なのだろう。明らかに動きが違う。彼女はスカートなので大きな動きはできないが、最小限の動きで敵を制圧しているのは、ミレーヌにもわかった。
魔法で狙い撃つよりも、白兵戦での方がこの軽業師のようなものたちと戦いやすいらしい。フィリドール女公爵は時折魔法を繰り出していたが。
「シャル!」
「!」
ジスランの声にフィリドール女公爵が振り返る。ジスランが伸ばした手を取り、手をつかんだジスランが彼女を引き寄せる。場所を入れ替え、二人が同時に剣を突き出した。それぞれ敵の体に刺さる。相手が軽業師なら、こちらも予測不能な動きで混乱させようと言うのだろうか。
「ミレーヌ……よく見ていられるわね」
ジゼルが戦いが怖いようで見ないようにしている。ミレーヌの影に隠れるようにしていて、ちょっとかわいい。いや、ジゼルはいつも可愛いけど。
「うん、別に平気。お父さんが騎兵隊員だったからかな」
自分で言って、あ、と気が付いた。
「なら、私のお父さんってジスラン様の部下だったのかな」
ユーリを見上げて尋ねると、彼は「かもね」とはぐらかすように答えて肩をすくめた。その間に、防御魔法の向こう側では決着がついていた。
「終わりましたか」
「あなたたちはまだそこにいるのよー」
戦い直後とは思えない緩い声でフィリドール女公爵が言った。ジスランが倒した敵を検分している。
「……若いな」
ジスランが嫌そうに言った。仮面を外した彼らは、まだ年若い少年少女がほとんどだった。フィリドール女公爵がため息をつく。
「私たちもこれくらいの時にはもう戦っていたわ。敵としては、嫌だったのでしょうね」
彼女にしては神妙な表情だった。思わず冥福を祈った時、どこからか拍手が聞こえた。
「さすがですね、女王陛下」
「フェリシアン・ボーマルシェ」
ユーリがつぶやいたその名には聞き覚えがあった。立ち上がったミレーヌに隠れるようにしがみついているジゼルもはっとしたように息をのんだ。
反帝国のレジスタンスを率いる過激派の男性の名前だった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
舞台はバレエのコッペリアをなんとなくイメージしています。




