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【17】








「ミレーヌ」


 はい、とジゼルに差し出されたのは、劇場での公演チケットだった。平民でも底辺に近いミレーヌでは一生かかっても手に出来ないものだ。

「……え、何?」

「明後日から公演が始まるの。初演はちょっと無理だったけど、これ、最終公演のチケット。よかったら見に来て」

 と、ジゼルはミレーヌにチケットを握らせる。


「い、いや、受け取れないわよ! いくらすると思ってるの!」


 何度も言うが、ミレーヌでは一生かかっても手に出来ないものだ。王立のオペラ・ハウスは支配国である帝国ですらため息をつくほどの美しい建物で、そこで上演されるのは最上級の歌劇やコンサート、バレエなど。ミレーヌには足を踏み入れることができない場所だ。

 そして、ジゼルが声をかけられた劇団は、ボワモルティエ・シアターという。ファルギエール王国発祥の様々な地域を回る劇団だ。その公演は評価が高く、チケットはなかなか手に入らない。


 ……こんなものを自分が持っていていいのだろうか。しかも二枚ある。


 ジゼルからチケットをもらった翌日、ミレーヌはお客さんが少ない時間にエリゼに相談することにした。

「ああ、ミレーヌ、チケットもらったんだね。最終日かぁ」

 エリゼが微笑む。ミレーヌが「いりますか?」と尋ねると、彼は微笑んだまま首を左右に振った。

「君がもらったんだから、君が見に行くべきだよ。というか、私たちはもう入手してるからね」

「!」

「あはは。この国の影の支配者に入手できないものはないよ」

 エメ・リエルのことか。この国一の資産家である彼女に入手できないものは、確かにないだろう。

「……二枚あるんですけど」

「誰か誘いなよ。ご家族は?」

「……うーん」

 一番上の弟はこういうのに興味はなさそう。母を連れて行きたい気もするが、体の弱い母を気を使うところに連れて行くのは気が引ける。幼い弟妹達を連れて行くわけにもいくまい。

「考えておきます」

「そうだね」

 エリゼが優しくうなずく。仕事に戻ろうとしたミレーヌははっとしてエリゼを尋ねた。

「副店長!」

「どうした?」

「……どういう格好していけばいいんですか?」

「……うん、そうだね……」

 ミレーヌにとっては結構な死活問題である。エリゼは苦笑を浮かべたが、力強い助っ人を連れてきてくれた。


「こういうの、わたくしよりマリアンヌの方が得意よねぇ」


 エリゼが連れてきたのはエメ・リエルだった。連れてきたと言うか、ふらっとやってきたのを捕まえた。今日もジスランとフランソワが一緒で、格好も品のいいワンピースドレスで、エメ・リエルと言うよりフィリドール女公爵ラ・デュシェス・ド・フィリドールと呼んだ方がいいだろうか。


「え、でもきれいな格好してるじゃないですか」


 ミレーヌが言うと、フィリドール女公爵は「ジスランが選んだの」と微笑んだ。さらっと惚気られた。

「シャル、惚気てないで手を貸してあげればいいじゃん」

 フランソワがツッコミを入れた。ユーリがいれば彼がつっこむのだが、彼は今日もジゼルに付き合って最終リハーサルに行っている。本番が始まれば、彼もある程度自由になるらしいが。

 ユーリのツッコミはフィリドール女公爵が彼の主人であることもあり一歩引いているが、フランソワは結構鋭く切り込んでいく。

「服を貸すのはやぶさかではないけど、身長がねぇ」

「シャル、大きいもんね」

 フランソワの言葉は、フィリドール女公爵だけではなくジスランの心もえぐっていた。彼は妻よりも背が低いから。いや、彼も小柄と言うほどではないのだが、フィリドール女公爵が女性にしては長身すぎるのである。


 聞けばフィリドール女公爵が着なくなったワンピースなどをユーリが女装に使っているらしい。まあ、確かにその二人なら貸し借りできるだろうが。

「ミレーヌ、身長いくつ?」

「測ったことはありませんけど、ジゼルよりも小さいです」

「ああ……シャルは?」

「百七十四センチメートルね」

「でかいな」

「好きでこんなに大きくなったわけではありませーん」

 ジスランの舌打ち混じりの言葉に、フィリドール女公爵はそう答えた。所々に夫婦喧嘩だかじゃれているんだかわからない会話を入れないでほしい。


 ミレーヌは百七十四センチメートルと言われてもピンとこないが、確実に彼女と顔半分くらいは身長差があるだろう。

「逆にマリアンヌとのほうが体格が近いんじゃねぇか」

 ついにジスランがツッコミを入れたが、フィリドール女公爵が冷静につっこみ返した。

「まあ、清楚系のミレーヌとマリアンヌでは似合う服が違うわよねぇ」

 あと、胸のあたりもスカスカしそう。あでやかな美女であるマリアンヌに張り合うわけではないが、同じ性別とは思えない違いにちょっと愕然としただけだ。


「まあ、冗談はともかく、十代のころのワンピースで良ければ貸し出すわよ。つめれば着られるでしょ」


 にこっと笑ってフィリドール女公爵が言った。確かに、スカートをつめれば着られる気はするが。ついでに一緒にオペラ・ハウスに行ってほしい。それが顔に出ていたのか、フランソワがミレーヌのエプロンを引っ張った。

「ミレーヌ。この人こんな感じだけど公爵様だよ」

 そうでした。隣にいたら余計に目立つか……。

「そんな顔しないの。ユーリを一緒に行かせるわ。最終日だったわね?」

「あ、はい。あ、チケットも二枚あります」

「了解。言っておくわね」

 もしミレーヌがチケットを二枚持っていなくても、フィリドール女公爵はどこからか入手しただろう。

「あ、でも雇用主パトロナは一人でいいんですか?」

「ジスランと行くもの」

「……」

 ミレーヌの顔が死んだ。エリゼが苦笑する。

「胸焼けしてくるでしょう。喧嘩するほど仲が良いっていうレベルを越えてるよねぇ」

 フィリドール女公爵が逃げ回っていたのが嘘のように仲がいい。どうなってるんだ。まあ、喧嘩するほど仲がいい、とも言うけど。

「ええっと。そうしたら、お借りしてもいいですか」

「もちろん」

 公爵様の服を借りると言うのは気が引けないではないが、フィリドール女公爵を見ているとまあいいかな、と思ってしまうのが不思議だ。この人、偉い人なんだけどなぁ。断ると言う選択肢はない。それそれで怖い。


 たぶん、フィリドール女公爵も面白がっているのだと思うが、本当にワンピースを持ってミエル・ド・フルールを訪れた。その時はユーリが一緒で、エメ・リエルの恰好をしていた。二階の事務所を借りて着てみたのだが、やはり長かった……わかっていたが。

 その時ついでにユーリにチケットを渡した。彼はエメ・リエルを半眼で睨んだが、彼女は笑っているだけだ。エメ・リエルでもフィリドール女公爵でも、やはり基本的な性格は一緒なのだなぁと思った。

 当日、ミエル・ド・フルールでユーリと待ち合わせ、ミレーヌはオペラ・ハウスに向かった。ジゼルが押し付け……渡してきたチケットは結構いい席で、ミレーヌは慄いた。だってひらひら手を振っているフィリドール女公爵が近くに見える。隣でジスランが怖い顔をしていたので、目をそらしてしまったけど。

「どうかした?」

 隣に座るユーリが首をかしげてミレーヌに尋ねた。ただでさえ緊張しているミレーヌはかけられた声にびくっとした。

「えっと、フィリドール女公爵が」

「ああ……バルコニー席から見てるんだね」

 そう言ってユーリは慣れた様子で腕と足を組んだ。今日も男装……と言うか、正装である。一応、ドレスコードがあるのだ。

 ミレーヌたちがいるのは一階席の中腹あたりだ。前に通路があり、結構見やすい。


 鐘が鳴った。開演だ。ミレーヌは居住まいを正して幕の上がるステージを見た。










ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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