【15】
「ただいまー」
エメ・リエル……というかシャルロットが、間延びした声で帰宅を継げる。王都のフィリドール公爵邸に帰宅すると、珍しくジスランが先に帰ってきていた。ミエル・ド・フルールに長居したとはいえ、珍しいこともある。
「おう。ユーリたちに迷惑かけてないだろうな」
「もちろん」
「……」
女装させられている身としては、素直にうなずけないユーリである。いや、自分がそう言う格好が似合うのはわかるし、変装の意味合いも兼ねて有益なのはわかる。シャルロットが男装している以上、ユーリも男装で十歳程度の子供であるフランソワを連れていたら怪しまれるからだ。子連れで女性が一緒なら怪しまれにくいのである。
なら、初めからシャルロットが女の恰好をすればいいのでは、と言うところでもあるが、彼女はフィリドール女公爵である。ふらふらしているのを帝国に見つかりたくはないのだろう。
結果、こうなるのである。
フィリドール公爵邸では、夕食はフィリドール公爵夫妻と女公爵の護衛のユーリ、さらに預かっているフランソワの四人で食卓を囲むことが多い。この屋敷の主たるシャルロットが、大勢で食卓を囲むのを好むからだ。
「シャル」
「何?」
夕食後、フィリドール公爵邸ではコーヒーが出てくる。フランソワは紅茶だけど。夫妻はたまにワインなどを飲んでいるが、子供たち(ユーリを含む)の前で飲むことは珍しい。
シャルロットに声をかけたジスランは彼女に向かって封筒のようなものを一通差し出した。それを受け取ったシャルロットはわかりやすく顔をしかめた。
「返送可能?」
「不可能に決まってるだろ、馬鹿」
「ええ~。行かないとだめ?」
どうやら夜会の招待状らしい。フィリドール女公爵であるシャルロットは、基本的に国の内外をふらふらしているので、参加はジスランだけ、という場合が多かったのだが。
「当然だ。てめえ、ドゥメール侯爵の世話になってる自覚はねぇのか」
「ううっ」
シャルロットがうめいた。ドゥメール侯爵は現在、ファルギエール王国の内政を預かっている貴族である。シャルロットやジスランとは旧知で、彼が帝国との折衝を行っているために、ファルギエールは完全に帝国の支配下には置かれていないのだ、とシャルロット自身が説明していた気がする。
「世話になってんだから、夜会くらい参加しやがれ。侯爵がいなければ、てめえ今頃断頭台だぞ」
「……うーん。一発でスパッといってくれるならそれでもいいような気も……」
たまに、シャルロットはこういうことを言う。反乱同盟のファルギエール盟主だとか言われているが、彼女は帝国によって家族を皆殺しにされた。帝国を憎むのもわかるし、自分を置いて逝ってしまった家族の元に行きたいと思うのもわかる。ユーリも、戦争によって家族が離散していた。
そんなことを言う妻に、ジスランは言った。
「シャル、てめえ、俺を置いていくつもりか」
言い放ったジスランに、シャルロットが目をしばたたかせる。それから彼女は微笑んだ。
「ねえジスラン。私、あなたのそう言うところ、好きだよ」
やりかけのことを押し付け、一度すくったものを見放すのか、と追い詰めるのではなく、ただ、置いて逝くなと言う。残された方だから響くのだろうと思う。ユーリにもシャルロットがそう言った理由が理解できる気がする。
ただこれは、シャルロットとジスランが愛し合っていることが前提で、正直目の前でいちゃつくなと言いたいが、それを言う段階は既に通り過ぎており、ユーリどころかフランソワも無心の域である。
「夜会は三日後だからな。ユーリ、悪いがフランソワを見ていてくれ」
「しっかりきっかり護りますので、安心して行ってきてください」
そして、帝国の人たちにその仲良しぶりを見せつけてこい。たぶん、みんな砂糖を吐きそうになるから。誰だったかがケンカップルなどと言っていたが、基本的にこの二人は相思相愛である。シャルロットは半年以上、ジスランから逃げ回っていたけど。
「ああ、そうだ。ジスラン、しばらくユーリを貸し出すことになったんだー」
シャルロットが言った。まあ、ユーリを雇っているのはシャルロットなのでジスランに報告する必要はないのだが、情報共有は大切である。
「ミエル・ド・フルールの従業員の女の子が劇団にしばらく通うことになるから、その護衛に付けようと思って」
「……お前が決めたなら反対しないが。気になることでもあるのか」
「ちょっとね」
シャルロットは真剣に答えなかったが、ジスランも問い詰めることはしなかった。一言「わかった」と答える。こういうことに関して、シャルロットは無駄なことをしないからだ。
「だが、お前の護衛はどうする」
「別に護衛なんていなくてもいいと思うんだけど……」
「本気で言ってんのか」
ジスランのただでさえ低い声がさらに低くなった。ユーリは少しびくっとしたが、シャルロットもフランソワも平然としていた。
「でもまあ、その間はジスランと一緒にいようかなって」
にこっとシャルロットが笑うと、ジスランの怒りの表情は急速に真顔に戻った。そして。
「……てめえ、何たくらんでる……?」
「さすがにひどい! 怒るよ!」
とシャルロットは子供っぽく頬を膨らませた。怒ると言うよりすねる、と言う方が正しい気がするのだが。呆れたように様子を見ているユーリの服の袖を、フランソワが引っ張った。
「ねえユーリ」
「どうしました、フランソワ様」
「ジェラートもらっていい?」
フランソワが指さしたのは、食後のデザートとして出てきたジェラートである。融けかけているそれを、ユーリはフランソワに渡した。
「ありがと」
「フランソワ様、マイペースですね」
「あの二人に育てられたからね」
と、彼が示すのはフィリドール夫妻。犬も食わない夫婦喧嘩を続けている。ユーリはついにツッコミを入れた。
「もういいじゃないですか。ジスラン様も、メートルと一緒に出掛けてくれば」
二人だってデートをしてくればいいのだ。
そんな夫婦喧嘩から二日後、ユーリはジスランとフランソワに見送られて、ジゼルを迎えに来ていた。シャルロットは起きてこなかったので挨拶できなかったが、まあいいか。
「おはようジゼル」
「……おはよう、ユーリ。本当に来たのね」
「うん。メートルからの命令だからね」
ジゼルが「ならしょうがないわね」と言ったので、ユーリは彼女たちの中でのシャルロットの印象がどうなっているのかちょっと気になった。扱いが適当である自覚はあるが、ユーリもシャルロットのことは慕っている。
「ああー、行きたくない……」
「まあ、僕も一緒だし、大丈夫だよ、たぶん」
「たぶんなのね」
ユーリとしても少し心苦しいところはある。ジゼルを利用している面があるからだ。シャルロットはなんと言ってエリゼやジゼルを説得したのかわからないが、ユーリは主人たる彼女から密命を受けている。
劇団の内情を探ってこい。
それだけ聞けばただ劇団のことを知りたいようなだけのような気もするが、ユーリはシャルロットとジスランによる教育を受けている。彼女が言いたいことが分かった。わかってしまった。
地方を移動して講演する劇団は、諜報活動に向いている。娯楽を提供するとなれば、わりとどこででも受け入れてくれるものなのだ。
あの劇団が、そう言った活動をしていないか探ってこいと言うことなのだろう。
あの劇団は、ファルギエールのものだったか、帝国のものだったか。どちらにしても、シャルロットには面白くない事態なのだろう。顔には出ていないが、その頭の中ではいろいろな考えが高速で巡っているはずだ。彼女は怒らせると怖いタイプの人間だ。今のところ、彼女が本気で怒ったところは見たことがないけど。
実は、彼女が本気を出せば帝国なんて簡単に滅ぶのではないだろうか、と思わないでもなかったが、ユーリは今日も主人の命に従って情報収集に向かうのだ。
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