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水神の社




溺れるのは何時以来だっただろうか。

思い出せる限りではまだまともに狩りも出来ない幼い頃に土手で脚を滑らせて川に落ちた時だ。襲いかかる水、地に足の付かない浮遊感と逆に深い底へ身を引きずり込もうとする流れ。

あの時、たまたま通り掛かった藤虎に救われなかったらどうなっていただろう。


「変なの。水で溺れるなんて」


ふと知らない囁く声が聞こえた。起き抜けの白猫には寝ぼけてぼんやり聞こえるそれはその声以外にも誰か居る様で次々と続く。


「毛むくじゃら」

「地上の生き物は大体こんなのだよ。それにほら、水神様が作ってくれたこの空気の玉の中に入ってないと簡単に死んじゃうんだ」

「へー水中じゃ生きられないんだ!」

「貧弱?」

「虚弱じゃない?」

「弱いって事に変わりは無いよねー?」

「ねー」

「弱い弱い」

「ねぇ、此処なら私達の方が強いんでしょ。なら食べちゃう?」


ぞわりと毛が逆立った。


「勝手な事を言うな」


目を開けて跳び起きる。そして、白猫は辺りを見て絶句した。

目と鼻の先で此方をジッと興味深げに見つめている沢山の見た事も無い魚達。白猫の身体以上に大きな者も居れば金魚並みに小さな奴も居る。

如何やら、先程の囁き声は魚達の声だったようだ。白猫は大玉の西瓜よりも一回り大きな玉の中に居る。此処は魚達が居る水中ではなく中には空気が満ちている。


「あっ、起きた」

「起きちゃったね」

「なっ、何だ此処。何処だよ!」


逃げようにも逃げ場が無い。というか、水神は何処に行ったのだ。こうなったのは恐らく水神が関係している事は明白だろう。


「此処は水神様の社だよ?」


ほら、やっぱり。

一匹の魚が答えをくれた。


「あの糞餓鬼。絶対に許さねぇ……」


白猫は苛立ちで白い牙を剥き出しにする。殺伐としたその表情は外敵をあまり知らない魚達を怯えさすのには十分だった。


「なぁ、お前ら水神は……って、おい! 何処に行くんだ」


次に白猫が顔を上げた時には魚達は一目散に散っていった。白猫の呼びかけにも止まらない。玉の外には出られないのに怖いから近づくなと言われる始末だ。


「何なんだよ!」

「騒ぐな。地上の獣」


白猫は声の方に視線を向けた。地味な色合いの魚だ。足元近くに潜むように居たせいで気付かなかった。金魚のような鮮やかな者に慣れていたせいか黒っぽいその魚が珍しいと感じる。


「お前は?」

「おっと、それ以上は動かない方が良いぞ。お前は今、情けで水神様が作った空気の玉の中に居る。一、二個の穴なら直ぐに塞がって問題は無いが、その手の爪は五本以上。それ程の数の穴が開けばたちまち弾けてお前は水に押しつぶされて死ぬぞ」


確かに柔らかな布団のように不安定な足元は爪をたてれば直ぐに傷が入ってしまうだろう。

動かない方が正しい。水神に助けられたというところがとても気に喰わないが、状況が状況だ。白猫は落ち着けと自分に言い聞かせるように深く息を吐いた。


「ふむ。なかなかに賢い奴だ。私は河豚。主である水神様よりお前の監視を命じられた魚だ。よろしくな、獣」

「獣じゃない俺は猫だ」

「何、此処では猫も獣と同じさ。魚を喰らう者は全て獣なのだから。だが、お前は猫か。なら次からは猫と呼ぼう」


小さな尾ひれを動かして白猫の目線の高さまで浮上して来た河豚は一人で納得してうんうんと頷く。

その様子を見ながら変わった奴だなと思いつつ、白猫はハッとある事に気付いた。

何故、白猫と河豚は隔たれているのだ。空気中と水中。空魚は水に拒絶されるのではなかったか。


(まさかとは思うが……)


「河豚、お前はもしかして空魚じゃないのか?」

「そうだが?」


何を今更という雰囲気で河豚は言う。そして、直ぐに「あぁ」と思い当った表情を白猫に向けた。


「そう言えば、お前は空魚に友人が居るのだったな。水神様から聞いているぞ。この社に居るのは空魚ではなくただの魚だ。水を選び、水神様の側に居る事を選んだ我らは水中でしか生きられぬ。まぁ、空魚の逆という事だ」

「逆……ふっ、アイツが聞いたら羨ましがるな」


本来、あるべき生き方のまま水中で暮らす魚。

水に焦がれる金魚を思い出して白猫はため息を吐くと、キッと口を引き結び、射抜くように真っ直ぐ河豚を見据えた。


「河豚、水神は何処に居る? 俺はアイツと話がある」

「そんなに構なくても連れて行くさ。お前が目覚めたら御前に連れて来るように命じられているからな」

「そうか」


如何やら、話は早く進みそうだ。面倒だが「例え、溺死するとしても連れて行かないのならば一矢報いてお前を喰い殺す」なんて脅しをしなくてもいい事に少し安堵する。


「では行くか。振り落されないように頑張ってくれ」

「は? わっ!」


唐突に下から白猫を押し上げるように現れた石を持つ魚。魚というには到底似つかわしくない四つの手足を持ったそれの石のように固い背に白猫は乗っている。


「ソイツは海亀だ。ゆっくり水流に乗って泳ぐのが得意でな。今回は泳げないお前の運搬役として任を受けている」

「よ、よろしく」

「…………」


引き攣り気味に挨拶した白猫に海亀は返事もしない。真っ直ぐ前を向いたままだ。

気位のだろうか。地上の生き物と言葉を交わす気も無いくらいに。そう思ったが、河豚が何でもないという風に口を開いた。


「気にするな。ソイツは年寄りなんだ。耳が遠くてな。では、行くぞ」


そう言いながら、先頭を泳ぎ始めた河豚に付いて海亀は動き出した。白猫は振り落されないように海亀の動きに合わせてバランスを取る。


「ほう、上手いじゃないか」

「そりゃあ、どうも」


普段は色々な所に登ったり、細い塀の上でも歩くのだ。猫としてバランスが取れないものなんてない。


「しかし、お前は水神様に聞いていた奴よりも随分と冷静なんだな」

「は? どういう事だ?」


水神のもとにはまだ距離がある。一体どれだけ長い廊下なのだ。荘厳な造りの屋敷が目に痛いと思いつつ、白猫は何かとお喋りな河豚に眉を寄せた。


「いや、何。水神様にはお前が頭に血が上りやすく、喧嘩腰でもの凄く不敬な奴だと聞いていたものだから注意しろと言われていたんだが、状況の判断は直ぐに出来るし、言葉使いも馬鹿には程遠い。随分と違うものだと思ったぞ」


(あの糞餓鬼め……)


頬を真っ赤にして怒りながら河豚に言う水神の姿が目に浮かぶ。全くもって不愉快だ。喧嘩腰なのは水神が金魚の願いを受け入れないへそ曲がりの頑固なせいだ。


「まぁ、私としてはお前が賢い奴で良かった。場合によっては殺すなんて脅して来るかもしれないから私が監視役に選ばれた訳だしな」

「それは、お前が俺よりも強いからって理由か? お前は何か妖術のような特別な力でも持ってるのか?」

「ふふ、面白い冗談だ。いいや、私はお前よりは弱いぞ。見た目通り、襲われて抵抗するには武器になりえる爪も妖術も使えないただの魚だ。けれど、私の身体には毒が仕込まれているんだ。私が死んで初めて使える猛毒がな。だから、もしお前が私を喰い殺すような真似をしたらお前は間違いなく死んでいただろうな……どうした? そんな引き攣った顔をして」

「気にしないでくれ。ただ魚を侮る事はもう止めようと思っただけだ」


不思議そうに首を傾げた河豚から白猫は視線を背けた。

危なかった。先程のやり取りと思い出す。間違ってでも水神のもとに連れて行かないのならば喰い殺すなんて脅しをしなくて良かった。


(ほんと、魚ってのはタチが悪い)


自分を喰って良いからと言う金魚然り、毒を身体に持ちながら飄々と笑う河豚然り。

魚という存在はなかなかに扱いが難しい。


「着いたぞ」


角を幾つか曲がり暫くして、ようやく蓮の花が描かれた大きな扉の前で河豚は止まった。この先に水神が居る。河豚は白猫が後ろに居る事を再度確認する為に振り向いた。


「この先は水神様との謁見の間だ。くれぐれも粗相のないようにな」


河豚からの注意の言葉と共に扉が開かれる。開かれた先に見えたのは灯りに照らされてきらきらと揺蕩う水の波紋、一国の主でさえここまで出来るかと思える程、豪華絢爛な室内に見た事も無い沢山の魚達が舞い泳ぐ姿はまさに圧巻だ。

しかし、白猫はそれらを一切無視して部屋の一番奥を真っ直ぐに見据える。白猫と対峙する形で椅子に頬杖を付いて座って居る水神の姿。

不機嫌極まりない様子で彼方も白猫を睨み付けている。


(さてさて、此処からが正念場だな)


第二戦目を始めよう。水神が折れるまで、金魚の願いが叶うまで諦めて堪るか。


「よう、先程はどうも、糞餓鬼」


開口一番に悪態を吐く。水神の眉がピクリと動く。

勝者は水神か白猫か。

こうして、再会は両者の火花と共になされたのだった。






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