白猫
よく晴れた真夏の昼下がり。一匹の猫が長屋の縁側の下でまどろんでいた。
砂埃の目立つ、洗い流せばさぞ真っ白な雪を印象付けるだろう白猫はこの辺りの城下町を縄張りに暮らす野良猫だ。
「こんな所で何をしているんだ?」
「……何だ。お前か」
ふと聞き慣れた声に重たい頭を振り向かせると、薄暗い奥の方から金の瞳を光らせた馴染みである虎猫が此方に向かっていた。
如何やら、白猫が昼寝をしている間に奥の方で狩りをしていたらしい虎猫の口には既に息絶えた哀れな鼠が銜えられている。
横に座った虎猫は鼠を地面に落とすと前足を舐め上げながらしゃべり出した。
「やー今日の鼠はどんくさくてやりやすかったわ。俺が居るってのに気付かないで目の前通り過ぎようとしたんだぜ。簡単すぎて達成感ないわ」
「それだけ、お前の気配を消す技術が上手くなったって事だろう。良い事じゃないか。お前の母さんもお前の成長に喜ぶぞ」
「そうかもだけど、それを無しにしたって達成感が無いってのはやりがいを感じないんだよ。面白くない」
そう言う、虎猫に白猫は首を傾げる。
若く、まだ狩りになれていなかった頃は虫でも鼠でも上手く出来れば達成感を得る事はあった。けれど、慣れればそうでもなくなる。白猫の中で狩りは生きる為の腹を満たす行為。所詮は義務的行為に過ぎない。
「……そういうものか?」
「そういうもんなんだよ」
虎猫は呆れたように笑った。そして、身体を屈めたと思うと器用に前足を使いながら鼠を喰い始めた。
捕ったばかりの獲物は生臭い。暑さもあってか余計に鼻につく臭いに思わず、白猫は顔を顰めた。
「お前な、他所で喰えよ」
「ん? 何、お前も腹減ったの? 駄目だよ。まだ狩り覚えたての子猫なら分けてやるけど、お前はもう大人だし」
「要るか、そうじゃねぇし。暑いから涼しい所に逃げてきたのにそんな血生臭くされたらせっかくの日陰も意味ないだろうが」
「風が吹けば直ぐに臭いなんて飛んでくって……ふぅ、ご馳走様」
鼠を平らげた虎猫は満足げに息を吐いた。
「やっぱり、虫より鼠のが美味いな」
「あっそ」
興味も無い。
白猫は立ち上がり縁の下から出て行こうとした。すると、すかさず虎猫が問う。
「何処に行くんだ?」
「狩り」
素っ気なく言えば虎猫は笑った。
「何だ、やっぱり腹減ってたんじゃないか。何、捕りに行くんだ? カマキリか、鼠か? お前はだいぶ細いから肉のある奴喰った方がいいぞ。手伝ってやろうか?」
「手伝いは要らん。獲物は……そうだな、魚にでもするか」
「魚? ぷっ!」
「何が可笑しい?」
突然、噴き出した虎猫をその場で立ち止まってジロリと睨む。
「あーわりぃ、わりぃ」と全く悪いと思っていないだろう虎猫はニヤついた顔のまま白猫に視線を向けた。
「だってよ。魚捕るって普通に無理だろ。お前も冗談言えたんだな」
「無理かどうかはやってみないと分からないだろ」
「いや、無理だろ。空に居る魚を鳥でも無い俺達がどうやって捕まえるのさ」
白猫は少し呆れたような虎猫の口調に少しムッとする。
三年程前の夏の事だ。
まだ、白猫が生まれていないその年に突然、魚は空に昇った。まるでお伽話のようだが、本当の事だ。クジラもイワシの群れも小さなメダカでさえも今は水中では無く、蒼空の中を悠遊と泳ぐ空魚になった。
「人は魚を捕っている」
抗議するように言う。
今では手の届かない所に居る魚だが、人間は今も変わらず食している。何でも、夜に行灯を吊るした竹を空高く上げてつられて寄って来た魚を虫のように網で捕らえるらしい。
魚が水に居た頃に比べれば雀の涙程度の量しか捕れない。お陰で庶民は魚を喰えず、金持ちは大金積んで魚を喰う。
「だから何だ。人が出来るからお前でも出来るっていうのか。灯り一つ持てやしないその手で?」
「何も人のように漁をしようとしてる訳じゃない」
「なら、何か。横取りでもしようと? ハッ、無理に決まってるだろ」
鼻で笑う虎猫に対し、白猫は押し黙る。
横取りは出来ない。そんなの白猫は重々承知だ。何せ、剥き出しの籠と違い蓋つきの箱に詰められ、護衛まで付いて厳重に管理されているのだから猫が入り込む隙は無い。
しかし、魚を誘う術を持たない猫が空魚を手に入れるには今も昔も人から奪うことで手に入る確立が高いのも事実。
「お前、普段は同年代の中で誰よりも賢いのに時々、夢みたいな事を言うよな。まぁ、それはお前の愛すべき欠点であるから俺はぬけてるお前も好きだけど、やっぱり現実見ろよって言いたくなる」
「俺の勝手だろ」
食べてみたいと夢見て何が悪い。
「そうだな。勝手だ。もう止めやしねぇよ」
ふぅ、虎猫はため息を吐いてその場に丸まった。如何やら、昼寝をするらしい。そんな虎猫を放置して白猫は外に出た。眩しい陽射しが暑い。
「暑い」
言いながら、空を見上げる。蒼空には白い雲、そしてそれに混じって悠遊と空を泳ぐ空魚達。天が高すぎて殆ど影の形しか見えないがもっと近ければそれはまるでお伽話の竜宮に行った男が見た光景のように幻想的だったことだろう。
「なぁ! もしも、魚を食べたら鼠とどっちが美味しかったか聞かせてくれよ」
ふと、後ろから虎猫が叫ぶのが聞こえた。
「五月蠅い」
吐き捨てると、白猫は走り出した。