悪い魔法使いと越久夜町 1
梅雨が本格的になり、雨がシトシトと降り続ける。
稲荷の狐との出来事の後、少しの間晴れ間が戻った。ダムも緊急放流しなくて済み、越久夜町の人々は安堵したという。
梅雨入りしてからは断続的だが、穏やかな雨量に落ち着いている。あれは何だったのだろう、と辰美は不思議がっている--山の女神のSOSだったのだろうか?
夕方になり暗くなり始めた国道は、街灯だけが頼りだった。雨合羽をきながらも辰美と友人の見水はトンネルで一休みしていた。
大学の帰り道は意外と長い、休憩すれば帰宅する時間も遅くなる。早めに帰ろうとは考えているが二人は雨宿りをしながらも、他愛もない話をしていた。
「その手、気になっていたけれど、どうしたの?」
見水に右手が包帯だらけなのを気にされる。
「軽い火傷しちゃって。」
「も〜〜辰美の事だから無理したんじゃないの?」
「あはは。」
はぐらすも、見水は本当に火傷だと思ったらしい。心配そうにハンカチでカバンを拭っている。
「そっか…医者に診てもらったほうがいいよ。ほら、町外れにある、越久夜町唯一の診療所。リネンさんってお医者さんで--」
「あ、あの人…?」
「知ってるの?だったら是非行った方がいいよ!あ、早く帰らないとね。最近物騒だから…」
「そうだね。」
「じゃあねっ!気をつけてね〜〜~!」
「うん、見水も。」
見水が自転車を漕いで、路地に消えていくのを見送り、携帯の画面を見やると十九時後半に差し掛かっていた。
「あー、課題今日も一夜漬けかぁ〜……。」
雨音のみの静寂に包まれた路地にユラユラと紫色の塊が歩いているのが視界に入る。傘もささずに、四歳ぐらいの子供が裸足でゆっくりとした歩幅で進んでくる。
あの平安貴族が着ているような奇っ怪な装束を着飾っている"式神"だった。
辰美の横を落ち着いた様子で通り過ぎていく。魔筋で襲いかかってきたとは思えぬ理性的な様子だった。
気になり、後を追ってみたくなる。自転車を停め、抜き足差し足忍び足で跡を付け始めた。
坂を登ると和洋折衷の素敵な邸宅が現れた。余所から来た辰美もオシャレだと目にする、古めかしい建物が多い越久夜町でも抜きん出る建築物である。
式神は正門を潜ると邸宅に入っていく。
『星守』と書かれた表札。辰美は恐る恐る半開きの扉を潜り、式神が向かったと思われる庭に向かった。
人が住んでいないのか、庭は荒れ果てている。灯篭が傾き生垣や木々が荒廃していた。
式神は暗闇に吸い込まれるように姿が掻き消える。
(ここに住んでいるのかな?)
廃屋にしても立派な庭だ。人が住んでいた頃は管理され、自慢の庭として大切にされていたに違いないだろう。
「!」
誰かが邸宅の庭に佇んでいる。
男の人だった。月明かりに照らされて、薄ぼんやりと顏が浮かび上がる。辰美はいつか目にしたことがある気がしてゾッとした。
生気のない眼をした顔色の悪い男。歳はそんなにとっていないだろうが、くたびれたように見えた。
彼はジッと式神が消えた場所を眺めている。
辰美は彼が半分人ならざる者の気配を持っているのに気づく。
(や、やっぱり、どこかで会ったような?)
辰美は思わず話しかける。
「ね、ねえ」
男はわずかに驚き、こちらを見やる。
「さっき変な格好をした子が入っていったよ」、と辰美はきいた。彼は相変わらず陰鬱とした気色で。
「式神が見えるのか?」
「式神?あの子、アナタの式神だったんだ?」
ドキリとして、手に汗が滲む。
--式神だね。これを狙ってた。
神獣鏡と勾玉を指差し、彼女はいう。
(まさか…この人、悪い魔法使いなんじゃ……)
「その眼、なんだ。気色が悪い。その目を向けるな。」
「えっ、分かるの?これ」
「お前は人ならざる者なのか?」




