鬼神 6
──奇跡や希望が時空を救うように、反対の絶望が時空に作用する事もある。
鬼神の発したエネルギーは越久夜町を破壊しかけたのだろう。それにより歪みが生じたのかもしれない。あったはずの分岐が失われた。
「だから弥生時代以降に渡来人の記録は少なかったのね。」
「もしかしたらだが、異国の民たちは追い出されたのかもしれないな。私のせいで」
鬼神は影のある顔で俯いた。
「……でも!またこうして復活できたわけだし──」
「神相手に慰めかい?変な娘だ。」
「あ、えっと…だって、アナタ悪くないじゃない。自分が信じているものを大切にしただけだし、あと、何も悪い事してないのに─」
「慰めは無用だ。…ああ、私は神に仕え言葉を伝えただけだった。それは祭神にとっても邪な行為じゃない。ただ、ムラにとって都合の悪かっただけなのさ。それは分かっていた、今も分かっている。怨みや憎しみの感情を除いて理解している。」
彼女は立ち上がり、歪な月を眺めた。
「私が眷属を生み出したのも、あきらめきれない未練だったのかもしれぬな。」
「未練?」
「彼の神威ある偉大な星のような神を、再び─町に崇拝の偶像を作る。安寧秩序にしなければ──私はそう考えていた。…眷属を神に仕立て上げる。最高神に仕立て上げるんだ。そのためにアレを生み出した。」
危うい目つきで、こちらを一瞥するもすぐに落胆に変わった。
「だが、それも失敗に終わったのだ。」
──眷属は鬼神の眠っていた希望、未来の化身だったんだ。その存在は奇跡に近い、未知数の存在が生まれ落ちたのだから。
犬人間はそう言っていた。
(私も、その眷属に会ってみたかったな。)
「フッ気が済んだ…やはり私には何もできなそうだ。このまま世界を壊してしまおうか。ふふ。」
──奇跡や希望が時空を救うように、反対の絶望が時空に作用する事もある。かつて鬼神が鬼神たらしめた事件で、怨恨が時空を破壊しそうになった。
犬人間が言っていた言葉が本当ならば、鬼神は今も時空を破壊できるほどのパワーをもっているのだろう。怨霊といえども神である。同じ神である地主神を倒し、この地を我がものとするほどのエネルギーを持っている。
そうなるとこちらも"用済み"になりかねない。
為す術なくも時空と共に海の藻屑となりゆくのだ。
「さ、お引取り願おうか?」
皮膚が冷や汗をたらりと垂らし、背筋に冷たいものが走る。このままではいけない-
「鬼神さんは時空がどうなるのか知っているんだよね?私、時空をハッピーエンドにしなきゃいけないの。そうしないと時空が滅んでしまうんだ。」
と、勇気をふりしぼり切り出してみた。
「もう私には時空どうこうは関係ないのだ。先ほど話しただろ。」
眉をひそめ、彼女は明らかに不機嫌になる。辰美は一息おいて口を開いた。
「だけど、あたしには二人、幸せでいてほしい人がいる。どうにかしてできないかもしれないけど…。鬼神さん、言っていたわよね?消えたくないって。」
「…。」
「それは私もそう。時空とともに消えたくはないのよ。」
「で、この鬼神とやらに何を望むんだい?」
興味を持ったのか、少女の顔が意地悪さを含む。
「あ、えっとぉ。鬼神さん、見つけてほしかったんだよね?」
「質問に質問か?そうだねえ、私は曲がりなりにも肉体を失った、儚い存在だ。誰かに見つけて認識してもらいたくて仕方なかった。本能的な欲求だったんだろう、今考えると。」
「私なら人ならざる者が見える目を持ってる。鬼神さんを認識し続ける事ができる。」
「ほう?」
「だから」
「私の存在を確立させられるというのか?」
ガシリ、と再び右腕をひしゃげるような腕力で掴まれる。ギリギリと子供の手からどす黒い気があふれ、辰美の肌を染め上げた。
「ひっ」
「小娘が、調子にのるなよ。」
「ま、待って!食べないでっ!」
「─約束を結ぼう。」
幼げな声音の意味を聞きこぼしそうになった。辰美は拍子抜けしてぽかんと口を開ける。
「私と君で、山の女神を探すんだ。」
「山の神を?」
「かの山の女神ならば、時空をコントロールする術を知っているかもしれない。私の願いに時空を存続させたい、というのがある。」
「……はあ。でも、私」
「辰美くん。君はムラにいた巫女に性質が似ている。神々や人ならざる者を写す、ミーディアムの瞳をもっている。媒介者だ。その性質故に女神は必ず君に接触してくる。」
鬼神の目の奥底に希望の光がチラついた気がした。
「町が急激に変わりつつある環境なら女神に触れられる。今なら会えるんだ。ルールが揺らぎ、お互いの世界が重なりやすくなっている。」
「うん。」
「最高神である山の女神でしか越久夜町の時空は救えない。彼女が本当に、この町を信じなければ…。」
「……。」
「……もう一度、私を完全なる存在にしたまえ。」
か細い声で彼女は言った。
「私の存在を確立させ、失われた半身を埋めてみせよ。」
「…あたし」
「この怨霊に、希望を抱かせるのだ。」
二人は見つめあい、冷たい時が流れた。辰美はゴクリと固唾をのみ黄緑と赤の瞳に釘付けになる。
(希望……)
嫌な単語だった。取り留めない、不確かな単語。投げやりで思考停止しているかのように、求められる感情。辰美を追い詰める記号。
辰美は固唾を飲んで手のひらを握りつぶした。
「─希望って」
風が吹いて鬼神がモヤとなりさらわれていく。懐中電灯が照らす先は闇のみとなり、膨大な空間だけが広がった。
残された辰美は佇み、息を整えるのみだった。
「鬼神」はこれにて完結になります。
ありがとうございました。
追記
加筆修正しました




