赤眼のカラス 3
「山にいる神…ですか。」
「うん。レポートにまとめようと思ってさ。」実際レポートは白紙である。
「勉強熱心なことで…ですが、図書館に行けばいいのでは?私に聞くより楽でしょう?」
「いやいや、緑さん!言ってたじゃん、そっち方面は任せてって。」
見水の家に住み着いていた犬神について緑は知っていた。
「は?言ってましたか?」
「引っ越したからには住んでる町の事、しりたいな〜って思って。」
「はあ。困りましたね。」
緑はのそのそと居間から消える。しばらくして謎のポスターを片手に現れた。
「どうぞ。」
『越久夜間山には女神様がおります。女神様は春になると山より降りてきて豊穣をもたらします。越久夜町の人々は神様がもたらす自然の恵みに感謝して、夏になるとお祭りをしてきました。越久夜祭り』
祭りのポスターを渡され、辰美はなぜ持っているのだろうと不思議がった。
「知り合いが祭りを主催する側でしてね。お節介で持ってくるんです。」
「へえ。越久夜祭りなんて初めて知った。」
「来年は行ってみるといいですよ。屋台もありますし、花火もあげます。都会の祭りには負けますがね。」
「うん。」
辰美はあまり祭りに行ったことがないな、と過去を振り返る。寂しい人生だったがこれから行ってみたい。
「まあ…山の神は女性の場合が多いですね。」
私の町の山神は女性なんですよ。緑は素っ気なくいう。
心中でホッとする。いかつい筋肉漢だったら会うのにとても緊張しそうだ。(いや…神様だから、緊張しないはずないし。)
原始から人々を見守る女神がヤマに居る。
女神はおおよそ人の味方で、一般に知られている山の神と似た性質を持つ。自然を豊かにし、人々に恩恵を授ける。
ただし山に入る際にルールを守らなければ味方ではなくなり、人に害を及ぼす。山は異界だからだ。
それは全国的にも同様だと、緑は言う。
越久夜町ならではならば---
太古の越久夜町にはどんな者より一際輝く偉大な女神がいた。
その神は森羅万象を生み出し、町の神々や人ならざる者、虫や四足二足の獣を支配し、眷属とした。女神は越久夜間山を神奈備とした。
「神奈備とは、神さまが宿る依代や領域のことを指します。越久夜間山が山の神さまのお家なんですよ。」
「山に住んでるんだ。」
子供を神の世界に攫ってしまうだとか、迷い込んだ人を助けるだの―女神の伝説は今世にも受け継がれているという。
「それぐらいですよ。女神に関する伝承や民話は。」
「へ~。」
「ためになりました?」
「うん、やっぱ緑さんは魔女だ。」
「イヅナ使いですよ。」そう言った緑に安心する。あの出来事は"改変"されてしまってはいるが、共通する部分もあるらしい。
(私が経験した記憶は、本物だから。)
―――
緑から渡された地図からすると越久夜町の市街地の塊の、端にある山だ。そこまで標高は高くはないが丘よりは大きい。
越久夜間山。そのような名前がついていたとも知らなかった。
路地を抜け、閑散とした大通りを歩き、辰美はやっと山の麓に来た。アパートから予想外に離れていたために自転車で来ればよかったと後悔する。
まだ爽やかな風だ。梅雨入りすればジメッとした湿度のある嫌な空気になるが、この時期の風は気持ちが良い。
日差しにやられながらも地図を眺める。観光マップと称された地図にはこの先に大鳥居があるという。
田舎町にしては観光を想定してこんなパンフレットまで作っているとは。
「稲荷神社もあるのね。まあ、越久夜神社だけでいいかな…。」
引っ越してきてからロクに町を観光していなかったからちょうど良かった。
「やあやあ!決意してくれたんだね?」
例のハシボソガラスが現れて近くの木にとまった。
「決意というかあ…気になったから来ただけ。まさか見てたの?」
「そりゃあもうあたしには何でもお見通しさあ!」
汗を拭きながらオーバーリアクションに辟易する。ハシボソガラスは辰美の近くに着地すると、鳥居の方向を羽で指さした。
「さあ、行こうじゃないか。」
「うーん。行くだけだから…。」
「行くだけでも価値はあるからなっ!」
しょうがなく鳥居まで行くと、彼?彼女?は止まってしまった。
「いいかい?あたしのような存在でも、神のテリトリーでは人ならざる者は弾かれてしまうんだ。人様の縄張りに無断ではいるなんて失礼極まりないだろう?不法侵入だ。だからね、あんただけしか通過できない、残念だなあ。」
「そうか。だから」
緑と鳥居をくぐった際、人ならざる者が人っ子一人いなかったのを思い出す。薄々気づいてはいたけれど理由があっていなかったのだ。
「分かったわよ。じゃあ、行ってくるから。」
「頼んだよっ!」
辰美は大鳥居を潜り、息を呑む。
「あのう…」
鬱蒼と草木が生い茂った森の中。ぽっかりと空いた境内は静まり返っている。女神が祀られていると由緒にも書かれていたが…。
在中している神主はいないようで、鳥のさえずりだけが響いている。
しんと静まった境内には、確かに神域が張られ生きているのは分かっているが-神の気配がしない。
生活感はあるけれど、留守にしている感じに近い。辰美は参拝者用の、古びて劣化したプラスチックのベンチに座ってひとまず息を吐いた。
(山の女神に会ったとして、私は何をするんだろ。戦うとか?馬鹿らしいなあ。)
山の女神がどんな神さまなのか興味があったが--越久夜町を創造した神に立ち向かうなんて馬鹿な行為はやめて、帰るのが良さそうだ。
「おーい!いたかい?」
カラスの声に我に返り、辰美は立ち上がった。
「はいはい。」
鳥居をくぐり戻ってくると、カラスはキラキラと目を輝かせている。
「どうだった?」
ぴょんと近くの木の幹に泊まった。
「反応なかったけど…」
「ふーむ。」
「ねえ、本当に女神を倒す気なの?」
「--あたしたち、同類だろ?」
「え?式神になった覚えはないけど?」
「ハハハッ!!ツレないねえ!」
彼女(という事にしておこう)は笑って辰美の頭に停まる。
「じゃあ、また会おう!あたしはいつどこでも現れるから!」
「えっちょっと!」
飛んでいく巫女式神にウンザリするも、辰美は気を落ち着かせた。
(あんな意味不明なヤツに怒るのもめんどくさい……。)
「そうだ、せっかくきたんだからお参りしてこう。」




