イズナ使いの異聞奇譚「犬神憑きの苦悩」
「え?」友人が口角を釣りあげて、不格好な形相をする。
「あの子だよ。人なのに中身が人じゃないやつ。あの子、私が見つけた時もキャットフード眺めてたのよ?アイツがペロリと食べちゃったんだよ。」
緑はゾクリとした。振り払っても振り払っても考えてしまう妄言を言い当てられたからだ。
「…なにを、言ってるんですか?そんな訳ないでしょ。」
「あの子って誰…?それに人なのに中身が人じゃないやつなんて存在するはずないじゃない。」
二人にたしなめなれ、辰美は口をとがらせた。
「何よう。寄ってたかって!」
微妙な空気が流れ、三人は無言になる。茶化せばいいものを、誰もそれができず―死体のような少女への妄想を笑い飛ばせなかった。
「あ、あの」
気まずさをうち壊したいのか、衣舞が口を開く。
「緑さんに謝りたくて。…ごめんなさい。いきなり訪ねてきたのに、失礼な振る舞いをしてしまって。それに憑き物筋なんて…」
「いえ、あの時は必死だったんですよね。謝る必要ないですよ。」
緑の言葉にかぶりを振ると、真剣な顔で彼女は言った。
「私、憑き物筋なんです。」
―わ、私もそうなんです。
見水家が犬神筋なのはこれまでの流れで分かっている。母親が犬神により暴れているのも。
「私の家は犬神筋で…代々犬神と契約を結んで伺いごとをしたり、様々なことをしてきたと言います。憑き物筋が差別的な意味を含んでいるのも知っていましたし、私のご先祖さまも差別を受けてきたと思います。なのに緑さんに向かって、ひどいことをしてしまいました。それを謝りたくて…。」
「大丈夫ですよ。気にしていないので」
あっけらかんとした返事に動揺し、口ごもってしまった。それでも本音なのでどうしようもない。
「ご家族の方はどうしているのですか?使役などは?」
「それが…私もみたことないんです。その犬神っていうバケモノを。母も、妹も見えなくて。父は気配を感じてたみたいで気味悪がって家を出ていきました。家中にいて見張られてる、とかよくいってました。」
「へえ〜。ここもひっどいけど、ミミズん家もそうなんだ。」
友人が心無い言葉をふっかけるも彼女はわずかにたじろいだ。
「それって…いつもの超能力ってやつ?」
「生まれつき見える力をもっている人もいるんです。」
辰美はこちらの視線も気にせず、麦茶を飲む。
「そうなんだ…。」
「私の家もイズナを可視でき、素質のある者に継承されてきました。あなたの家系の場合、可視できる人が…血筋が途絶えてしまったのかと。」
それが普通の顛末なのだろう。憑き物だけが置いてけぼりにされ、一族は没落し共に滅んでいく。使役する術も何も残らず、地球上からいつか消える。
「途絶えてもそのバケモノは消えないんですか?」
「はい。私たち憑き物筋は一族が滅ばなければ、憑き物と別れられはしないのです。」
末代まで逃れられない―それが憑き物筋の定めである。
その言葉に衣舞は眉をひそめ、不安そうに拳を握りしめた。憑き物で苦しめられている一族もいるのだと突きつけられる。
近くで無神経に漂っているイズナは、まだ恵まれた環境にいるのだ。
「明朱も犬神に怯えていました。父が居なくなって、母が暴れる度に犬神がいなければって…。明朱、嫌になっちゃったのかな…。家出したくなるほど…。」
「見水…明朱は家出なんかじゃないわ。きっと…無事だよ。」
家出を否定しようと言葉を選びながら、友人を励ました。
「明朱さんも助かるかもしれませんね。なにせ無事で帰還したあなたがいるのですから。」
「私みたいに…でも、あれは…」
「私は魔物に助けられたのかもしれないですが、あなたは山の女神に助けられたのでしょう。明朱さんも山の女神が…助けてくれるのかもしれません。」
ライラは山の女神ではないのだ。あれは魔に近い、何かだった。
「山の女神さま…お願い…。」
「信じられないけど、そういうことにしとこ!ねっ!」
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【用語解説】
犬神
犬の霊がつくとされる憑依の一種。四国,中国,九州の諸地方で,特定の家もしくは個人に憑依し,その家や,人に仕えると信じられていた。形状はねずみ大,数は雌雄1対ともまた一族 75匹とも,地方により種々いわれる。いったん憑依すると,その家筋の子孫に伝わり,その家系は犬神筋と呼ばれて,婚姻はおろか交際さえも避けられるようになる。
(略)
犬神憑依の状態は犬のように吠え回るといった狂態で現れ,その治癒のためには呪者の祈祷よりほか術がないとされた。もともとは人間の邪悪な感情が動物霊として形象化したもので,起源的にはシャーマニズムに根ざすものと考えられる。
引用 『コトバンク』より




