イズナ使いの異聞奇譚「辰美の焦燥とあの子」
犯人が捕まったのだそうだ。事件を忘れかけた世間を再びニュースが揺るがした。犯人はトラック運転手の男性で、家出してさまよっていた被害者を拾い、殺害したという。
警察によれば男性は精神的に錯乱しており、奇行を怪しんだ近隣住民に通報されことで発覚した。供述では町周辺で被害者を拾い、それから少しの間の出来事しか覚えていない、と。
緑はスナック菓子を片手にそのニュースを見ていた。店番をいつものように放棄していた正午である。
「もしもしミドリさん?ニュース見た?」
程なくして辰美から電話があり、ニュースの続きは見れなくなったのだが。
「犯人が捕まったみたいよ。記憶が曖昧らしくて、もしかしたら衣舞と妹さんも…。あたし、警察が動くのを待ってるの、がまんできないわ。探しに行く。」
「ダメですよ、山は危ないと前回思い知ったでしょう?」
「友達が苦しんでるのにのんきに指くわえてろっていうの?」
「それは…でも」
「ごめん、もう行くねっ!」
「辰美さん―」
通話が切れ、ほとほと困る。こないだとは異なり昼だから良いものの、彼女は危なっかしすぎる。百鬼夜行はないにしろ、野生動物と出くわしたり遭難するかもしれない。止めるとしたら自分しかいないのだ。
戸締りを確認し、自転車で辰美が向かったと思われる山へ急いだ。
―――
前回の騒々しさは鳴りを潜め、長閑な田舎の雰囲気が流れている。野鳥の囀りだけが響き渡り、ヘリコプターの爆音が嘘のようだ。
本来の姿を取り戻した山は無言で緑を迎え入れる。坂をのぼり、汗がポタリと滴り落ちる。全速力で漕いだ割に、日々の自堕落な生活が祟り到着が遅くなった。
「もうムリだ…」
漕げなくなり、自転車から降りる。ゼェゼェと息が勝手に吐き出され、口の中に鉄の味が広がった。
「あ!ミドリさーん!来てくれたんだ!」
坂を下って辰美がやって来る。自転車を急ブレーキで止めるや、ニカッと歯を見せて笑った。
「良かったあ、心細かったんだ~。ミドリさん優しいっ!」
「あなたが無茶をするから…無事で何より。衣舞さんは見つかりましたか?」
「ううん。どこにもいない。神隠しにでもあったのかってくらい。」
笑顔が曇り、徒労しているのを知る。彼女は彼女なりに希望を持って捜索していたのだ。
「二人で探せばどうにかなるかも!」
「辰美さん」
「あ、わたしはあっちに行ってみるから、緑さんは真っ直ぐでお願い。それとあの子いたから。よろしくっ!」
「あの子?」
せかせかと下っていくのを見送るしかない。辰美がいう「あっち」とは山の入口で別れたもうひとつの山道だろう。
汗を拭い、坂の上をねめつける。警察が早く動いてくれれば状況は好転するのだろうか?
衣舞が遭難している場合になるけれど、72時間の壁とあるように―行方不明から相当な時間がかかっている。もう望み薄かもしれなかった。
辰美の気持ちも分かる。大切な友人がいなくなってしまったら、気持ちの整理が追いつかないだろう。
もしかしたら、と奇跡が起きると信じている。
「探してみるほか、ないか…。」
再びサドルにまたがり、呼吸を整える。
車道に落ちた枝やらに注意しながら漕いでいく。遺品整理から日にちがたったけれど、景色は変わりない。風が吹く度にざわざわと木々が揺れ、草木独特の青臭さが運ばれてくる。
あの時と同じだ。
道祖神の前で青白い肌を晒した少女が佇んでいた。あの子とは、そういうことだったのか。
「あ~こんにちは!」
生気のない青白い顔がふわりとほころぶ。少女はくったいのない笑いを浮かべ、緑を歓迎した。
「こんにちは。あなたのお家はここら辺なのですか?ほら、犯人が見つかったとはいえ…」
「家?…う〜ん、ここら辺っちゃーここら辺かも。私、猫が来るのを待っていたの。」
アスファルトに盛られたキャットフードを眺めながら、つまならそうにいう。初めて見かけた時には野良猫が集っていたはずなのに。
「猫が来ないと、自分が辛いんだ。」
「?…どういう?」
猫好きなのか?怪訝な顔をしていたのか、少女は恥ずかしそうに目線を逸らした。
「そう言えばあっちに女の人が歩いていったよ。あっちの山の奥。」
「どんな人でしたか?」こんな所を登山客以外に人が歩いているのだろうか。
「髪が長くて、可愛らしい人だったよ。」
「髪が長い…。」衣舞だ。直感的にそう思った。
「どちらに行かれました?」
「だからあっちだよ。あの林のなか」
車道から分岐したけもの道が暗い森の奥に続いている。ごくり、と固唾が下る。吸い込まれそうな闇が構えていた。
「ありがとうございます。」
緑は礼を覚悟に自転車を止め、ずんずんと進んだ。




