イズナ使いの異聞奇譚「見水の憑き物」
憎たらしいやつだとは思うが、先程までの怒りがしんなりと萎びてしまった。
「はい、これです。」ペンを走らせ、彼女に渡す。
「ありがと。携帯に登録しておくわ。」
「あの、見水さんになにか、動物のようなものが憑いていたのは知っていますか?」
彼女から臭った獣の気配。憑き物のもので間違いないだろう。
「え?動物…あー、このひょろひょろしたやつみたいなのなら着いてたけど。」
あっけらかんとした答えに緑は拍子抜けした。コイツはイズナを初見して驚いていたくせに、友人に憑く「ひょろひょろしたやつみたい」のは普通なのか。
「丸っこくて顔だけ犬なの。一匹の日と数匹の日があったり」
「犬…。犬神でしょうか。」イズナの他に犬神という憑き物がいる。犬、とつくからして犬から製造された精霊だ。
古の人々が造り出した負の精霊。彼らは負の側面に強く作用する。
「イヌガミ?コイツとは違うの?」
「コレはイズナと言います。…見水さんは犬神憑きだったのですね。」
犬神憑きも周囲から差別される憑き物筋であった。イズナ使いと似た遺伝型で婚姻の際に拡散される。
「本人は見えてなかったみたいだけど。弁当に乗っかってた時は思わず声あげちゃってさ。なにが?って顔してたからなかったことのしたわ。」
「使役する側が見えていない…変ですね。」
自分はイズナがなんであると説明される前から彼らの存在を認識していた。使役者となる者には必然的にイズナを可視する能力が備わる。たとえ使役しなくとも。
見水の家で何か不測の事態が起こり、使役者に異常をきたしたのだろうか。
末代まで逃れられない―それが憑き物筋の定めであるのだから。
「イヌガミと失踪に何か関連があるの?」
「いえ、私が憑き物筋だからと助けを求めてきたように感じまして。」
「うーん。見水ってオカルト信じない派だったような…。私もそのイヌガミについて調べとく。」
調べても足しになるかも謎だが…(少しでも人ならざる者を知った方がこの子にとって得なのかもしれないな。)
超能力者だと勘違いしていてはいつしか悪い魔につけいられて、危険な目に遭うかもしれぬ。
「なんだか助手みたいじゃない?」
「は?」
「あたしが探偵でミドリさんだ助手。」
「反対じゃ…」いきなり何を言いだすのだ。「私は探しませんよ、本職の頼むか警察に…」
「だってー普通だったらもっと拒絶するでしょ。怪しい他人に名前まで名乗ちゃって、今だって一緒になって考えてくれてさあ。冷たいふりしてるけど、ミドリさんって優しい人でしょ。」
「はあ?」いい加減にしなさい、と言おうとしたが辰美の携帯が鳴った。「あ、ごめん!またくるから!」
「あ、た」
パタパタとスニーカーの走る音が遠ざかっていく。またもや嵐のごとくやってきて去っていった。
唖然としていた緑も我に返りいじくられた骨董を確かめ、元の位置に置く。
冷たいふりしてるけど、ミドリさんって優しい人でしょ。
「私は優しくなんかない…。」
―――
あれから来客はなく、だらだらとテレビを見ながら晩酌をしたのちぼんやりと布団に入った。
万年布団の寝心地は悪く、酔いだけが安眠の味方だ。
時計が時を刻み、車が通り過ぎる音が夜を支配している。人口の少ない田舎町は夜が耽ければ耽るほど自然に還る。眠らない街の人々はどうしているのだろうと、緑はたまに考える。
天井の木目を観察していると電話が鳴った。夜遅くになんだろう?
遺品整理の依頼だろうか?
よたよたと廊下に設置された黒電話をとる。すると荒い息遣いが受話器越しに聞こえてきた。ハレンチなイタズラ電話に引っかかったか?
「もしもし?」
「もしもし、緑さん?あたし、辰美。」
昼間会ったばかりの辰美が焦燥した声音で「大変なのっ!」
「どうしたんですか?今どこに?」
「なんか光の線がちぎれて、そこからいろんなのが町になだれ込んでるのよ!」
光の線?いろんなの?想像できず思わず顔をしかめる。
「えっと、百鬼夜行!それ!それが町にっ」
「落ちついて。」
「怖いの嫌いなんだからっ!」
カンソウ……