融解する境界線は 1
話を移動させました。
「ん〜〜?」
夢から覚めたきっかけは携帯電話の着信音だった。
閉めきったカーテンの隙間から日差しがもれいでている。帰宅して泥のように眠ってから朝になったようだった。
今までのヘンテコな内容から一気に現実に引き戻される。画面には『見水』という文字が表示されていた。友人の見水 衣舞からだ。
「あーっ、頭痛い…」変な体勢で寝てしまったらしく、頭がわずかに痛みを発している。辰美は体を起こし、ねぼけながらもコールバックした。コール音がした後、電話が繋がる。
「もしもし?」
「あれからまた不思議なことが起きたの!」
「えっ、見水ン家でまたなにかあった?」昨日まで非現実的な出来事を経験した辰美である。大学の友人である見水 衣舞。彼女は犬神憑きの家系であり、家庭が荒み尚且つ妹まで失踪した。無事に妹を発見したは良いものの、これからもたくさんの問題は放棄されたままだ。
そんな彼女にまた何かしらの問題が起きたのだろうか?
「ううん。越久夜町で、神社の狛犬が破壊されたの知ってる?ニュースになってて、町を騒がせているみたいだよ」
「あ、うん」
辰美はこの出来事は既に知っている。その神社の狛犬が壊されたことを。見水と同じく憑き物筋であり、イヅナ使いの緑と共に神域を見に行った際、狛犬は消失していた。
何千年も昔からある由緒ある神社だった。祭神は土地を守る地主神であり、越久夜町(という土地)を守護していると、由緒に書かれていた。
「反応うすっ!これって悪い魔法使いっていうヤツの仕業じゃないの?」
──悪い魔法使い。町を脅かしている存在。
見水の妹をさらって隠した──。
「そうかもしれないけど……。」
「とにかく!緑さんの店に行こうっ」
すっかり乗り気になっているではないか。「え〜〜っ」
毛布からススッと一匹のイヅナが飛び出してくる。イヅナは辰美の首筋に身を寄せると、ジッと動かなくなった。いつの間にかとり憑かれてしまったようだ。
(増えたりしないよね?)
イヅナ使いの緑が営む骨董屋には数え切れないほどのイヅナが住んでいる。憑き物のしぶとさというか、おぞましさをありありと伝えてくる。
「辰美?」
「あ、分かった。行くよ!商店会で集合ね!」
通話を終え、イヅナを触ってみるとふわりとした毛並みと骨ばった質感が伝わってくる。まるでそこに存在しているみたいだ。
「気が済んだら帰りな?」
昨晩の雨とは打って変わって空は快晴だった。汗ばむ陽気と言うべきか。
見水と待ち合わせして店へ向かうと、目的地の骨董屋は開いている。そして緑は店頭で近所のおばあさんと立ち話をしていた。あまり地域と関わりを持たなそうな彼女が。
普段は賑わいのない商店会は数人出歩いて、誰かしらと話していた。やはりニュースは田舎町に広まっているようだ。
二人はなんだと近づくと当然狛犬の話をしていた。
「あらあ、見水さん家の娘さん。聞いたかしら?狛犬の話!」
おばあさんがこちらに気づいて、まくし立ててくる。
「はい。それで緑さんに意見を聞きたくて。」
「小林さんに?知ってたの?」
「そんなこと知りませんでしたよ。先程も言ったでしょう?」と呆れ気味に彼女は言った。
「え?」
(緑さん…隠してる?)
おかしい、何かがズレている。緑と共に狛犬を見に行ったのは紛れもなくあった過去だ。辰美はわずかに心拍数があがる感覚に見舞われる。
「嘘よ--」
「あらあ、有屋さん!久しぶりじゃない。」
背後を振り返ると長身の女性がヌッと立ちはだかっていた。「うわっ!?」
香水でも付けているのか。薄荷のような清涼感のある香りが漂ってきた。セミロングの女性は冷たい表情をたたえ、こちらを見下ろしている。
『佐賀島 辰美。あなたに用がある。』
「!」冷淡さを宿した瞳がわずかに黄緑色に見えた気がした。
「私に?」
『いいから来なさい。』
グイッと何かに引っ張られ、下を見やると四、五歳の少女が立っていた。服の裾を引っ張られていたのだ。
奇妙な事に彼女は簡素なメイド服をまとっている。そして異国情緒な小麦色の肌をしていた。
(人ならざる者-!)
橙色の瞳に敵意が光る。彼女は人間ではなく、この世界では異質な存在。人ならざる者だ。
「貴方に話がある。少しお時間いただけるかしら?」
改まって優しげな声音で言われる。表情も微妙に柔らかくなり、胡散臭さを醸し出していた。
「あらあ、この子とお知り合いだったのお。」
何事もなかったかのようにおばあさんはにこやかに話してきた。まるで時間が一時停止されていたのように。
「ええ、よく知っています。ねえ、辰美さん?」
有無を言わさぬ圧を感じとり、辰美は笑顔で取り繕う。
「うん。じゃあ緑さん、見水。話が終わったら戻ってくるから」
「分かった。私は緑さんの店でお茶を飲んでるね。」
「はい?」緑は無表情を呆気にとられた顔に変える。すっかり見水に懐かれてしまったみたいだ。
「では、行きましょう。」
"ありや"さんに連れられ(というよりかは連行され)、商店会の路地裏につれて行かれる。
「どういうつもり?」
シャラリ、と眼前に錫杖が突きつけられた。少女は長髪をわずかに逆立て殺気をたぎらせている。人ならざる者には敵わない、辰美は素直に両手を上げた。
「あら、貴方にしては弱腰なのね。」
「えっとお、人違いしてませんか?私は、確かに佐賀島 辰美だけどさあ。」
「はぐらかさないで。貴方が越久夜町に来たせいで、時空にズレが生じてしまった。それは紛れもなく佐賀島 辰美である証拠よ。」
「時空がズレる?なによそれ?」
「ハナから怪しい兆候はあったわ。」
「ま、待って、私のせいなの?!」
「あら?貴方は干渉者ではないの?」
「は?!」
「そう、………。」
訳の分からない言いがかりをつけられた挙句に、人違い(?)までされる始末。「錫杖を下げなさい。ネーハ。」
「しかしこの者が嘘をついているかもしれません!」
ネーハと呼ばれた少女は眉をひそめ、こちらを睨みつけてきた。
「大丈夫。この人はどうやら別人のようよ。ねえ?」
小馬鹿にされているのか、"ありや"は冷笑する。
--厳密にはとても似ているだけであって、内容は違うがね。干渉者というんだ、お嬢さん。
夢の内容が脳裏をよぎる。干渉者。あの犬人間と麗羅という女性が言っていた言葉。
「まだ夢なの?アタシ、まだ夢見てるワケ?」
「……落ち着いて、ここは現実よ。私は有屋 鳥子。この町で秘書をしているわ。そしてこの子はネーハ。付き人兼護法童子をしてもらっている。ああ、私は魔法使いをしているから彼女を使役しているの。」
ネーハは錫杖を下げ、ぎこちなく一礼した。警戒は解かれていないようだ。