いまと許しと覚悟と 1
苦しくなった辰美は懲りずに事務所から抜け出し、川辺に避難していた。リネンの事件から有屋 鳥子は外出禁止令を敷き、きつく管理されてしまっている。
窮屈で、暇な気がして耐えられなくなった。
川辺では秋の代名詞であるススキが揺れ、夏のうだる暑さすら懐かしい気持ちになる。感傷に浸り呟いた。
「緑さん。ありがとう」
「いきなりどうしたんです」
素面の口調から、常日頃の事務的な敬語に戻ったイヅナ──元の世界の緑は驚いたようだった。やはり敬語の方がしっくりくる。
「私と出会ってくれて」
「遺言のつもりですか?」
「そうかも」
ひょろ長いイヅナはゆらゆらと布のように宙を舞う。彼女は何かを考えているみたいだ。
「もしも元の世界に戻れたら、私の墓参りをしてくれませんか?先祖代々の墓は多分、残っているので」
「…うん。する」
「だから生きていてください」
「何よそれ〜」
遺言よりひどいのではないか。辰美は体育座りで川面を眺めていた。昼から傾き始めた太陽の日差しが、川に反射し煌めいている。
夏が終わりつつある。これから一年が転がるように終わっていく。
「辰美さん」
「どうかした?」
「あれは衣舞さんでは?」
「え!」
対岸で見慣れた容姿をした人物をみかけた。二十代前半のセミロングの女性…。見間違えるはずがない。
あれは見水 衣舞だ。
慌てふためきながらも立ち上がり、橋を渡る。リネンに襲われそうになった場所だった。
あの世へのイメージがつきまとう対岸の町並み。辰美は必死に衣舞と思わしき人物を探した。
「あ!」
角を黒髪の女性が曲がっていく。
「見水!どこいってたの?見水!」
嬉しさのあまりに駆け寄ってしまうが、彼女は辰美の声を聞いた途端に、反対に逃げていってしまった。
「見水!衣舞っ!いかないで!」
バタバタと足音が二つ響く。坂道を登り、驚愕の光景を目にして足を止めた。
見水 衣舞がそこらじゅうにいる。誰が、見水でなく、誰が見水なのか。路地にひしめく。
たくさんの衣舞がこちらを見つめていた。人ならざる者に似た不気味な瞳で。
辰美は息を切らしながら涙を流した。
「見水、いなくならないでよ…ヤダよ…」
「ライラ。私よ」
ふいに透き通った女性の声がした。麗羅と呼んでいる。
「誰…?」
「麗羅。私だよ。吾妻」
「吾妻…?あの、妖狐の」
「うん」
振り向くと美しい黒髪を伸ばした、凛とした女性がいた。つり目がちな双眸は優しい光が宿っている。
辰美は麗羅と仲が良かった妖獣人がいた、と竹虎の言葉を思い出していた。




