瞑瞑裡の鼠「ぎょうこう」
今だと言わんばかりに狸どもがわっと集る。ネズミのかな切り声と獣の唸りが真夜中に反響して、騒ぞうしいばかりになる。おぞましい。悪い魔法使いの手下がとんずらしたのもあるのだろうか?
ヤケ糞になったネズミのシルエットが変化しだした。毛玉の山が膨れ上がる―人と獣の間の子の如し化物が周囲を振り切ろうとしている。
「現し世に逃げるつもりだっ!」
ヒロミは空が僅かに明るみを帯びていることに気づいた。迷宮にも似た夢の世界が唐突に終わりを告げようとしている。―何故?
無明長夜だと思われた町をカッと眩い程の曙が切り裂いた。脈略のない顛末に困惑していると山際からたくさんの“太陽”がおりてくる。遠近感を無視したそれはやがて相貌を判別出来るほど近づいてきた。
「なにあれ?!ひつじっ?!」
人面羊が黄金の羊の群れを従えやってくる。
眩い朝陽が町を照らし、どこかで尾長鶏が朝を告げている。その勇ましい鳴き声に町に蔓延る魑魅魍魎どもはたじろぎ霧散してしまったようだった。
越久夜町に光が灯り、浄化されていく。人のいない無人の町並みが徐々にぼんやりと滲んでいった。
使い魔も神獣狸たちも居なくなってしまった。残されたのは辰美とヒロミ、悪い魔法使いだけだった。
人面羊はゆっくりと歩み、悪い魔法使いの前までやってきた。
手下を失った鼠人間は不思議とじっと身を固め、羊を仰いでいる。
女神の如し柔和な表情をした羊が蹄を振り上げたかと想えば、彼は脱兎のごとく明けていく夜空の隅っこへ溶け込んでいった。
―――
創造主のいない模倣の町がさらにあやふやなものへと変わる。景色がグネグネと崩壊していき、ヒロミは朝焼けへ放り出された。
手足でなんとかバランスをとろうにも遠心力には逆らえず、なすがまま遠くに投げ出されてしまった。
「きゃあ!」浮遊しながらも消えていく景色の向こうにあるポッカリと穴の空いた暗闇を見る。あの場所に吸い込まれてしまうんだろうか?
均衡を崩した世界でただ独り不変の存在がいる。ぽつんと佇む異形の羊。数多の羊が消失していく中で、一匹だけがそこにいる。
人面羊が不意にこちらを向いた。菩薩様のような、この世の全てを許容するかんばせ。これまで会った不思議な生き物のどれよりも神々しく、恐ろしい。(-神さま?)
夢の神様だろうか?何故バクではなくヒツジなのだろう?夢だからか。でも吉夢をさずける神様は本当にいたんだ。
きっと醒めてしまえば「神様」に出会えたことすら忘れてしまう。忘れたくない。辰美や狸達の町への熱意も。
「あの子を助けてくれてありがとう。」
女性の声音がして、ヒロミは目を見開いた。──夢に入る前に現れた羊にそっくりだ。
(ヒロミちゃん。)
再び名を呼ばれて目をこらすと、羊は人になった。二十代後半の愛嬌がある女性だった。彼女は寂しげな笑みを浮かべたまま、こちらを見ていた。──辰美にどこか似ているような気もした。
(アナタの結末が─無明を彷徨い歩くとしても、私は見守っているから。だから)
(これからも─あの子をよろしくね。)
(──ああ、わたしは元の世界に帰れないんだ。)
「辰美さん」目まぐるしい視界に彼女を探す。もう何がなんだか分からなくなっていた。涙を流しながら、ヒロミは暗闇へ吸い込まれていく。
―――
辰美は遠くへ放り出されるヒロミを眺めていた。地面が熔け奈落の底が垣間見えて背筋がひんやりしたけれど、今は何も抵抗できない。一体何が起きたのかも、悪夢みたいなこの状況も理解し難い出来事ばかりだ。
ヒントも与えられぬまま、彼女は暗闇に引きずり込まれる。
「ねえさん、…ヒロミさん!また会おう!また、夢で会おう!そんときはこれがなんなのか教えてよ!ううん、今度こそはあっちの世界で-」
あらん限りに叫んでみた所でヒロミに届いているかも怪しい。ただその顏が涙に濡れているのだけは分かった。
何か現実を突きつけられた気がした。「嫌だよっ!ヒロミさん!また会おうよ!ねえ」
夢から覚める瞬間がやってくる。辰美は手を精一杯伸ばし、彼女を掴もうと躍起になった。
「ヒロミさん──」
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瞑瞑裡の鼠をよんでいただきありがとうございました。




