アトラック・シンシア・チー・ヌーの独白 1
「はぁ〜あ。暇だわ」
月世弥があくびをしながら、絵本を見ていた。事務所の棚にしまわれていた原作に忠実な『赤ずきん』があり、読んでいる。
「赤ずきんなんて縄文人に分かんの?」
「そりゃあ、魔筋に居たんだから多少は分かるっての」
「西洋文明の昔話だよ?」
「昔話なんてどれも一緒でしょ」
雑に本を閉じるとソファに座り込んだ。「異類婚姻譚も見るなのタブーも、赤ずきんの善悪。どれも人類共通だろう」
「よ、よく分かんないけどさぁ」
「お二人ともガールズトークですか?」
月世弥との会話に、チー・ヌーが割って入ってきた。
「ガールズ?私らが?」
「は?アタシは女の子ですけど?」
「昔話の話をしていたんだよ」
「ほう。昔話ですか。なら、わたくしの昔話をします」
いきなりの話題の出し方に辰美は困惑しつつも、頷く。
「以前わたくしの出生についてお話しましたでしょう?アトラック・シンシア・チー・ヌーとはこれまでの、わたくしを構成している存在を表した名前」
──アトラック・シンシア・チー・ヌー。アトラックは干渉者という意味、シンシアは誠実な。チー・ヌーは織り女。文字通り"干渉者の誠実な織り女"と言いますの。
「うん。チー・ヌーは織り女だったよね。そうなるとアトラックって呼んだ方がいい?」
「いえ、シンシアでよいです。可愛らしいですから」
ニコリと可憐な笑顔は侵略者とはかけ離れていた。
「今思うと、ずっとアノヒトのご機嫌とりに必死でした」
──これはアトラック・シンシア・チー・ヌーの昔話。
「最初は既出なので端折りますわ」
高確率で月神か太陽神がいない時空があった。月と太陽が欠けた世界はきちんと回らない。その地は理が壊れ呪われていると、まことしやかに──魔や神々、精霊らに囁かれていた。
オクヤマ。御悔魔。
様々な呼び方があったが、いつしか人が住み始め、ムラになりマチになり、最終的に越久夜町という地名になった。
チー・ヌーは呪われた"忌み地"は特段珍しいものではないと考えていた。どこにでも忌み地は存在するのだから。しかしアルバエナワラ エベルムという人ならざる者が現れ、こう言った。
──日本という国に越久夜町という、田舎町がある。そこならお前を受け入れてくれるさ。
半信半疑だが初めて声をかけ、普通に接してくれたエベルムに愛着がわいた。このヒトならば自らを大切にしてくれる。確信した。
越久夜町に入り込み、真っ先に狙ったのは最高神の夜の神だった。エベルムにそうしろと言われたから。
褒められたい。認められたい。
その一心で、チー・ヌーは前代の夜の神の精神を蝕んでいた。
越久夜町はまだ神々と人が密着したオクヤマの時代だった。そしてチー・ヌーを歓迎してくれる土地ではなかった。
バケモノだと罵られ、恐れられ、他の場と変わらない。
──ああ、騙された!
エベルムに騙された。もう後戻りできないほどに信頼していたのも事実だった。
夜の神を食い、天津甕星への特別な感情に初めて触れ、その感情に嫉妬が沸き起こる。自分もそのような──"愛される"存在になりたいと、チー・ヌーは狂い出す。
時空において天津甕星の"存在は特別だった"。だが、それは自分と同じ異物だという事だけ。受け入れられたのは、先に来たからだ。




