瞑瞑裡の鼠「使い魔」
マジカルステップを踏み、自らに眠っていた魔法を呼び覚ます。戦場の前線に赴くような魔法使いでも戦術に秀でた大それた者ではない。けれど─夢野家が守ってきた、先祖から伝えられた護身術が役に立つ時がくるなんて。
見えない力が羽虫の大群を弾いた。あれだけ勢力を保っていた虫どもは一瞬にして紙切れへと変じてしまった。まやかしだった。紙切れは腐敗し、融解して消えていく。
「な、なにいまの?!」
「とにかくっ私より前に出ないでっ!」
ネズミが耳を立て鋭い眼光をこちらへ向けてくる。それは喜々としたような心底面白い光景だと意地悪い好奇心の目つきだ。
ねっとりとした悪意はある程度の地位を確立した政治家や権利を悪用する穢れた老齢のそれである。―小娘が苦しみ、よがる姿をみたい。ゾッとするその視線にヒロミは僅かに後ずさる。
「きゅうきゅにょりつりょう。」
呪詛を唱えられてしまった。急々如律令。古来から唱えられてきたお呪いの言葉。
魔や霊を呼び覚ます、急がせる呪文。
ネズミの背中から弾けるように生まれてきた、悪意の化身。牙を剥き、よだれを垂らした歪なシルエット―形容しがたい生物が現れる。ウサギに似た、野犬に似た─獣であるのは確かである。赤い血を垂らし込めた双眸が夜に光る。
悪魔の眷属。いや、あれは使い魔だ。或いは式か?
名称などこの場において必要ない。
鋭い鉤爪がアスファルトを削り、弾け、ヒロミを八つ裂きにしようとする。それを凌ぐのは狸の毛深い尾であった。剛鉄の壁に阻まれ、使い魔は尻込みする。
「哀れな落ちぶれどもよ。祖の眷属である我々には勝てまい。さっさと尾を巻いて逃げ帰るがよい。」
一匹の使い魔は挑発をものともせず、主を仰いだ。測り知れない意思の疎通が行われ、視線は狸ではなく―「ひっ?!」
鞠が跳ねるように軽々と跳躍した。狸らは追跡したり、ヒロミを守備したりさまざまな行動をとった。
「前まえっ!」辰美が発した言葉に、齧歯目ではありえない牙が目前に迫っていることをしる。使い魔は囮だった。
「キィッ!」
ネズミがサドルと共にスローモーションに横へ抜けていく。呆気に取られていると、大学生が選手並のスライディングで脂肪の塊を押さえつけた。
「つかまえたっ悪い魔法使いっ!―いだぁっ!」
使い魔に頭突きをされ手元が緩む!
「逃がすかぁー!」奇妙な悲鳴をあげ、使い魔がコロコロと転がっていった。人間に頭突き返しをされるとは夢にも思うまい。無茶苦茶な有様にわたわたしていた狸たちがやっと正しい配置についた。
「おりゃおりゃっ!」狸に紛れて(目を回した)使い魔を足蹴にする。こっちが悪者になった気分であるが、これは列記とした制裁なのだ。
それを遠巻きに眺めていた者がいた。高貴さを表す紫色の装束に身を包み、下げ角髪をしていた。錆びかけた鈴を身につけ冷徹な表情でこちらを見つめている。四、五歳の子供のように見えた。(あれ…?私、あの子に)
あの格好をした者に会った事があっただろうか?あの子も式神か?
思慮深く、やがて踵を返し闇夜に消える。主を置いて。狸らが蜘蛛の子を散らすようにヒロミから離れた。
足下にいた使い魔も消滅していた。残るは司令塔のみ。
「おねえさん、コイツは任せて!」
ネズミを押さえつけ占い師が叫ぶ。鉄のような体毛が彼女の軟な皮膚を傷つける。なんとかしないと―。
感想待ってます…。なかなか取り扱いが難しい欲求ですね。
2022/04/22 加筆修正しました。




