太虚の虎 4
「なんだかしらないけどそれより、これを広めてほしいんだ」
「やだ」
「意固地にならんでさ。私たちはこれを探さないとご飯も食べられないのよ。ね」
「勝手にやってなよ。しつこいなあもう」
佐賀島 辰美は渋々、メモを受け取った。
(私は、辰美じゃない?あの子は誰?)
(麗羅さんは…私に何をしたの)
現実に戻ってくるや、焼け付くような日差しに晒される。頭がチカチカして気持ちが悪い。辰美はえづきながらも、身を起こした。
「いたた…」
「おれのビンタに耐えられるなんて、バケモンだナ」
さすがだ、と彼に認められる。もはやこれこそ麗羅だ、と言わんばかりに。
「トリップしたヤツにはこの一発がよく効くんだ」
「ひでえ…」
女の子をビンタするなんて。なんて醜い世界なんだろうか。
「ついてこい」
「あ!ちょっと竹虎さん!」
ぼんやりしていると、獣人の身軽さで彼は先に歩いていってしまう。ついてこいと言われたからにはついて行かないといけない。やんちゃそうな外見をしているのだ。
辰美は、何をされるかとハラハラしていた。
「どこ行くの!」
「いいから、ついてこいって」
路地を抜け、たどり着いたのは見慣れた景色だった。
眩い空を見上げ、竹虎は建物を指さした。
「ここだ。これ、見つけた時には驚いたネ」
越久夜町の町並みに溶け込む、廃墟となった雑居ビルだった。
「こ…この建物、なんで越久夜町にあるの?」
悪い魔法使いを追い詰めた場所でもあるが、それ以前に麗羅が休みに来ていた雑居ビルだった。
辺境の地である越久夜町にはあるはずのない、不自然な建物だ。
「思い出してきたカ?都内にあったろ?お前さんがライラと出会ったのもこのビルの屋上だったはずだ」
「え?麗羅さんと、私」
「…ァ?そこはインプットされてネーのか?」
「いや、インプットって」
「まあいいヤナ。やっぱライラにそっくりだ。あんた、ライラなんだ」
うんうん、と一人合点しているのを横目に記憶を整理したくなる。ぐちゃぐちゃの情報が頭を鈍らせるが…。
「ライラ。お前は」
「私は麗羅さんじゃない!」
「ああ、そうだったナ。ついつい」
「…麗羅さんは、私に全部押し付けようとしてるのかな?」
「あぁ?オメエが麗羅なんだから、押し付けようがないだろ?」
「私は佐賀島 辰美!」
「はいはい。マァ、あれだな。この町に来てよかったよ。第一歩を踏み出せた気がする」
「よ、良かったね…」
「ああ、改めて自己紹介しないとな。おれは九良 竹虎。これ、電話番号。何かあったら連絡シロヨ」
汚い殴り書きの電話番号を渡され、頷いた。
「これから有屋に会ってくんだ。折角アイツの田舎にこれたんだからな」
「有屋さんなら町役場にいると思う」
「サンクス」
「大変だと思うがガンバれよ。終わったら一杯やろうぜ」
記憶の濁流から、起点の場面を手繰り寄せるように思い出そうとする。
朝だった。
朝靄が立ち込める公園で自分は菓子パンを食べていた。
──可愛らしいセーラー服を着ているが、彼女は成人しているように見える。二十代後半くらいだろうか。セーラー服を着るには少し歳がズレている─言わばコスプレ衣装と言えるその格好を恥らう事もなく、麗羅は無心に菓子パンを食べていた。
「こないだのツチノコですが…」
隣で困り顔をしているバイヤー・魚子は打って変わってげっそりしている。まあ見当は付いている。
「パチモンを売りつけるのはどうかと思います。亀を…」
「亀を飲み込んだヘビなんて珍しいじゃーん?」
「確かに珍しいかもしれませんが…UMA未確認生物では、ありませんよね。ただ珍事に巻き込まれた爬虫類です…」
タレ眉の魚子がさらに悲しみに染まる。きっちりとスーツを身にまとい、肩までかかる黒髪が真面目さを物語っていた。
魚子の姿を記憶で見て、辰美は納得する。彼女は"腐れ縁"だったのだと。
「ホンモノのUMAが欲しいんだよね」
「ええ」
──じゃあさ、私たちでUMA作らない?
それが全ての始まりだった。
(私は、自分でUMAを作ったの?そんな事ができるの?)
UMAは──認知され公に生態を解析されてしまえばUMAという属性を失う。かつてUMAであった者たちはたくさん地球上にいるし、今も平和に暮らしている。彼ら側からしたら人類の飽くなき追求心の方が恐ろしいだろう。
ついには人類の持つ知識とエネルギーで新しい生命を作り出している。
人間として、麗羅は新しいUMAを生み出した。
「私たちがなんとかしなきゃ、いけないの。私たちが創り上げた妄想をぶち壊すのは私たちしかいないの」
自ら築き上げた世界への──他力本願で押し付けてしまった破滅願望を否定するなんてお笑い草だと、麗羅は思う。
今だってこの非常事態を望んでいる、楽しんでいる非道な部分がある。現実から目を逸らしたいだけの強がりかもしれないが、きっと自分だけではなく世界に何万と日常の打破を願っている人たちがいる。平和であろうとそうでなかろうと、今ある自らの状況を変えてしまいたい人は増え続けているだろう。
悪い噂も変な生物も邪な思念も思考する生命がいる限り、増え続けていくだろう。人類とはそう設計されている。神が、そう作ってしまった。
神。
脳裏に揺らめく記憶がある。生まれた時からある、自らに似た神がいて死者の顔をして笑っている。──誇大妄想。
麗羅は必死だった。壊れていく現実を前に自嘲と後悔で自らを傷つけた。
麗羅の記憶が徐々に蘇ってきて焦る。自らを外から見た記憶─屋上で"佐賀島 辰美"に出会った記憶。
全くの別人だった。
自分が誰だか分からなくなるが、麗羅ではないと確信していた。麗羅は自分のような人が嫌いなはずだ。
自分は麗羅だったのか?なぜ、佐賀島 辰美として生かされているのだ?
ぐるぐるしていた頭を冷まそうと深呼吸していると、
(花火…やっていたっけ?)
花火の音が遠くで鳴っていた。夏休みの象徴がどこかで咲いて散っていくのをぼんやりと甘受する。
「よう、黄昏てると財布スられるぞ」
「…アンタ、どっから湧いてきたの」
「失礼だな。普通に歩いてきたんだ」
やれやれ、とオーバーに呆れたと示される。エベルムはだるそうに腰かけると、板状の端末を召喚しいじり出した。




