太虚の虎 1
暑い昼間はアパートの室内にいるより、図書館で時間を潰した方がいい。ぼんやりと椅子に座り、動物図鑑を眺めていた。
犬やウサギ、そしてネコ科のページ。──虎。
アムールトラは虎の中でも大きい。ロシアに住む猛獣だ。
(なんだか、あの虎に似てる)
しかし違うのは瞳だ。琥珀色である目はブルー、暗い青だった気がした。
希少な、珍しい個体なのだろうか?
(人ならざる者に正解なんてない…)
虎に限りなく似ているだけであって、あれは虎ではない。現実世界には存在しない不確かな生物だ。
(お化けとか考えるだけで寄って来るっていうわよね)
人ならざる者も吸い寄せられるのだろうか。なら、それこそ今まさに異界の虎を呼び寄せているのか。
嫌な予感がして図鑑を閉じた。
それは的中する。帰り道だった。
紺色の双眸がこちらを射止める。路地裏に収まらない体躯の獣が眼前に現れた。
ブロック塀を貫通した異形の虎の前足が一歩、踏み出した。
「ヒィッ!」
虎が再び、辰美を追い詰める。恐怖に腑抜けた足がもつれ、走り出すのを妨害した。
必死に逃げるが猛獣の速さには負けてしまう。
「誰か!助けて!虎が!虎が逃げ出してる!」
昼とはいえ、誰もいないはずは無い。助けを求める声を聞いて外に出る人だっているだろう。
「あ…!」
道の先に、一人の厳つい男がいた。その道の筋の人なのだろうか、豪華な刺青と筋肉隆々な体格─町には希少な外見だ。
短髪に染めた斑な金が縞模様にも見えた。鋭い紺色の眼光に睨め付けられ、動けなくなる。
「テメェ…」
男の輪郭がモヤとなり、あやふやになったかと思えばあの虎になり、飛びかかってきたのだ。
辰美に軽やかに飛びかかり、牙で喉を引き裂こうとするも何かが違うと気づいたのだろう。首を傾げた。
「干渉者じゃァねえノか?お前」
「そ、そ、そうです!私はただの人間です!だから殺さないで!」
「あんだ?弱々しいな」
命乞いをする無様さに、虎は呆れ、身をのいた。
「シャキッとしろよ。情けねェなあ」
「ヒイッ!すいません!」
「ダメだこりゃ」
アムールトラは元の男性になり、ドカリと地べたに腰を下ろした。
「おれぁ竹虎というんだ。仙名 麗羅というオンナを探していてね。なンでか知らねえけど、いつもセーラー服着てんだ」
(やっぱセーラー服好きなんだ…)
「あの、麗羅さんと会った事があります。夢とか異界とか、現実じゃないけど…ハッピーエンドにして欲しいとか、色々…」
その話を聞いて竹虎は物悲しい顔をした。
「まだアイツは戦ってるつもりでいるのヵ。ああ、やりきれねえなァ!」
「その、麗羅さんに何が起きたのかを知ってるんですか?」
「あたぼうよ!職場で共に働いてたんだ。俺ァ人虎の妖獣人でアイツはへなちょこな魔女だった」
妖力を持った人に限りなく似た獣──に似た生命体がいる。三ノ宮がそう説明していたのを思い出す。
「例のUMAに負けてからさ、しばらく太虚に閉じ込められてた。踏んだり蹴ったりだぜ、マジ」
その太虚から来たと竹虎は話した。
(太虚…?)
太虚という響きにデジャヴに、辰美は一度行った事があるのではないかと疑う。
天の犬──や太虚にいる者らとは顔見知りだが、未だに麗羅には会えていない。
「私、一回行ったような…しめ縄みたいのがたくさんあって」
──何もなくて何かある場所。限界も形もなく、感覚を超えた宇宙の根源とも言われてる。…そんな大それた場じゃなくて、私はパラレルワールドの"倉庫"だと思っているわね。
「そうだ。女の人に」
「ああ、堺の呪女がちょっかいだしやがったのか」
「はあ…」
「アイツは厄介だ。あまり関わると太虚に引きずり込まれるぞ」
「そのヒトってそんなにやばかったの?」
「呪女はUMAで言えば牛女みたいな、厄介なヤツなんだ。アイツは厄災が起こる前に必ず現世に現れ、厄をふりまく。最悪の場合、太虚に引きずり込まれる」
「ええ?!や、厄災?こわ…」
「その様子なら大丈夫そうだナ」
「良かった…」太虚に引きずり込まれたら、気でも狂ってしまいそうだ。
竹虎はその状況に陥ってしまったが、気は狂ってないように見える。強靭な精神力を持っているのだろうか?
「あの、アナタは麗羅さんと仕事仲間って言っていたけど…」
「ああ、背中を預けるくらいのタッグはしていたつもりだがネ。アイツに会ったのはコンビニで、有屋が無銭飲食して店員に捕まってたのを保護したんだ。アイツはホームレスだった。それからは一緒にUMA狩りをしてたンだぜ」
「ええっ」
「めちゃくちゃなヤツだった」




