倭文神(しとりのかみ) 1
「あの二人に相談してみたらどう?」
冗談交じりに山の女神が提案する。馬鹿げている。しかし魔法にかけられたように、体は『小林骨董店』へ向かっていた。
「そ、そうだ!緑さんに話さなきゃ…!」
気がつけばその気になって、商店街へ走り出していた。この事実は見水や緑へ言わなければならない。
「あっ」
アスファルト舗装がされていない細道に見慣れない生物がいた。いや、町には居てはいけない生き物だ。
オレンジ色と黒の縞模様がゆったりと移動している。
太虚で見たアムールトラに特徴が似ている。悠々自適に歩いているのをみつけ、咄嗟に電信柱の影に身を隠す。食われたら一溜りもないと、息を殺した。
「ライラの匂いがしたンだがなぁ?どこだ?」
(ライラさん?)
渋めの男がどこかで話している。麗羅を知っている人物のようだ。
「居るんだロォ?ライラぁ!」
(早くっ!居なくなって!てか、男の人助けて)
「見つけた。ソコに居たか」
(ヒッ!)
「辰美?どこ〜?」
どこかで見水 衣舞の呼ぶ声がする。幻聴かもしれない。
「辰美ー?」
「ハァッ…」
息を吐き、砂利にへたり込んだ。奇妙な薄ら寒さは消え失せ、暑い空気が充満している。
現実に戻ってきた。虎の気配はしない。救われたのだ。
「あ!何してるのよ、辰美」
「虎がいたの!」
「虎ぁ?何言ってんの?越久夜町に動物園はないよ」
見水が素っ頓狂な事を言うなと、ケラケラ笑う。
「怖かったんだから!」
「私さあ、これから緑さん家に行くんだけど辰美もどう?」
何て事もなかったように彼女は言う。
「あ、うん。行かなきゃいけなかったんだ」
「じゃあ一緒にいこう!」
「うっ、ま、待って見水」
「え?なに?」
「心の準備が!」
あれから初めて小林骨董店を訪れる。緑から感情をあまり感じられず常に平然としているイメージがあるが、ギクシャクはしているだろう。
「緑さーん!あたし、衣舞だよ〜」
「あ!こんにゃろ!」
「ああ、見水さん…」
二人は鉢合わせして声を出さずに凝視してしまった。辰美は乾いた舌を必死に動かす。
「あ、えっと」
「…。この前は感情的になってしまい申し訳ありませんでした」
「う、ううん」
「なに?喧嘩でもした?」
見水が状況を読み込めず二人の間に割って入る。
「もう大丈夫っ!あ、えっと何しにきたんだっけ」
「辰美が虎にあって騒いでたんだよ」
「虎?この田舎町に?」
「人ならざる者なんじゃないかな、その虎」
そうして二人が雑談しているのを眺めていると、先程の非現実的な記憶が嘘みたいに思えてくる。
(でも良かった…緑さんと、ちょっと仲直りできたかも?)
友好関係が修復不可能にならなくて済んだ事に安心しながらも、自分の情けなさと緑への執着に再三気づいた。
(私…何でこんなに緑さんに、嫌われたくないんだろう…?)
『全国的に猛暑になる見込みです。埼玉県の北部は四十度に達する予報が出ています。くれぐれも水分補給を忘れず、適切に冷房を使い熱中症を──』
ラジオから有り得ない予報が流れている。八月は暑かったが、二回目はさらに酷暑になっている気がした。
冷たい麦茶を飲みながら、まったりしていると春木が脳裏をよぎる。
「そうだ。八月が繰り返されてるんだった!」
「は?」
「何を言っているのですか。八月は始まったばかりですよ」
「そうだよ辰美。これから夏真っ盛りだよ」
二人はさも当然のように言ってのけた。
「…。そうだよね」
土用の丑の日の話題をしているのを横目に、自分だけがなぜ気づけたのだと自問自答する。
──人ならざる者が見えたから?




