夏休みが終わらない
九月が始まった。正午頃の暑い晴れの日──トタン屋根のアパートにはきついほどの日差しが当たっていた。扇風機を回して、辰美は団扇を扇いで畳に寝そべっている。
部屋は蒸し風呂状態だった。
「辰美さん、やめてください。私は他人と繋がりたくない」
「でないと私は私でなくなってしまう。分かるでしょう」
「ならば共に行動するのはやめなさい」
「いやだよ、わたし、緑さんと知り合ってやっと生きてる気持ちになったんだ」
「私はまだ、死んだままです」
濁りきった瞳でこちらを見てきた。断絶したお互いの気持ちをまざまざと見せつけられた気がした。
「それでいいのです。辰美さんはハッピーエンドを目指せばいいのです。ひたすらに」
(あんな終わり方、最悪だよ)
八月は終わろうとしていた。緑とは会えずにいて、だらだらと自堕落な生活を送っている。
(あ〜〜、九月にしなきゃ)
カレンダーが八月の終わりを告げたはずだった。
めくってみたら八月だった。もう一枚めくると八月。
辰美は慌てて携帯のカレンダーも確かめた。
──八月以降、八月しかない。
「な?え、え??」
夏が終わらない。秋に来るはずの風が吹かずに、蝉時雨だけが鳴っている。
「漫画みたいになってる?!」
終わらない夏なんて、よくフィクションにある話だ。
天の犬と化した左手で電線に捕まる。そのままターザンのように、瓦屋根に着地した。
包帯が黒焦げになり散っていく。
青々とした山々を眺めながら感覚を研ぎ澄ました。
春木がいる気配が不思議と分かる。人ならざる者を目視できる能力の、慣れた感覚だった。
「私なら町役場の喫煙所にいるわ」
あちらも気づいたらしく、テレパシーが脳に響き、辰美は左手を使いながら急いで町役場に走り出した。
「春木さん!」
町役場の喫煙所で煙草を吸う山の女神こと天道 春木は、平然と椅子に座っていた。
「八月が、また八月が──」
駆け寄って袖に触れようと──彼女の体が半透明になっているのに気づき、指を引っ込めた。
「この町が滅びるのは変わらない運命のようね」
「あの時」
「先に進める気がしないのよ」
春木が爽やかな笑顔をうかべ灰を落とした。諦めと絶望を隠した表情に辰美は打ちひしがれた。
「いっそずっとこの夏のまま、止まっていても悔いはないわ。貴方たちがいる時に、縛られてもいい。私に味方する者がいる、この一時に」
入道雲がやんわりと広がっていく速度も遅く感じる。
何も言えずに汗ばんだ背筋が寒くなる。
「そうやって過去にすがっていればいいよ。メンヘラババア」内にいた月世弥が冷たく言い放つ。
辰美の奥にいる最愛の人に、春木は寂しげな微笑みを浮かべた。
「…私の悪足掻きを許して。月世弥」
老齢した光を宿した瞳が淀む。
「いやです!未来が来ないなんて、私は嫌です!」
「未来とは死よ。人は老いて死ぬ、人ならざる者は内側が腐って無になり、星はいづれ中心に向かう。時に従うというのはそういう事だわ。辰美さん、貴方もわかる日が来るわ」
「夏を楽しみましょう」
人間より人間らしい──。
蝉時雨が蜃気楼に滲んでいく。
「どうすんのこれ…」




