山の女神と幻像の巫女 《再開》13
「は?正気か?脳みそにウジでもわいてんのかよ」
「私に苦しみを与えて、生き続けろと叱咤して」
近づいてきた狂気の塊に彼女は初めて恐怖を感じたのだろう。たじろぎ、突然矛を引きぬいた。
大ぶりに振り回し春木の柔らかな髪を切り裂く。それでも足を止めない女神に、ついには矛を投げた。
肉に突き刺さる音を立て肩に刃先がめり込むと、赤い血が流れた。痛みすら感じない素振りで構わず山の女神は矛を掴む。するとそれは瞬く間に光の粒子になり消えてしまった。
「来るな!」
きつく抱きついた春木に巫女はヒュッと息を鳴らし、顔を青ざめさせた。
「お、お前…?!」
「やっと、貴方に触れられたんだもの。嬉しい…」
「狂ってる──が!」
ガクリと月世弥は膝をつき、口から滝のような血液を吐いた。動脈血と静脈血の混じった液体が石畳に染み込み、広がっていった。
「おかえりなさい。"私の月世弥"」
穴の空いた胸部をえぐり、既に壊れた心臓を引き抜く。
「生き物を食べるとどうなるか知っているかしら?」
歯を突き立て春木は心臓を食べ始めた。悲鳴をあげる巫女に構わず、完食してしまう。
「貴方は私の一部になった。神とは元来こういうモノよ、名も無き巫女」
もしこの子を助けたら…罪を許すわ──助ける気はなかっただろう。巫女は苦しみながら、辰美を見た。アイコンタクト。
それを見た山の女神は頷き、体を離した。
「ちくしょう…」
降参の捨て台詞を吐き、地面に手を添える。神世の巫女はただの人間に吸収される事となるのだ。
「後悔するがいい。山の女神」
月世弥はモヤとなり神域の起点と一体化した。
記憶がなだれ込んできた辰美は苦しむ。月世弥の魂そのものが、体に侵入してきたのだ。
意識が引っ張られ、過去の情景が蘇る。
「──貴方はツクヨミ。前代にとても似ているもの。その魂も。輪廻をめぐって、またこの地に来てくれたみたいで嬉しいわ」
(わたし、神さまが見えるんだ。それって変なのかな?)
少女が裸足で野をかけて行く。自然の精霊や、人ならざる者たちのざわめきがそこかしこから聞こえてくる。少女はその空気が大好きだった。
「──前代に、あのヒトに似ている所も気に入らないねえ」
見下ろしてきた天津甕星が意地悪く言う。
「私は月世弥なんかじゃなかった。ただの、一人の貧民の出の、ちっぽけな人間でしかなかった」
「もう月世弥と呼ばないで。月世弥は、あなた達が作った幻影なんだ」
「わたしは、愛していた。純粋に─春木を」
「月世弥として愛していた。精一杯、愛と命を捧げた」
少女と剥離していく巫女のイメージ。
──幻像。
血まみれになった巫女が暗く鬱々とした路地の奥に佇んでいる。
憎悪や呪詛で壊れていく。私の自我と魂が変容しきる前に存在を終わらそう──
「…ねえ」辰美は巫女へ声をかける。
彼女が振り返る寸前の所で目が覚める。




