山の女神と幻像の巫女 《再開》7
有屋 鳥子とネーハは天道家の敷地にとどまるという。引き続き警護をしなければならないのだ。
何かあったら呼んで欲しいと念を押される。「名前を呼ぶだけでもいいから」
「わ、わかった」
三人で星守邸に向かう事になり、夏の夕暮れ時、生ぬるい風が木々をざわめかせ、ヒグラシがないている。
これだけなら穏やかな雰囲気だが…。
「このくらいの暑さなら星守邸へ歩いていけそうね」
なだらかな山から生活圏へ降り、入り組んだ細道を歩いていると、なんとも言えぬ気味の悪い風が吹いてきた。
悪寒がし、辰美は立ち止まる。ふいに影が蠢いた気がした。
己の影から何かが飛び出し、春木の喉を狙うが弾かれる。
「チッ。まーた失敗かァ」
数多の触手を生やし、異形の大柄の男に変化している──おまけに半ステルス迷彩になった神威ある偉大な星、または悪神と名高い天津甕星だった。
「有屋と共に貴方を解析したわ。…ペナルティを分かっていてやっているのかしら」
「オマエを見ると長年のクセでその喉を引き裂きたくなるンだよ」
ニタニタと歪な笑みをうかべ、彼は獣の動作で着地した。ステルスが解け、鋭い三本の指でアスファルトをいとも容易に割いていく。
大きな体から長髪から、やはり触手が生えている。半透明の触手の先には口があり、鋭い牙が覗いていた。
「ヒッ!」
どうも触手が苦手でびっくりしてしまう。
「辰美さんをダシにして町をうろつかないでくれる?」
辰美はさらに驚き、ますます天津甕星から離れる。「取り憑かれてたの!?」
「ハハハ!そんじょそこらの魔みてえに取り憑いて食い殺しはシねェよ。さあ、星守邸に行くんだろうぅ?ついて行ってやるよ」
「ついてくるの?アマツミカボシも?」
「一応あの邸宅はオレの陣地だぜ。わざわざ招き入れてやるんだ」
確かに星守邸─星守一族は天津甕星を祀っている。邸宅のどこかに天津甕星の祠か、社があるはずだ。
「それは見物ね。では案内しなさい」
「女王きどりもいつまで続くかねえ〜〜?見物だなァ!」
「なんで私の肩に取り憑いてるワケ?ちょっと重いんだけど」
肩車のように座り込んだ悪神を見上げ、辰美は不平を漏らした。
「アンタに憑いてると存在が安定するんだよ。それにミンナで目的地に向かった方が探検隊みたいで楽しいだろ?」
「関係あんの?それ」
「夏休みにはピッタリじゃねェか」
「えー…話が通じない…」青息吐息で会話をあきらめると、横を歩いていた緑が不審そうにこちらを見つめていた。
「かの星神、天津甕星がそこにいるのですね。…私には見えませんが…」
「う、うん。ハア…変なやつだよ」
緑が肩に触れようとする──と、天津甕星は「おっとぉ、ヤメといた方がいいぜ」
「え、あ、はあ」手を引っ込め、また肩をジッと凝視した。
「今アタシの口勝手に動かしたでしょ?!」
「危なかったンだからいいじゃん」
そうこうしているとこじんまりとした庭にたどり着く。庭先に見慣れない装束に身を包んだ少女が佇んでいた。恭しく敬意を示した。
「我が女神。わたくし倭文神がお守りしていました」
(倭文神…あの子が?)
色白の少女は辰美を見やり、庭の植木に埋もれた祠をゆっくりと指さした。
「へえ…」
常におちゃらけている天津甕星が珍しく真顔で倭文神をきつく睥睨する。その瞳には憎しみが宿っていた。
「倭文神、ねえ…相変わらずふざけてやがる」
「ふざける?何が?」
その言葉に倭文神が意味深にこちらを見つめてくる。赤い瞳がわずかに黄色く、紫に怪しく光った──気がして辰美は目を瞬かせる。
──倭文神は何かを隠蔽している。それも、何か重大な過去を。
山の女神の秘書の言葉が過ぎる。
なぜかゾッとして後ずさりそうになるも、緑が訝しげに
「あそこに何かいるのですか?」と問うてきた。
「あ、え…」
辰美と天津甕星にしか見えていないのだ。




