終わりは始まり《辰美の分岐始点》
首都近郊にある埼玉県の山奥にある──辺境の田舎町、越久夜町。
山間部にあるために大きな通りが少ない、代わりに路地が多い小さな変哲もない町。長閑な牧歌的な、時間がのんびりと流れる良い町。
その静かな町に夜の帳が下り、民家の迷路にはしとしとと降り続ける雨音だけが響いている。
ビニール袋についた水滴が滴り落ちていく様を小林 緑は無感動に眺めていた。交番から借りた傘は新品の化学製品の臭いがする。
とある事件に首を突っ込み、警察のパトカーで商店会の近くまで下ろしてもらい、余所者の女子大生・佐賀島 辰美と──二人で『小林骨董店』に向かっている。辰美の親友である見水 衣舞とその妹である明朱は母親が待っている家へと警察官と共に帰宅していった。カンカンに怒っているに違いない。
なんでも今回、こうして無事に異界から帰還できたのは姉妹らの母親のおかげなのである。車庫が空なのと衣舞が帰宅していないのを不審がり、交番に通報したのだそうだ。
廃屋の庭で四人が化かされた事件は町で噂になるだろうか?恥ずかしい限りだけれど、我が家に帰れることの安堵感が勝る。
「なんだか悪夢でも見ていたみたい」
辰美が傘を左右に回転させながら呟く。落ちかけたカラーリングの金が街灯に照らされている。彼女は人ならざる者を視る眼球を持ちえているはずなのに、「悪夢を見ていた」と零す。緑は頷きながらも皮肉なものだと思った。
越久夜町を荒らす悪い魔法使いへ一番近づけたのに、結局なにも出来なかった。ただ手の上で転がされていただけのような気もする。加えて悪い魔法使いの式の言っていたことや、死者のような気味の悪い─あの少女が何者なのかも…真相は掴めなかった。
「何も…分からないままでした」
「ん?」
「いえ…今日起きた出来事も、これまで起こった不可解な事柄も」
「うーん。そうよねえ。スッキリしないけどさ。今日はもう、たくさんだよ。それに、ほら、緑さんのお陰で見つけられたじゃん」
ニカッと歯を見せて辰美は笑う。この生意気な笑みも、もう見納めになるのか…。感慨深くなって、不器用に頬をゆがめた。
「あ!あー!み、ミドリさん笑ったっ?!笑ったでしょ?」
何かがわかりそうな空気に、二人はつかの間打ち解けた。
「じゃあ、またね!」
佐賀島 辰美がニカッと眩い笑顔を向けてきた。その笑みにどこか、別れを感じた。
(…ああ)
「辰美さん、また、明日会えますよね」
「えっ、またねって言ったじゃん!当たり前でしょ?」
明るい声音に、確信する。──そうか、これで最後なのだ。
「…ええ。そうですね」
「変なの」
「ありがとうございました。また、会いましょう」
小林 緑はしっかりと頬を歪め、優しげに微笑んだ。
こうして視点が変わる。
―――
「ただいまぁ〜〜」
辰美は扉を開けて、誰もいない部屋に向かって言ってみる。もちろん返事はなく暗い部屋が待ち受けていた。このご時世、防犯のために人が居るというカモフラージュでもあるが、なんとなく今日はそれが馬鹿らしくなった。が、習慣というのは恐ろしい。無意識に口から言葉が出た。
彼女は佐賀島 辰美。
落ちかけた金髪に部屋着に近い服装。ボロボロの靴。だらしのない身なりにやる気を失った女子。辺境の山間部にある越久夜町に住む変哲のない女子大生である。
「あー、疲れた」
靴を脱ぎ、玄関に放り出したまま引きっぱなしの布団にダイブした。疲れ果てた体の力が抜け、余計に重くなった気がした。先程まで会っていた緑ほどのお部屋ではないが……畳に昨日食べたカップ麺の容器が転がっている。
降り注ぐ雨音だけがしとしとと部屋を支配している。カーテンの隙間から街灯の明かりがもれて、陰影を生み出す。テレビもない簡素な部屋は辰美だけが異物のようだ。今日は。
―――楽しかったのか、それとも一件落着したからか。
いつもと違う。視点が変わったみたいだった。
ずしりとした疲労感に抗うこともなく、辰美は寝息を立て始める。
「辰美ちゃん。」
落ちていく意識の中、自分の名を誰かが呼んでいる。
「辰美ちゃん、私を覚えてる?」
「辰美ちゃん―――私を認識してみて」
ハッと頭を上げて、瞼を見開いた。それは眠りに落ちる際に聞こえる幻聴かと思った。しかしそれは気のせいだと確信に変わる。眼前が真っ暗だったから。
「ぎゃっ?!」
突如目玉が熱をもち、痛みを感じた。眼球の内側から破裂しそうなエネルギーが発せられている。ダラリと涙のような生暖かい液体が流れ出した。「いたぁっ!」
痛みに開けていられずに目を瞑り、手で瞼を抑える。眼。辰美の眼には異界や人ならざる者が見えた。
なのに。
今は何も見えない。「な、なんなの?!」
「辰美ちゃん。私を認識してみて」
テープで録音したかのように、抑揚のない声音が四方から響く。知らない女性の声が聞こえる。
「アンタ誰?!」
「私はね、麗羅っていうんだ。昔と今は」
ライラと名乗った"女性"は意味の分からないことを言う。
「大丈夫、ゆっくり目を開けてみて。私を見ればその眼は言うことをきくよ」
痛みを堪えながらゆっくりと目を開ける。生気のない真っ青な顔をした女性が立っていた。柔らかそうなくせ毛の、セーラー服をきた女性。愛嬌のある幼げな顔つきで、いきいきとしていたらさぞ良かっただろう。
歳は二十代後半だろうか、コスプレ衣装をきた女なんて悪夢でもそうそう登場しない人物だ。
「驚いた?」
ニコリと嘘つきな笑みを浮かべた唇には血の気がない。死体が無理やり動かされているような、奇妙さを放っていた。
つい最近同じような人を見た。あの女子校生も死体に似ていた。嫌な気配がした、あの子。
「…?」脳裏にわずかながら記憶がチラついた。この笑顔をいつか、見たことがある。
「……アンタ、私と会ったことある?」
「うん。今と昔に」
「は?」
「痛くなくなったでしょ。私が支配下に置いたから、眼は言うしかないのよ。」
相変わらず理解できない言い草に、辰美はとりあえず目の痛みが引いたのを知る。まだピリピリと熱は持ってるが。
麗羅はまた胡散臭い笑みで言う。
「あなたに言わなければいけないの」
夜の海に似た黒目がニタアと歪んだ。
「このままではアナタは目を失う」
「体も、存在もアイツに持っていかれて消えるよ」
題名を変えました。
長編になりますがどうぞよろしくお願い致します。感想など待ってます!
追記
加筆修正しました!