幻像の気配 7
託された緑は無感情なりに困惑したようだった。眉をひそめ、コンパクトミラーを見つめていたがフッと顔を上げた。
「あ、ありがとうございます…女神さまのお願いですから、大切にします」
「こちらこそありがとう」
作り物の笑顔はなりを潜め、陰鬱さを宿した無に戻った。
「じゃあ、そろそろ行くわ。いい?荒れ野に行ってはだめよ。命の危険にかかわるから」
「はーい」
「…辰美さんには、ちょっとした呪いをかけておくわ」
「ひい!やめてよ」
怖がった辰美に春木はわずかに口角をあげた。「なら大人しくするのね」
ガラス戸を引いて、山の女神は去っていった。
「どうする?」
「行きます。春木さんがあそこまで引き止めるんです。何かあるはずです」
「えーっマジで」
止められれば止められるほど、彼女は荒れ野にある墳墓に向かうのを決意している。
(腹を決めて、行くか…)
商店街から荒れ野─邪崩へ行くには時間がかる。土手から湿地帯に突入するにも道が定かでないので、それも考慮しなければならない。
山の向こう側に大きな入道雲が聳えている。こちらに来なければいいが…。
晴れた空の下、二人は歩きながら他愛もない話をしていたが、緑がポツリと零した。
「邪崩は三ノ宮家が管理していまして、色々裏話を聞きましてね」
緑と知り合いの、若き僧侶の三ノ宮 妙順。彼とは悪い魔法使いの件から会ってない。
三ノ宮家は由緒正しき一族であるという。異類婚姻譚の話もあるが、その霊力の系譜は一族にいたある修験者にまで遡るらしい。
化け狸と結婚する前に、彼らは既に霊験を誇示できていたのだ。
「中世は寺の権力が強大でした。邪崩は修験者の場でもありまして、三ノ宮家もその内の一人だったのです。……まあ、そんなこんなで三ノ宮家は荒れ野を開拓しようとがんばった一族でもあります。」
その道は険しく、荒れ野を支配する魔神退治や資金繰りなど散々な目にあったという。そしてその際、渦中の墳墓と遺物を見つけた。
「戦前、町の役場と共に調べると縄文時代の遺物だったそうです。大きな柱も見つかりました。湿地帯だったのが保存状態を良くしたのです」
その柱は祭祀用の大型掘立柱建物だったのではないか──緑の祖父はそう推測したという。
「祖父の憶測は正しいと、信じたいです」
緑からしたら月世弥が太古の巫女である確信はなかった。祖父の手記には月世弥という固有の名はあまりなく、太古の巫女や縄文時代のシャーマンと書かれていた。しかしそれは月世弥で間違いないだろう。
越久夜町の史書にも墳墓の記載がある。─三ノ宮家と共に見つけた際のものだろう。
誰のものかは判明してはいないが円墳であると書かれている。あまり調べられていなく、太古の巫女の墓であると決定づけられているのは祖父の手記のみ記されていた。
「あれが月世弥の墳墓なら…荒れ野が祭祀の場だったのなら、それなら何か祭具があるかもしれない。月世弥が真に存在していた証明になります」
「そうだよね。私の見ている月世弥は、異界の…幻像かもしれないもんね」