時空を超えるという事は 7
有屋は町を出た三人に改めて説教をたれ、これ以上東京や神が管理していない土地には近づくなと念を押してきた。
「神の死地は、人にはとても危険」と言うのだ。
鳥かごに似た最高神の神域から出ては、外敵にやられても助けはない。まるで人類は神々の愛玩動物や保護対象みたいだ。
人間も最高神の眷属─所有物なのだ、と。
納得できない辰美に噛み付くように彼女は「とある時空の一つが不和を起こしたから、こうなったのよ」と釘を指した。
有屋が言動に噛み付いてくる様子を耳にタコができるくらい見聞きしたようで、気持ちが悪くなった。あるはずのない感覚が襲ってくるのだ。
ぐったりしているのを見水に心配され、車に乗車した。
三人は渋々関越自動車道から離れ、越久夜町に帰る事となった。あんなに輝かしかった夏の空は怪しく曇りだした。ゲリラ豪雨が来そうな気配を感じながら、越久夜町の手前にある蛭間野町で休む。
生ぬるく雨の匂いを含んだ風に吹かれて、辰美は東京にいた両親や使用人を思い出す。裕福な家庭ではあったが人並みの幸せはなかった。泥沼で崩壊した家族関係へ未練はないが、確かに自分の人格を形作った一部であったのだ。
(なくなったらなくなったらで、変な感じ。あんなに要らないと思っていたのにナ…)
悲しみを持たない喪失感が居座っている。
「東京の、かつての姿を知りたいです。辰美さん…覚えている限り話してくださいませんか。」
緑が死んだ目で、真っ直ぐに見つめてくる。
「う、うん。いいよ、けど私さ。渋谷とか新宿に行くようなタチじゃないし、東京を広くは知らないよ…」
「大丈夫です。昔に、確かにあったはずの文明を記録して、後世の人に伝えたいんです。貴方の家族や地元の記憶も」
「そっか」
エジプト文明や古代文明を解明した人々もこのような思いだったのだろうか。
「私には…家族の思い出がないので、軽々しく慰めの言葉をかけられません。すいません」
素っ気ない返答に彼女は僅かに気まずいと俯いた。
「緑さん…まさか、孤児なの?」
「いえ、実際に家族はいたんですが。心の傷みたいなものなのでしょうか…母や父の記憶がないんです。妹や兄がいたかも知れません。どこに住んでいたのかも」
「そ、そうなんだ。てっきり越久夜町生まれなのかと思ってた」
三ノ宮や、商店街の人々の結び付きは余所者には思えない。
「母に連れられて来たんです、きっと。その頃はまだ普通の子供でした。祖父と二人で暮らしていたそうです。けれども何年かして祖父と母が死んで、恥ずかしながらアルコールを一気飲みして…首を吊って…自殺未遂してしまったんです。」
「ええ?!」
他人事のように彼女は言う。他人の経歴をただ、教えているかのごとき。
──…生憎、母は途中で自殺してしまいましたが。二人は何かに向かって、必死でした。
母と同じように、自殺しようとしたのか。因果か後追いか。
「私は壊れてしまったみたいで、意識を取り戻したら記憶や色々なモノが欠如していました。」
「へ、へえ。大変だったんだね…」
彼女のセルフネグレクトには理由があったのか。絶句した辰美に、緑は雷鳴を鳴らせる積乱雲を眺めた。
「これでオアイコでしょう?他人の情報を知るのに自分のも、と。不公平だと思いまして」
「あはは、緑さんらしーや」
「二人とも〜」
見水が疲れた顔でやってきた。「お祓い終わったよ…」
「車ごとお祓いしたの?」
「そーそー。有屋さんがそうじゃないとダメだって。町に穢れを持ち込んで欲しくないんだとさ」
「うわあ、あの人…」
頑固者というべきか…意見や考えを曲げないのは、困惑を超えて畏敬の念さえ湧いてくる。神霊なのだから畏敬という感情は普通なのだろうけれど。
神社が車祓いをしているのはたまに聞いていたが、神直々にお祓いしてくれのは稀なケースだろう。
「有屋さん待ってるから行こう」
三人はスーパーの駐車場に向かう。
「緑さんと見水が、居てよかった」
ふと辰美は呟いた。
「私も?何故ですか」
「え?なにぃ?恥ずかしいなぁ」
「なんでか分からないけど、良かったんだって思ってる。嬉しかったんだと思う─私を受け入れてくれたのが」
「………」
「だから、守りたい。この時空を何としてでも」
─最初は初めて会った緑さんや見水と違うんだって思ったら、きつかったけど今はそんなの関係ない。自分が人でなくなるのも怖いけど…二人が消えてしまうのも怖い…
─手や体が全部こうなってしまう前に、時空が壊れてしまう前に…何事もなかったって笑いたい。
あれは紛れもない本心だ。
「あはは、すぐ揺らぐんだけどね」
何も言わない二人にトツリと零す。
「違う世界に来ても良かった、って思いたいな。」
これで「時空を超えるという事は」は完結になります。
ありがとうございました。