山の女神と越久夜町の昔日 6
夕方の血のような、気色悪い赤さがアパートの廊下を照らしていた。風に乗ってヒグラシの寂しい音色が遠くから聞こえてくる。夏の暑さと夜の冷たさがせめぎあい、風が吹く。
辰美はまた疲れ果てて、扉の鍵を開ける。
「ただいま…」
消え入りそうな声で呟くと「お〜、おかえり」
居るはずのない返答に背筋がピンとした。不法侵入者か?
「どうしているワケ?!」
赤い夕日が差し込んだ室内に白銀の犬人間がいた。ボルゾイに似た顔立ちに、燃えるような尾。
彼はあぐらをかいて、こちらを待ちわびていたようだった。
「別にいたっていいじゃないか。ああ、暑いなこの部屋は。エアコンくらい買えよ」
「金がないんですう。夜は涼しいからいいでしょっ」
「はん。そうかい」
暑いと言いつつ犬人間は堪えているわけもなく、余裕綽々である。人ならざる者は暑さも寒さも関係ないのだろう。なのに、奴は暑いと言う。
「お前はさ、巫女の生まれ変わりなんかじゃねえよ」
「いきなり何?見てたの?」
「ああ、俺はなーんでも見れるんだ。巫女の生まれ変わりは──というか、代替はもうこの世にいる。お前は誰かの生まれ変わりというよりは偽物だ」
「はあ?」あんまりな言い草に青筋が立つが、彼は気にしていない。
「どうでもいいだろ。お前は小林 緑の祖父がどうなったか知りたい。そうだろ?」
「ま、まあ。今日は色々知っちゃったし…どうして、アンタがそれを?」
「俺はあいつに会った。いつ会ったかは明かせない。その時空は消えてるしな。それと天の犬らは何人か、あいつを知ってる」
天の犬。
──天の犬とも言われている。ひとつの時間や国、時空には定住せず、外宇宙からやってきた地球外生命体さ。
リネンが診療所で言っていた言葉を思い出す。
──世界各地に似たような伝承や伝説が残っていてね。多くは犬や狼の姿をとると言われているけれど、たしかに彼らは皆人狼や犬に似た姿をしている。月食には太陽を飲み、吉凶を知らせるために宇宙を駆ける。私が聞いたのは"ナイアーラトテップ"に似た部類だと言う事。
犬人間は立ち上がるとあろう事か壁を歩き始めた。音もなく重力を無視した犬人間は腕を組む。
「あいつには時空を左右する役割があったんだよ。やつも一番、町の生命体の中で時空について近づいていたし。やつは天の犬の力を利用したがっていた」
「…」人ならざる力を使って、越久夜町の歴史を調べていた。緑の祖父は天の犬の力を…。
「やつは──結局、天の犬になった。それからは知らねえよ」
自分が読み間違えやすい箇所にフリガナをふりました。




