彼らの痕跡 4
帰り道、ジワジワと汗が滲む。このまま涼しい骨董屋に逃げ込んでしまおうか、と。
(あ、窓開けっ放しだった)
意気揚々と出かけた際、部屋に熱がこもらないようにわずかに窓を開けて行った。会えるとは思っていなかったため、すぐ帰ってくると考えていたのだ。
流石に田舎でも、犯罪やら空き巣やらはあるだろう。ただあのボロボロのアパートに侵入する犯罪者はあまりいないと思われる。
「あの子、この時空では死んじゃったんだ」
この時空の巫女式神は生まれて間もなく不慮の事故で死んでしまった。鬼神はめんどくさそうに、思い出したくなさそうだった。
──あえて理由を話すのならば、鬼神の眷属が死んだ。それが彼の可能性だったんだ。
──眷属は鬼神の眠っていた希望、未来の化身だったんだ。その存在は奇跡に近い、未知数の存在が生まれ落ちたのだから。
ではあのカラスの式神は──希望の化身なのか?
「この時空の私はどうなっちゃったんだろう」
ふと恐ろしい考えが浮かび、身震いする。もしこの時空の佐賀島 辰美が死んでいて─自分が成り代わっていたら?
「…やめよ。怖くてトイレ行けなくなっちゃうわー」
思考を切り替えて、見慣れた景色にホッとする。しばらくしたら骨董屋に行ってもいいかもしれない。
ボロアパートの階段に人がいるのをみつけ、立ち止まる。この暑いのに錆びついた階段に腰かけ、地面を見つめている。
強い日差しの下、青白い肌がやけに悪目立ちする。中学生くらいの幼さを残した、思春期の子供。長髪に白い肌──アルビノのような澄んだ赤い目。だが顔つきは夢に出てきたあの女性に酷く似ていた。
月世弥ではないのか?
「あっ!帰ってきたあ!」
甘いハイトーンボイスを発して、彼女は立ち上がった。
「な、なんでいんのよ…」
「波長が合ったからなのとぉ、呼ばれた気がしたから!」
ニコリと無邪気に笑う少女に辰美は後ずさった。
「呼んでないし…」
「辰美ちゃ〜ん。遊びましょ!」
ねっとりとした声音で近づいてくるや、隣にやってきた。
「…なんで名前を知ってるんですかぁ?」
「人ならざる者ならだいたいは知ってるよ、辰美ちゃんの事!ね!有名人!」
ニヤッと笑い、少女は牙を見せた。
「妹さんは見つかった?あの時から邪魔されて、辰美ちゃんに会いに行けなかったんだぁ〜」
「邪魔?」
「最高神が、慎ましく辰美ちゃんを守ってるんだよ。知らなかった?」
「最高神?全知全能の神の事?」
「ふ〜〜ん。知らなかったんだ?越久夜町を守ってる一番位の高い神様だよ?」
「アナタ、最高神とか色々知っているけど何者なの?」
「辰美ちゃんはわたしが何か知っているのぉ?」
「人の形してるのに、中身が人じゃないやつ。この世に存在してる生命のガワを被ってる、──バケモノ」
「うん。わたしはバケモノだよお。あのカラスもね」
「巫女式神を知ってるんだ」
「知っているよ。こんがらがって、入り組んだ線の起点から」
少女は再び不気味に笑った。この少女は一体何者なんだ、と。
「わたしはね、干渉者なんだよ」
「えっ、アンタが?…時空を破壊した根源?」
「ちがうよお。干渉者として生まれたけど、越久夜町に来てから今はね、ちがうの。受け入れてくれたヒトがいたから」
「う、うん」
「アナタは私を受け入れてくれる?」
「ど、どうやって…?」
「その身体ごと、わたしを受け入れてくれるのなら─ねえ?憑坐になってくれる?」
「え、ヨリマシって何?ソレ、やばいんじゃないの?」
「憑坐はねえ、わたしたちが人界に出現できるようになって、存在も確実にしてくれる。ありがたーい存在だよ」
白々しい、甘ったるい可愛らしさを振りまいて、彼女は天に祈る仕草をした。
「はあ」
「オレの場合、乗っ取る事になるだろうなぁ」
「やだよ。そんなの、私色々な事になっちゃってるんだから!…てアンタ、カミサマだったの…?」
(オレって言ったし…)
「そうだよ〜?わたしね、昔は神さまだったんだ」
「ほんとに?」
「うん!今はペナルティを受けてこんなんだけどねっ」
(ペナルティ?)
「わたしはネ──拒絶されたんだ。オレはあの神に、ムラに、全て拒絶された。ひでえよ。身が引き裂かれるようだった。内蔵も皮膚も、魂も引き裂かれてズタズタにされたようだった。壊れちまったんだァ。そんときに、いやぁ、もっと前からか。わからねえなァ」
少女の輪郭が徐々にぼやけ始め、背が高くなっていく。ざわざわと蠢き呻く、髪に似た触手。死人めいた土色の肌。三本の指。化け物じみた鋭い牙や皮膚が裂けたような目が少女を歪め、こちらをゆうに見下ろした。「ちょっと、アナタ…!ひっ!」
「なあ~二度も魂を惨殺されて、苦しかったぜえ。分かるかあ?オレの気持ちがあ」
権現したバケモノに辰美は固唾を飲み、必死に視線を逸らした。見続ければ気が狂ってしまう──
「ヨリマシになれば、望みをかなえてやってもいいぜ」
「…や、やだ!」
「もう一度説明するか?ヨリマシとは憑く坐だ。外国語ではポゼッションともいうのだろうか?──お前を憑坐にすれば、異界も人界にも強く干渉できるだろうよ。みんなが狙うのもよく分かる。使わしめも、神も。我々干渉者もなァ!」
「ひぅっ」
「なーんてな!そう怯えるなよ。俺はとって食いやしねぇーよ」そういうとみるみるうちに少女の容姿へ戻り、また白々しい愛嬌をふりまいた。
「この女のように、オレ(かみ)の霊験を広めれば良いのだ」
「そ、その子を食べたのっ!?」
「まさか!コイツははるか昔に死んださぁ!だが、お前のような目や耳を持っていた。おめえより一枚上手だったかもなあ。だが、今の世にそんな人間はいねえ。お前しか、それくらいしかいない。…とにかく、わたしはね!忘れられたんだ~また、皆思い出して欲しいなっ」
(鬼神さんと同じだ…。)
「確実に覚えて?神威ある偉大な星、地球でのわたしの名は─天津甕星」
神威ある偉大な星。
──神威ある偉大な星って?星の神様なの?
すると鬼神は懐かしむように目を細めた。
──そうさ。とても輝かしい星の神だったよ。
「アナタが…鬼神が崇めていた神さま?」
「誰それ?ね、ね?辰美ちゃん、ぜーんぶ貴方にかかってるんだよ?ねえ?どんな気持ち?」
かつての悪神は白線を渡りながら、上機嫌そうに言う。
「時空を壊すも、治すもぜーんぶ辰美ちゃんが選択できるんだよ。いいなー。わたしだったらぁ、遊んじゃうなあ」
「遊べるわけないでしょ。第一、選択肢が見える訳でもないし…。」
「簡単だよ。嫌だったら、捨てちゃえばいいんだよ。偽善も、未来を思う心も。」
可愛らしい笑みで彼女はそんな風に言い放った。
「もっと貪欲に汚くなりなよ。辰美ちゃん。見ててさあ、イラッとすんだよ」
「……あのさ」
「じゃあね!多分この調子ならまた会えるよ!」
辰美の言い分を無視し、彼女は手を振るとパタパタと走っていった。