彼らの痕跡 3
翌日。夜中に神社に行く勇気は無いので、昼間を狙って参拝してみる。昼間─正午に人ならざる者や鬼神が出没する確率は低いが、もしかしたら、を期待して行くのもいいだろう。いなかったら覚悟を決めて丑三つ時に行くしかない。
積乱雲がもくもくと湧く空はわずかに濁っているように思えた。蝉の合唱と刺すような日差しを受けながら鳥居を潜ると、なんとも言えぬ薄ら寒さを肌で感じる。聖なる存在が坐す空間ではなく、マイナスなパワーを含む底知れないカミがいる"場所"。
「すいまぁせ〜ん…いますかあ」
周囲は静まり返り、鬼神の気配はない。祟り神の境内はやはり不気味さがあった。
「やあ」
どこからか声がする。
「訪ねに来るという事は何かあったのか?それとも気まぐれに私に会いに来たのかね?」
「こ、こんにちは」
背後を見やるといつの間にか鬼神が頬杖をついて、狛犬の上に座っていた。
「狛犬、できたんですね」
「人間たちが新しく石工に頼んだらしい。私に従う神使などいないのに、馬鹿だねえ」
真新しい勇猛とした狛犬たちは阿吽の口をして本殿を守っていた。
「もうこの石像には眷属らは宿っていないよ」
「そ、そうなんですか」
「居なくなったら二度とは戻らないんだ。こういうのは」
小学六年生くらいの少女は狛犬から、ピョンと降りた。
「元より地主神は、無色透明な神だったな。もしかすると本体は遠くにいるのだろう」
「はぁ…」
理解できないと辰美は深く考えるのをやめた。
「せこせこと人間どもも深夜にさァ、内密にやっていたよ。どうやらこの神社は曰くがありそうだ。証拠に秘仏と化しているんだよ。この神社の本尊は」
「神社なのに仏像?」
「そうだ。地主神社とは言われているけれどね。あれはどう見ても薬師如来さ」
薬師如来というと神道ではなく、仏教の、世間一般的に健康にご利益がある仏さまである。神社にあるのも不思議な感覚がするが…。
(昔は神さまと仏さまは一緒だったんだっけ?)
「タコの木像もあったから、もしかするとタコの方が神像かもね」
(タコ…)
心の奥底がざわめく。嫌な予感に、辰美は俯いた。
ニヤニヤ、とどこかで見覚えのある笑みを浮かべている。どこかで。
「あの、実は…今日は、聞きたい事があって。神社に来たんです」
「ほう。なんだね」
「小林さんって人を知りません?」
キョトンとした鬼神は外見の年相応に、幼げだった。
「小林…?この町にどのくらいの人間が居て、小林という苗字が居るのを知っているのかい?」
「あー…、えっと、すいません。過去にアナタを調べていた人がいて、小林って言うんです。その人を知っているかなって」
「ああ、知っているよ。光路だろう?私を調べる人なんてあまりいないからね。その人の苗字が小林というかは知らないが、眠っている私にしつこく接続したのは分かる」
「そっか。緑さんのおじいさん、本当に調べていたんだ」
手記の謎は深まるが、緑の祖父の痕跡は確かなものだった。それだけでも彼女は救われるだろう。
「…普通なら私にはたどり着けないがねえ。あれは人の力ではない、人ならざる者の力を有していたとしか」
「え…」
「まあ、いい。…そういえば、君の知り合いが神社にやって来たぞ。」
「知り合い?」衣舞だろうか、それともリネンだろうか。思いつく人物がなぜ神社へやって来たのか──検討もつかない。
「不審者だった。そいつは見たこともない服装の人ならざる者だ。私に君の知り合いだと言ってきたんだ」
「…巫女式神かな?」
不意に浮かんだ奇妙な子供。彼女ならありうる。
「ん?なんだ、それは」
奇妙な色をした瞳に鋭い光がやどる。鬼神はスッと姿をモヤにして、辰美の隣にやってきた。
「巫女式神というのはどんな輩だ?」
「巫女さんの姿もしてないし、カラスの姿をしてたりするし…変な平安貴族みたいな服を着てたわ」
「──カラス、か。ふうむ」
目を細め、彼女は本殿を眺める。
「私は三足烏を模した"式神"を作った。式神とは言えど、偽物であるから完全な式神ではないがね」
──巫女式神。あの少女は自らを式神と名乗った。
「恥ずかしい限りではあるが、その式神はかつてこの町にいた巫女から要素を拝借したのだ。…だが出来たのは現在の巫女装束を纏う小さな式神だった。私には似ても似つかぬ小さな、生意気で不完全な存在だった」
コップの向こう側にいた子供を思い出す。巫女装束をきたつり目気味の幼い少女。彼女は鬼神が言う通りの式神だった。
「しかし、似た者がいるのはおかしいな。奴は何を目的にしている?」
「なんか、山の女神を探しているって言ってました。あと山の女神を倒して欲しいって…それと、越久夜町に起こった神話を知っていたし。やっぱり」
「…。巫女式神には気をつけてほしい。やつは明らかに異物だ。この時空元来の生き物ではなく、多分違う場所から来ている。なぜなら─私は一応神であるから。加えて、この世界にはそんな者がいるのを知っているんだ」
「犬人間とか?」
「ああ、パラレルワールドにはたくさんの者がいる。この世界に紛れ込んでいてもおかしくない」
「もしかして、というか巫女式神は他のパラレルワールドのアナタの式神だと思う」
「そうだとしても、彼は別人だからね。"この私"の式神は死んだ。…巫女式神は式神であった事に固執しているのかもな」
「うん…」
過去に囚われてまださまよっているのか。巫女式神は山の女神を倒して、時空を救って何がしたいのだろうか。
「君に巫女式神が話した偽の神話は確かに起こった事柄だが、それを知っているのはごく一部の者しか知らない。それを知ってしまったというのは、危険だ。坐視者に傾いてしまう」
「う、うん。あまり話さないようにする」
「お利口さんだ」
ふざけてシッと口に手を当てる鬼神に人らしさを感じながらも、汗を拭う。彼女は暑さを感じないのか、涼しげだがこちらは暑い。違う世界にいるのを痛感する。(ちょっと羨ましいな…。)
「しかし私を認識していた者がいたのは嬉しい。小林さんには礼を言うよ」
「何を崇拝していたかは分からなかったみたいだけど…」
「私が神威ある偉大な星の、かの神を崇拝していた巫覡だったのだよ」
「…?」
「神に仕え、祈祷や神おろしをする人を指す。私は星神の、異国の巫覡の者と呼ばれていたんだよ」
「神威ある偉大な星って?星の神様なの?」
日本では表立って星の神は知られていない。月の神はいるが、星々の行事や民俗は七夕くらいだ。
すると鬼神は懐かしむように目を細めた。
「そうさ。とても輝かしい星の神だったよ」