悪い魔法使いと越久夜町 29
「十九時になったら神使たちが四神の結界を発動させます。四神の結界内は神使たちのルールが適応される、すなわちある程度星守を操り、廃ビルまで導きおびき寄せられるのです。しかし星守が異界にいたら、ルール適応外になってしまう。……私たちはどうやってこの時間で星守をこの現世におびき寄せるかになります。」
喫茶店のレトロな時計が十八時二十一分をさしている。目標となる廃墟となった中層建築物を皆、知らない訳ではない。町やどこにでもよくある文明の敗者。
大半が魔法を使う生業をしているため、星守が逃げてしまう可能性がある。皆、目を見交わして黙ってしまった。
「私が囮になります。」
見水が腹を括った様相で挙手をした。
「なにを…?」
緑と辰美は信じられないと、彼女を見た。
「私も役に立ちたいんです。…一応、一回悪い魔法使いにしてやられたし、仕返しってのもなんですが」
「危険ですよ。」
へにゃり、と破顔した彼女はいつものように答えてみせた。
「へっちゃらです。」
──見水さんには私の携帯を持ってもらいます。GPSでいつでも位置が把握できるように。
三ノ宮がリネンの携帯の画面で、見水 衣舞の位置を把握していた。
「どうやらまだ悪い魔法使いは現れていないようですね。私の携帯も異常もなし。……詰みましたね。」
『十九時ゼロ分ゼロ秒をお送りします。』
辰美の携帯から流れる時報が十九時を告げる。四人は越久夜町の中央に位置する廃ビルの屋上で、四神の霊力から発せられる結界が張られるのを待った。唸るような地鳴りと共に視界が鮮烈に瞬き、四方から半透明の壁が現れる。それは空へ続き、空を覆っていた厚い雲を蹴散らした。
「元の越久夜町との繋がりが開かれた。開く、というのも一種の呪いだ。まあ、それは善いために使われる呪いだけど。ほら、もう、この世界で誰もとやかく言う者はいないんだ。何やってもいいんだよ。」
リネンがさも喜ばしそうに言った。
「あの子のいる世界にまで届いておくれ。」
(あの子って…誰だろう。)
東西南北がさらに光り輝き、越久夜町のゆらぎが払われる。
一方見水は魔筋へ続く路地を探していた。廃ビルから離れないように、迷路のように入り組む路地を当てどなく歩く。小さい頃から慣れ親しんだ町の光景はどうしてか今日は陰鬱として、澱んでいた。
「わ!」
地震が起きる。電線やらが軋み、辺りが騒々しくなった。いきなり視界が眩く輝き─空へ光の壁が昇っていくのが民家越しに見える。三ノ宮たちが言っていた"四神の結界"だ。
さぁっと足元を真冬のような凍てつく風が通っていく。視界の先に麻縄に似た縄が千切れ、アスファルトにいくつも散らばっている。
見た事のない標識と歪んだカーブミラー。──リネンが言っていた魔筋という空間そのものだ。
「…迷い込んだんだ。」
見水は辺りを挙動不審に見渡し、足を踏み入れる。
──星守は魔筋に依存している。他の世界へ誘う際に魔筋を用いるだろう。
「!」背後から強烈な気配。振り向くと歪なシルエットで構成された人間がいた。赤い眼光だけがぼんやりと浮き上がり、背中から幾多の触手が蠢いていた。あれが噂の悪い魔法使いだと悟る。
「ヒッ!」
走り出し、魔筋から引き返そうとするも鼠に似た化け物がよろつきながらも追いかけてくる。見水は前にしか進めないと割りきり、携帯を通話に繋いだ。
「リネンさん、廃ビルに道を繋いでくださいっ!」
──私が特別な魔法をかけて、魔筋で廃ビルまで導こう。心配しないでいい。
頼もしげに言ったリネンの言葉を信じ、バタバタとうるさく足音を立てながらも走る。民家の塊のわずかな上に見慣れた廃ビルが見え始めた。
「リネンさんっ!」
顔を輝かせ、見水は疲労する体を叱咤し力走した。
「はぁはぁっ、あともう少しっ!」
奇々怪々な路地を抜け、鄙びた廃ビルはどんよりと見水を待ち構えていた。開け放たれた虚ろな入口に飛び込み、階段を必死に登る。三階建てくらいの中層建築物だ。もつれそうになりながら、やっと屋上に出られると視界が開けた。焼け付いたコンクリートと錆さびつく手すり、あとは汚れた貯水タンク。なんの変哲もない屋上であった。
「まて!」
「うひぁっ!」
見水に悪い魔法使いの手が届きそうになるや、彼は異変に感づいた。
「動くな!─星守 建速!」
男女二人分の声がしたと思うや否や、身体が金縛りにあう。いや、実際に森羅万象のルールにより作られた細い糸で縛り付けられていた。
名は体を表す。
星守は歯を食いしばり、名を呼んだ三ノ宮と緑を睥睨した。闇に覆われ隠されていた正体が明るみに出、常軌を逸した目付きの陰気な男が現れた。
星守家のご子息。星守 建速。
「謀ったなあああああ!」
辰美を目にした途端、鼻に皺を寄せ吠える様は初めに見た大人しさからは想像できぬ。彼は怒りに糸を引きちぎろうとあがいた。