悪い魔法使いと越久夜町 28
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疲れきった体でボロアパートに戻ると、ビニール傘を手に見水が待ち伏せをしていた。着の身着のままで来たのか部屋着に程近い格好であった。
「辰美っ!」
こちらに気づくと心配そうに駆け寄ってくる。
「み、見水?!なんで?」
「この空は何?何が起きてるの?」
「見水も分かるの?」
「うん。」空を仰ぎ、見水は確かめるように目を瞬かせた。
「ぼんやりとだけ。」
「─見水、帰った方が」
「いやだ。私も辰美のためになりたい、辰美がっ……この空の事や何を知っているか分からない。けど、一人で苦しんでるのは嫌なの!─力になりたいよ。」
「うっ…」唯一の心友の言葉に目頭が熱くなり、悟られぬよう俯いた。
「話して。これが何なのか。」
「…悪い魔法使いが星守っていう人だったんだ。その人が使役している式神がそう言ったら、こんな風に。」
「えっ、星守ってあの星守一族の?」
驚愕する彼女の反応を見るにやはり星守は越久夜町では名高いのだと再認識する。
「あと星守が病院から逃げ出してる。気をつけないとっ」
ポケットの中にある携帯が鳴り響く、辰美は手に取る。「もしもし?」
「辰美さん、今どこにいますか?無事ですか?」
「うん。今アパートの前にいる。」
「よかった。ならばこれから喫茶店で落ち合いましょう。」
「喫茶店?あの?」
「商店街にある遊月という喫茶店です。空がおかしな事になっているでしょう、加えて悪い魔法使いによる事件も発生したんです。…それに有屋さんを保護していまして。」
(有屋さん…あれからまだ酒を)
あの後無事に帰れなかったみたいである。
「この空は絶対に悪い魔法使いの仕業に違いありません。神使たちもそう言っています。」
「あの」
「ええ、ええ……わかりました。有屋さんが星守さんを探して欲しいと懇願していまして、辰美さんは知りませんか?」
「いえ。見かけませんでしたけど〜〜」
「そうですか。今日が、この日が最後のチャンスだと思います。──喫茶店で会いましょう。」
なにやら立て込んでいるのか緑は口早にそう言って、会話を終了させたがたった。
「分かった。」
通話を切ると見水が所在なさげにこちらへ詰め寄ってくる。
「な、なんて?」
「喫茶店に行こう。緑さんたちが待ってるって。」
本格的な夜の帳が降りた。シャッターの閉まった商店街に一軒だけ明かりが点っていた。遊月である。
喫茶店の扉を開けると、店内には三ノ宮と一匹の神獣狸、そして酔い覚ましに水を飲む有屋。今しがたまで会っていたリネンがいた。
店内はほの暗い、音楽もかかっていない。
「見水さんも?何故?」
有屋の介抱をしている緑が見水の姿を目にしてわずかに驚いた。
「空が気になって辰美のアパートに。」
「あなたも空の異変が見えるのですね?」
「はい。何故か、分かりませんが…。」
この場に集まっている者は皆どうやら、おかしくなった空が見えているようだった。
「星守の式神の件は聞きました。式神から直接聞いたから嘘ではないでしょう。」
「式神が?!」
かの童子式神が縄に縛られ、呪符で封じられていた。恨めしそうにこちらを睨むと、口内の鋭利な牙をむきだした。
(可愛くねーやつ。)
「すいません。私たちであなたを頭ごなしに否定してしまいました…なんと謝罪していいやら。」
緑が小さく頭を下げ謝罪してくる。
「確かに傷ついたけれど。この土地の関係も考えず…私も悪かったと思う。緑さんたちのせいじゃないよ。」
「辰美さん、あなたは」
「あれから辰美さんの言う通り、星守が入院してから被害が無くなりましたし、悪い魔法使いは星守で間違いないのでしょう。」
三ノ宮も申し訳ないと、辰美の持論を肯定した。報われた訳ではなく複雑な気持ちではあるが、あの時の傷心が軽くなった気がする。
「だけど、この式神」
「ああ、春木さんを少し脅してね。この日だけは私の獲物になったんだ。」
「は、はあ」あの春木を脅せるとは彼女は何者なのだろう。
「星守家を途絶えさせてはならないのよ、町に厄災が訪れるから…」
相変わらず酒臭い有屋がテーブルに突っ伏したまま呟いた。
「しかし星守が越久夜町を…」と緑が否定するも。
「私は星守家を守らなければならにゃいのっ!」
(まだ酔ってる…)
「何故星守が…未だに信じられませんね。」
辰美はかつて星守が言っていた言葉を思い出した。
──神は人に近い。聖なる存在だと自惚れ穢れているのだ。干渉を拒み、魔や人だけで"運命"を左右する楽園を作る。人も魔も同じ位置についていたはずの、言わば原始の頃のような楽園へ。
──原始を満たしていた虚ろこそが真実だ。いつだか誰かが森羅万象を決めたように、自分がルールを定めれば。
まるでそれこそが正しいのだと、魔法使いは自惚れた様相で語った。
──神々とやらが作ったルールを一新する。それがオレのしたい事だ。このままでは越久夜町は滅ぶ。
「星守は、越久夜町を救おうとしてる。理由や行いはいけないとしても」
不意に頬をはたかれ、辰美は呆然とする。有屋が飛びかかるようにこちらへ攻撃してきたのだ。
「魂を食べ、町を荒らすのが町のためですって!?」
「有屋さん。」ヒートアップする彼女を宥め、緑が立ちはだかった。
「星守のご子息のやり方には私も支持できません。ただし辰美さんは辰美さんなりに、理解しようとしています。」
「黙りなさい!私が、有屋 鳥子がどんな思いをして星守を守ってきたと思っているの?!」
汚く怒鳴り散らし、椅子に座った。長い大げさなため息をつき、瞼を固く瞑る。
「私のしてきた事はなんだったのよ。ご子息として、いや、人間としてあの子をきつく是正してきた。それがいけなかったと?!まるで全てを否定されたみたいだわ!」
「有屋さん」三ノ宮が、何かを言おうとしている。
「そうよ。有屋。貴方のせいよ。」
沈黙していた春木が冷たく言い放つ。「せ、先輩っ」
いつの間にか来店していた春木に店内はざわめいた。彼女は死者のように淀んだ瞳をして、血の気が引いていた。
「そして…私のせいでもあるわ。星守を──罰しなければならない。」
されど強い意志のある声音で彼女は言った。
これから加筆修正しながら投稿していきたいと思います。