未確認思惑「彷徨う」
「類人猿」はホモ・サピエンスをさす、妖獣人側の罵り言葉のような、スラングみたいな感じです。
人気のない夜道を小太りの妖獣人が挙動不審に歩いていった。麗羅はそれを一瞥しただけ、彼の悪行を問い詰めることはしない。もう一度夜闇へ消え入る妖獣人を見やれば、なんの変哲のないくたびれたおじさんが帰路へついている様に見れた。いったい「アレ」はなんなのだと類人猿は恐怖を抱いた。分からない。いったい類人猿は何のために生息しているのだと彼らは問う。-ともあれ、あの現象は説明がつく。
どこの地域でも横行する麻薬売買である。
麗羅も例に倣って麻薬売買に参加する。最近は警察もここいらの取調べを強化しているし、今夜で売買人の顔も見納めなのかもしれないと思ったからである。
「あんまり勧めないよ。ヒトには強すぎる。」
妖獣人が片眉を上げ渋りだした。かつて古代で安寧秩序をとりもったシャーマンは幻覚剤によるトランスで神秘を体験した。ライラは内心自分がそのシャーマンの末裔なのだと吐露してしまいたくなったけれど、男は言い訳だと鼻で笑うだろう。
「それに最近雲行きが怪しいんだと。なにやら人外がヒトを襲ってるらしい、俺ぁ捕まりたくはない。」
「何それ初耳だわ。」
「それはそう。あんたらは捕まらないからね。」
シニカルに彼は乾いた笑みをこぼした。ここで怒ってしまえばやれ差別だの、所詮はお前も類人猿だと…己の偽善が騒ぐだろう。やらぬ善よりする偽善。偽の聖職者はニッコリと「わたしだって、捕まるわ。ハンターだもの。」晴れやかに言い放った。
ハンターは未確認生物を狩る以前に人外の生活環境を破壊してはならないというルールがあった。法外な理由で干渉すればどうなるかは分からない。
「へえ。やっぱハンターも悪さすんだ?」
「そりゃいきものですもの。」きょとんとした売人にならず者はニカッと笑っていた。
肌寒い風を浴びながら髪を指で梳かす。公共施設の暖房は嫌に強くて、皮膚はじっとりと汗ばんでいた。皮脂や洗剤の臭いが風に奪われていく。人気のない場を選び張り詰めていた緊張を解いた。
タバコ型の魔薬をライターで炙り、スパッと口に含む。人類にはまだ強すぎると密売人が言っていたように、用法用量を守らなければ一度の使用でも廃人やお陀仏になるという。
妖獣人の体は以外にもタフなのか、それとも猫のまたたびのように人間にだけ強く作用するのか──。
麗羅はいつからかこの薬物に溺れるようになった。妖狐族の妖獣人の親友に進められた。吾妻という美しい妖狐だった──しかし薬物に手を出していた。その時は親友を諭しただけで、利用はしなかった。
でも。
吾妻は、死んだ。
それからは置き土産を吸うようになった。
もはや廃人になりかけているのだから、今更止める気にはなれなかった。吸う度に記憶も人格も、持ちえているものが溶けていく。
それでいい気がした。
駐車場のフェンス越しに汚らしい都会を望む。全くもって汚らしいものが溢れている。下水から漂う悪臭や吐瀉物の残骸、ひっそりと息絶えた野生生物、耳に触る笑い、酒に溺れバカ騒ぎする連中もしつこい客引きも、ニヤついているクズ優越感を身に纏い周囲を威嚇する臆病者。その他ぜんぶ。煩わしいだけだ。
誰が理想の都市だと言った。だから人々はこぞってここへやってくる。決まって先人に染められ腐臭に塗れ同胞に堕落するのだ。
そしてこうやって穢らわしい都市を観察する自分だって。イライラが増す、ストレスかホルモンバランスか、気持ちが落ち着かない。ポケットに詰め込んだ魔薬をさらに一本、雑にとりだした。街頭配布のポケットティッシュが消失しているではないか。
「あーあ。最悪。」
煙草を一服するように一息つく。現実味が薄れていく―悲壮感、苛立ち、劣等感、善悪、死、それらが脳の一部から抹消される奇妙な感覚。あそこから飛ぶんだって。フォンスがふっと背後から消え失せ、突風に任せたまま落下する。奈落の底へ叩きつけられ、したたかな音がした。頭から大切なものが零れていく。アスファルトに膜を貼った油の虹がじわじわと広がっていった。皆が落下した不届き者を軽蔑し様々な行動をとる。悪ふざけや悲鳴をあげ見世物を野次馬する。飛ぶのよ。飛び降り自殺か?麗羅は新聞記事を指でなぞり、頭を抱えた。これじゃあダメ。…独りでいたい気分なの。小さな記載。彼女がいう。しょうがないのよ、物事は変えられない。そう理解したはずじゃない。諦めが悪いわ。
自ら築き上げた世界への破滅願望を否定するなんてお笑い草だと、麗羅は自嘲した。
ありきたりなクラクションの音で街路樹にもたれ掛かる。吐き気と目眩、体の強ばりそれから最低な胃痛が麗羅を襲った。売人が姿を消した。残った量をキメて、頭痛に胃液を吐瀉した。
あんたはマジナイが使えるんだろ?
革靴が転がっているのを不思議に思い千鳥足で原因を探った。視界がやけにあざやかでサイケデリックなせいでまともに探れやしないが……。
「わあ?」
咀嚼音が草むらから聞こえてくる。三流ホラー映画みたいな展開に好奇心が湧いた。幻覚剤の副作用に小首をかしげ、音のする方へふらふらと引き寄せられていった。
二人で隠そう。
はしゃいで顔面を食いちぎっているタコに拍手する。(ありり?これ、デジャヴかも?)
「そういや、最近横暴なUMAが出没するらしいよ。」
「ふーん。」まるでフィクションみたいに、コンビニで出くわした女性がなんの気なしに呟いた。ライラは彼女の口からUMAの話題が出ると心底睥睨した。それも彼女は計算済みなのである。
人類を特別視する原始的な思考をもち、停止してしまった「哀れな」人であった。彼女達からしたら、ライラこそ自己を否定し続ける愚かなヒトなのだ。この話題は永久に平行線を辿るのでお互い、暗黙のルールで避けていた。
ハンティングベストからはいけ好かない火薬の臭いがする。また誰かを撃ち殺してきたのだろう。
見車・スミルノフ。
この世に存在する─人ならざる者をなによりも嫌い、撃ち殺すトリガーハッピー。
「おとなしいUMAなんているものか。理性と文化を完全にコントロールしているのは、今のところ、我ら人間しかいないわけだけど。やはり彼らは獣だ。そうじゃないか?ライラ。」
「あんたは生命体じゃないって?」
公園を歩きながら彼女は大げさなリアクションをとる。
「ライラは覚えてないか?君の友人が我々の同胞を殺したことを?」
「あれは正当防衛よ。」
友人はひったくりに遭い、居直り強盗されたのだ。誰だって命の危機を感じ乱闘になる。生垣から血なまぐささが漂ってきた。幻臭だとしてもえづきそうになる。悪夢だった。
「魚子が心配していた。あんたが自棄を起こしてるって。」
「あの子はなんでも周りに話すんだね。」
「……ああいう子は永くもたない。絶対に呪術師のことは言うなよ。私たちは絶滅危惧種のままでいいんだ。」
釘をさし彼女は市街地から遠ざかっていく。端からライラをつけ狙い、たるんでいると指摘しにきたのかもしれない。思想は違えども同じ穴の狢であるのは変わりなかった。
カッコつけた態度に胸糞悪くなる。プライドの高い女―見車がいかにも好むシュチュエーションを与えてしまったのは。
「やだ!」
見車は嫌いだ。いつも否定したことを言う。それに、人ならざる者は生まれながらにして下等だと決めつける。ライラは近くにあった「鈍器」で魔女の頭を殴りつけた。
呆気なく倒れ血を流したそいつを拝むのは、既視感があった。竹虎は気の違った女性のしでかしに溜息をついたのだ。二人で隠そう。まだ誰も見てない。あんたはマジナイが使えるんだろ?
「私を殺したつもりでいるのかい?ライラ。」
見車が言う。暗闇で、死体のままジッと眺めている。
「怖がらなくて大丈夫だ。愛しているよ。──私は何としてでも君に会いに来る。仙名 麗羅。」
──
カプセルホテルの一室でアラートが鳴った。
すやすやと眠っていた麗羅は無理やり夢から叩き起こされ、不機嫌だ。
「んーなにぃ?」
携帯を開くと(ガラケーユーザーである)久しぶりに仕事が舞い込んできた―仕事仲間からのメールであった。
◆用語説明
【未確認生命物排斥派】 未確認生物は野蛮であり危険であるとして、認知されかかっている種族やそれ以前の種族を絶滅させようとする思想と行動。
【妖獣人】 妖力を持った獣人。妖狐や人虎、人狼など世間から認識されている種族もいる。魔法使いや人ならざる者が見える人からは存在を見破られてしまうことも。
太古は未確認生物としてハンターや魔法使いの餌食になっていたが、現在は人権を認められ人間として暮らしている。