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序章・下

「走れ!」

それは地鳴りを伴って現れた。


少女の声に反応してか、恐怖に飲まれたか。村長の馬が駆け出す。

振り落とされまいとしがみつきながら振り向いてみると、少女ははるか後方に浮かび上がる柱のような砂煙を睨んでいた。

砂埃に合わせて木や土が消滅していく。まるで濁流に飲み込まれていくように、地面の下へと吸い込まれて消える。


際限なく、あらゆるものが一切の区別を持たずに消える。

悪夢のような光景に老人はぞっとした。


砂煙はすぐそこまで迫っている。


少女は灰色のローブから真っ黒い塊を取り出す。ごつごつとした石のようなそれは実際には微妙に柔らかさを持っていて、わずかな弾力を少女の指先へと返している。

塊を宙へと放る。

見事な放物線を描きながら、巨大な干し肉の塊は空へと舞いあがった。


刹那、砂埃は止まった。放られた餌を知ったか。あるいは自らに近づく、何かを本能的に感じたか。


少女の相貌はただ静かに肉塊から砂埃の中へと向けられていた。


不意に村長の馬が消える。足元から一切が消滅しておいた肉体が空へと浮かびあがり、そのまま浮遊する。悲鳴を上げる間すらない。

圧倒的な大質量が跳躍した衝撃でその反動で揺られた馬から転落する。立つことすらおぼつかないまま、村長は大地にしがみついて空を仰ぐ。


―地竜。


そこにいたのは巨大な竜、いや腹の膨れた蛇の異様な姿であった。白日の下にさらされ、撒き餌に食らいつく様を見て少女ははっきり聞こえるようにつぶやいた。


ツボ型の胴体が馬鹿みたいに巨大で、おまけ程度にぶら下がる小さな手足が滑稽に見える。

だが、地竜が大地に刻む影は森を飲み込まんばかりの巨体を示している。眼は赤く血走り太く短い牙が何百と乱雑にそろえられた口内を見せびらかしながら矮小な肉塊にかじりついたそれは、一つの意思を明確に伝えてくれる。


くらう。食らう。みな喰らう。


「…守り神…!?…日照りに障られたか」


「いかん!魔女殿、あちらには村が!」


口に出さずとも魔女には伝わっているだろうなど、村長はすっかり忘れて叫んでいた。

「お膳立てされてるみたいで気味が悪いけど…ちょうどいいわ。まとめて解決しちゃえばいいんでしょ…黒、仕事の時間よ」


ぎらぎらとした目つきで唇をゆがませた魔女は空へと不敵に言い放った。


その姿に先ほどまでの少女らしさはみじんもなく、獰猛なけだものの存在がそこにあった。

「今からあいつをぶっ飛ばす!!!」

獣には笑顔はない。だからきっと彼女の唇の歪みは怒りであり、叫びなのだろう。


村長はその物言いに唖然とした。

あの巨体を、山や川ほどにある巨大なモンスター、いや、あれは神だ。神の一種をどうこうできるわけがない。

逃げる以外に人間に取れる選択はない。不可避の存在だ。


いかに魔女といえど迫りくる山を消すことなどできるわけがない。轟轟と流れる川の流れをせき止めることなどできない。


終わりだ。村には日照りから村を救う魔女と村長を待つ人々がいるのだ。このことを伝えるすべなどない。仮にあったとしても彼らに地竜から逃れる体力があるだろうか。

思考は加速して脳を渦巻いていくのに、老いた肉体はその場から動くことなどできていなかった。既に走りだした地竜をぼーっと眺めているだけであった。


不意に現実に引き戻される。

ほほを撫でられたような、殴られたような、かすかな感覚。

再び何かが村長の額のあたりを触れる。


信じられない、としか言えなかった。雨である。


唐突に降り出した雨は次第に強まっていく。


少女はいつの間にか馬から降り、地に立っていた。土柱はもうそこまで迫る。


そして、際限ない口をあけた神が少女の目の前についに到達しようとき、あらゆる感覚が引き伸ばされ一瞬が認識の中で無断で拡張される。

土を濡らすほどに降り出した雨が少女の髪を輝かせていた。


信じられないくらいに美しいそれに村長は見とれ、そして少女は魔女となった。

少女は一瞬にして絶命し土くれとともに地竜の無限の穴へと落ちていく。

村長が見た光景はある種の未来予知であった。こうなるしかない。こうなる以外ありえないのだ。


だが、それは覆された。


地竜にとってみたらほんの数秒前の出来事だって些細な問題だろう。おおよそすべてのものは彼の腹の中に納まっていて、敵はもういないのだ。

けれど、きっと彼にも永遠に刻まれる記憶が残ったに違いない。

自分の何百分の一ほどの少女が彼を受け止めているという悪夢トラウマを…!か細い少女の腕が地竜をがっしりとつかんでいるその光景を!


「だああああああああらっしゃああああああああああああああああああああああああああ!!!」


それは地を砕く竜のそれに劣らぬ、魔女の咆哮。世界を構築し、破壊する異端の能力を全開にする意思表明。神への反逆。

その咆哮に地竜は恐怖する。矮小な少女に。非力であるはずの人間に。



地竜を受け止めたままの左手をまっすぐ伸ばし、対となる右手を肉体の極限まで振りしきり伸ばし、引き絞る。

大地を砕いた軸足の力が腰を伝わり、右手へと完全に伝導されていく。


五界戦術一式 石榴ッ…!


それはつまるところ右ストレートに相違なかった。武術なので、はた目からそうとは知れない技術が一撃の威力をまったく別物へと昇華しているのだろうが、見てくれはそう違わなかった。


そう、威力が違った。


「あああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」


地表が禿げ上がり、インパクトの衝撃で周囲の木々が消し飛ぶ。降り注いでいた雨粒が衝撃ではじけて砕ける。疾風に転がされた村長は少女の姿をかろうじて追いかける。

完全に地面から突き上げられた地竜は久方ぶりに宙を飛ぶことを思い出すだろうか、否、かような余裕などあるまい。はるか上空まで吹き飛んだ彼は状況を把握することなどできていない。そこへ、飛び上がった少女が吹き飛ぶ地竜を再びつかむと、更に追撃を加える。


地竜の咆哮はすでに悲鳴の意味合いに代わり、魔女は勝利を獣の声で謳う。


地竜は死んだように動かない。


知らぬうちに、しゃがみ込んでいた。絶望から畏怖へと村長の精神世界の支配者と崇拝対象が変わっていく。


これが魔女…!傘を差さない君…。絶対暴力者。


さまざまな通り名が脳裏に浮かぶが、どれもこれも失礼極まりないので殺されるかと村長はびくびくした。


そんな一切を気にした様子はなく、魔女は少女のように満足そうに微笑んだ。湿った髪をわずらわしげにかきあげ、そして、やはり笑う。


雨は強く、地を叩いて濡らしている。




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