case6# He said "SO WHAT ?!" -8/10
夢を見た覚えはない。眠りはほんの一拍、手を叩いたかのような間合いで終わりを告げると、百々は鳴りだした端末に叩き起こされていた。握りしめ、これでもかと背伸びをくりだす。午後にも式典が始まるのかと思えば、たちまち眠気は飛んでいた。
あの後レフが帰ってきたのかどうかを知らない。ただ隣り合うベッドはカラのままで、水回りのどこにもその姿はなかった。代わりに誰が運び入れたのか、オフィスへ放り込まれていたはずのスーツケースは部屋の隅に置かれると、上にミックスサンドとアップルジュースの紙パックを乗せていた。隣にはシルクと思しきしなやかな光沢を放つ詰襟の服もまた引っかけられている。
[DRESS|ドレス] [CODE|コード]
歩みより、添えられていたメモを読んですぐさま詰襟を広げた。あしらわれた花や小鳥の刺繍が華やかなベトナムの民族衣装、アオザイが寝起きの目を刺す。下には真っ白なワイドパンツがたたみ置かれ、手にしたところでさらに下から防弾チョッキは現れていた。
ひとまずアオザイをベッドに広げ、眺めながらミックスサンドを平らげる。顔を洗い、スーツケースから引っ張り出したキャミソールと、白のワイドパンツを身につけた。上から防弾チョッキをかぶり、アオザイをまとう。
身分証と端末はパンツのポケットへ忍ばせ、イヤホンのコードはアオザイの下で体に添わせた。
ミラーボールがごときバレエシューズをベッドの下に見つけた時は、これならいざというときも全力で走れそうだと思っている。履いて、髪を一つにまとめた。軽く化粧も乗せてゆく。
いくら入職の際、ID作成のため身体特徴込みで事細かと登録したにせよ、用意されていたどれもがぴったりだ。防弾チョッキのせいでずん胴ぶりは増していたが、馬子にも衣裳。百々は姿見へと微笑みかける。時刻を確かめ振り返った。
少し早いだろうか。
針は十時四十分を示している。
いやちょうどだ、と腰の端末へ手をかけたとき、部屋のチャイムは鳴っていた。
誰だろうと開けて目にしたのは何のことはない。呼び出されることを知っていたかのようにレフだ。
「準備は出来たか」
挨拶もなく切りだす様はいつもとおりだと言えた。百々もそれがいいと思えている。だが警備につく者としてドレスコードがお互い様なら、気持ち髪へとクシを通したレフもまた、黒のタキシード姿だった。これがもう似合い過ぎて怖い。脳裏を三ケタのコードネームを持つ某国のスパイさえ過ってゆく。
「リハーサルが予定より早く終わった。もう全員、現場だ」
思わず脳内、テーマソングさえなり始めたところで急ぎ、百々はジャックごと引き抜いた。
「い、今、ちょうど声かけようと思ってたところ」
「なら行くぞ」
「了解」
後ろ手にノブを握る。
次にここへ戻った時は。
考え、まさか。小さく笑った。
心配するなどまだ早い。
ひと思いにドアを閉める。
廊下でエレベータは止まったきりと、二人が戻るのを待っていた。乗り込み、降りたロビーは式典のせいか、昨日にも増して騒がしい。かわして表通り、ストリップへ出た。吹きつける風が熱い。空もまた抜けるような青を広げていた。その下で濃紺の制服も凛々しく、地元警察が交通規制を進めている。物々しさの中に鮮やかと赤いカーペットは横たわり、めざすレフが挙げた手で車両を制しストリップを横断していった。
追いかけ、カーペットを辿った先に現れたベガスビッグビューイングの正面入口は、今や隅から隅まで生花に豪奢と飾り付けられている。両脇には巨大なオスカー像のレプリカが立てられると、赤いカーペットはその間を中へ伸びていた。
レッドカーペットへ近づいた際も、ベガスビッグビューイングの前でも、求められるまま警察へ身分証を提示している。パスしたところでパラボナアンテナを広げた報道中継車をやり過ごし、通用口へと回り込んでいった。傍らに張られたテントはセキュリティーチェック用である。目に留まったところでその下、長机を囲んで詰める警察官の中に知った顔は紛れていた。
「遅くなった」
レフが駆け寄れば、ハートは振り返る。
「大丈夫だ。ハナがまだ最後のスタッフに付いている」
「遅れてすみません」
百々も頭を下げて早々、笑っていた。
「あは、袖がある」
当然ながらハートもまたタキシード姿だ。
「ええい、これだと動きにくくて仕事にならん」
ハナはそのとき、通用口から出てきたスタッフと共に姿を現していた。
「リハーサル、終わったわ。異常なしよ。スタッフの撤収もこれで完了した」
身に着けているのは百々と色違いのアオザイだ。だが出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいるのだから、どうにも納得できない。見とれかけたところで、全員そろっていると聞かされていたことを思い出していた。
「乙部さんは?」
なら申し送りをすませたハナが手で空を示す。上空待機、と知らせた。なるほど、それが得意分野なら乙部はいつだろうと別行動だ。納得した百々の目に、やおら光景は飛び込んでいた。テントの下だ。スラリとした礼服姿の人物はいずかたの貴公子か。涼し気な目元で警備員と談笑している。魅了されるに時間はかからず、百々は思わずレフの脇腹を突いていた。
「あれはストラヴィンスキーだろう」
「え」
浴びせられるまさかの爆弾発言。
「おい、ストラヴィンスキー、始めるぞッ」
ハートも堂々、呼びかける。応じて振り返った貴公子はといえば、気付いて百々へ手を挙げていた。
「あ、百々さん。おはようございます」
瞬間、抜け落ちる百々のアゴ。喪失直前で受け止められたのは奇跡の所作と言いえるだろう。
「うそ、ら……。そっ、外田さんっ、め、眼鏡はっ」
「あ、恰好がこれなんで不釣り合いかなと。今日はコンタクトレンズにしてみました」
などと投げる笑みはいつも通りだ。だが今日に限って遮るレンズはなく、あれやこれやがもう眩しい。焼かれて百々は今さら昇天しかけ、またもやハートに呼び止められていた。
「おい、ぐずぐずするな。始めるぞ」
やがて個々の通信チェックを皮切りに、施設内の警備区分に誤認がないかは詰めなおされていった。式典の進行もろとも警備のタイムテーブルを確認しなおし、蜂起後の対処手順を数パターン、連邦局との連携も含めなぞる。
「現在、蜂起についての情報はまだどこからも上がってきていない。空港、鉄道、四方高速道路、各遊興施設、市内配備ポイント、全てにおいて異常なしだ」
イヤホン越し、百合草の声へと耳を澄ませる。
「渡会には、アカデミー授賞式を利用し蜂起を呼びかけるつもりか確かめるよ申し出たが、反応すら得られていないのが現状だ。ただし、個人的見解だと付け加えたうえで、黙りすぎるも雄弁な語りの一部だ、と渡会から見解を得ている。あと、これが終われば家族サービスをねだられているのでよろしく頼んだ、とも預かった」
意味するところはひたすら大きい。
「いうまでもないが式典は世界中に生中継される。中でも最も危険が予測されるのは、視聴率が最高となる作品賞受賞の瞬間だ。それで事実を隠しとおせるとは思えないが最悪の場合、カメラはこちらで切り替える準備があることを忘れるな。そのためにも勝手な行動は各自、慎むよう強く言っておく」
ちらり、ハートがレフを盗み見ていた。その目を百々へ裏返す。気づいて百々も自分でもらしくないと思うほど、自然に片目を閉じ返していた。
「これより施設内の最終チェックに入る。テレビクルーの再入場は十四時。不審物が発見されたとして処理は招待客到着の十六時三十分までが鉄則だ。招待客の安全を確保。式典を無事終了させろ、以上」
宙でそれぞれの視線が絡み合う。
テント下から、中へと案内して警備員は駆け寄ってきていた。
そのバックヤードは土地柄、頻発するイベントに大型宣材も運び入れ可能とやけに広い。足元は傷だらけのリノリウムが敷き詰められ、通路の左手に倉庫や従業員用の手洗いが、右手には式典会場となるシアターの壁が連なっている。舞台袖にあたる壁には一枚、扉が据え付けられ、出入りしやすいよう開いたままで固定されると、底上げされて高くなった舞台へ続くスチール製の階段が掛けられていた。
ストラヴィンスキーとハートは警備員らと共にそちらへ潜り込んでゆく。
レフとハナ、そして百々は、残る警備員たちに引き連れられさらに通路を奥へ進んだ。突き当り、現れた鉄扉を開く。曲線が優美なゲストエリアへと抜け出した。
右手側には変わらずシアターの壁が続いている。等間隔をおいて三か所、革張りの防音扉は並んでいた。だが現在、その二つは百々の背丈以上もあるオスカー像のレプリカに塞がれ、最もエントランスに近い扉だけが開放されていた。
軽くのぞきこんでやり過ごす。
エントランスへと出た。すぐさまストリップから引き込まれたレッドカーペットに目を奪われる。歩いてきた者を導く赤は、会場をモニターする大型テレビ前で回れ右すると、開け放たれた防音扉から会場へと消えていた。
巨大なオスカー像のレプリカはここでも壁際から、ファラオのごとくエントランスを見下ろしている。それ以外、不審物を嫌う辺りは実にシンプルと取りまとめられていた。
舞台周辺を確認したハートたちはバックヤードを点検後、封鎖されている二シアターの片側をチェックする段取りだ。百々たちはといえばエントランスと式典会場内をチェックしたあと、封鎖された残りもう一方のシアターへ手を入れている。
広さを考えれば時間は短いように思えた。だが手を抜くことは許されず、疑わしい暗がりを、晒された光の中を、隅から隅まで舐めるように確かめてゆく。集中するほどに時間はあっという間に過ぎ去って行き、気付けば時刻は十四時へ迫ろうとしていた。
イヤホンから交通規制の開始が伝えられる。
ほどなく本番に備え、礼服に着替えたテレビクルーたちもベガスビッグビューイングへ再入場を始めた。
そんな彼らに追い立てられるようにして終えた施設内の最終チェックは異常なしだ。持ち込まれ、何かしらコトが起こるとすれば以降、ここへ足を踏み入れた何某によるものだとターゲットは絞られる。
十五時。
百々とレフだけを対にして、それぞれは舞台袖、バックヤード、エントランスの警備に散った。もちろんまだ式典は始まっておらず、視聴率のピークすら程遠い時間だが、慣れぬ百々の緊張はそのときすでに頂点に達する。
解けることなく十六時は訪れていた。
さかいにして警護エリアをハナと交代する。百々とレフはエントランスの片隅、荘厳なオスカー像の足元に立つと周囲を警戒した。
その耳にかすかと聞えてくる騒がしさは外のプレスだ。セキュリティーをパスすると、少しでも良い場所を取るべく陣取り合戦を繰り広げているらしい。
だが警戒すべく情報はどこからも上がってこなかった。果たしてこれ以上、何も起こらず、だというのに突然、何者かが襲いかかってきたなら驚きのあまり卒倒してしまうのではなかろうか。不安が百々の身を強張らせる。固唾をのむ喉さえひどく詰まらせた。
「そんなに緊張するな」
声は、数時間ぶりに聞いたレフだ。
「[伝染|ウツ]る」
しめくくられて百々は思わず前へつんのめった。
「じゃ、離れてます」
上半身に余分な重みがかかっていたなら踏みとどまるのも一仕事である。ともかくしょげて背を向ける。とたんレフの手は、襟元のマイクを握りしめていた。
「お前の励まし方は分かりづらい。だが緊張は分かりやすい。いいか、体が固まれば咄嗟の動作は不利になる。放ってゆけないなら、いざというとき俺が困る。俺はハートに殴られるつもりもない」
まくし立てて手を離すと、再び警備へ戻る。
百々が一部始終に呆気にとられたことは言うまでもなかった。ようやくだ。自分こそ分かりづらいじゃないか。心の中で呟く。余裕がないのはお前も同じだ。どうやらそういうことらしい。だとしてこちとら状況は枕投げどころか、口笛ひとつ吹けない有様だった。
いや、と口を開く。チラリ、百々はレフを盗み見た。直後、体ごと向き直って下げた頭はごっつぁんです、が相当となる。
「じゃ、しりとり、お願いしますっ」
「つき合わせるな」
早い。返事が早すぎて取りつく島もない。だからこそ百々は投げる。
「しらすっ」
聞いていなかったのか、言わんばかりに奥歯を噛んだレフがこめかみを窪ませた。緩めたあとでこう返す。
「……スジコ」
ロシア人なら「イクラ」じゃん。「しらす」から始める変化球もどうかと思うが、つっこみかけて「やめなさい」と曽我に叱られていた。謝れば苦笑いはもれ、わずかながらも体は軽くなる。「日本酒でつまみたいですね」などと割って入ったストラヴィンスキーに、どうやら自分だけの問題ではなかったのかもしれないと思わされていた。
経て迎えた十六時三十分。
ベガスビッグビューイングの正面扉が開放される。
あわせてハリウッドプラネット噴水前に到着するリムジンが、次々ドアを開いていった。なうての俳優にスタッフが、フラッシュを浴びて華麗と降りてくる。
ついに始まる。
いや、もう始まっていた。
ならば来る者は拒まず、そして来たからには必ず制する。
ホールを闊歩するゲストたちへ百々は、くまなく視線を這わせていった。




